拝啓、向後へ

大野心結

分身ロボット

 朝は遅くまで眠っていたい。土日以外も好きなことをして遊んでいたい。しかし、会社や学校に行かなければならない。こんな人間の悩みを解決してくれたのが、分身ロボットだった。一年前に発明されたそのロボットは、世界中で大変売れた。買い主そっくりの見た目になり、買い主そっくりな話し方をし、買い主そっくりに動いてくれるのだ。家族でも気がつかないほどそっくりで、つまりまさに分身だった。販売されてすぐに、世界中の人々が一人一台そのロボットを所有するようになった。

もう仮病を使う必要はないのだ。それどころか仮病をして休んだ場合、仕事がたまって結局自分が後々困ることになるのだが、この分身ロボットを使った場合、そのようなことにはならないのだ。ロボットが自分の代わりにやってくれるのだから。大変便利なロボットだった。


 レイもそのロボットを愛用している人の一人だった。今は高校生のレイだったが、高校になどほとんど行ったことがなかった。行かなくたって自分の分身が代わりに学んでくれるし、最初の何ヶ月か休んだだけで、授業についていけなくなってしまったのだ。しかし別に問題はない。大学受験もロボットに受けさせればいいし、就活だってロボットに任せておけばいいのだ。


 レイはベッドに寝そべっていたが、思いついたように自分の携帯電話を手に取ると、親友のライラに電話をかけた。

「もしもし。」

「あ、レイだよ。ねえねえ、昨日のドラマみた?井上君が主演のやつ。」

「みたに決まってんじゃん。めっちゃ面白かったよね!かっこよすぎたよ、井上君。」

「ね、ほんとそれ。」

三十分ほど新しいドラマについてライラと話した後、レイは電話を切った。


 最近すごく暇だ。最初は好きなことをできるようになったと思って、とてもうれしかった。しかしこの自由にも飽きてしまった。やることがなくなってしまったのだ。だらだらテレビを見て寝るだけの日が増えていった。ここ一年近く、自分の部屋からさえも出ていない。部屋に何でもそろっているからわざわざ出かける気にならなかったのだ。

 

 しかし次の日レイは、朝の六時に目を覚ますと、制服に着替え始めた。今日は久しぶりに高校に行こうと思ったのだ。分身ロボットには一日休んでもらって、自分が学校に行くことに決めたのだ。久しぶりに友達と会ってわいわいするのも悪くない。外の空気だって、長らく吸っていなかったし。


 世界一のいい子になった気分で、元気いっぱいに階下へ降りていった。久しぶりに本物の私を見て、お母さんはなんと言うだろうか。レイはわくわくしながらリビングへと入っていった。

「あらレイ、おはよう。」

 お母さんだ。本物のレイを見ても、特に驚いた様子もない。

「おはよ、お母さん。」

 レイはやや拍子抜けした。それだけロボットが高性能だと言うことだ。親でさえも我が子と分身ロボットを見分けられない。

「何か手伝うこと、ある。」

 仕方がないな、と思いつつ、レイはキッチンに入った。

「そうね、スクランブルエッグ、作ってくれるかしら。」

 お母さんがそう言って、レイにフライパンを手渡した。受け取るときに少しお母さんと手が重なって、レイはあっと言いそうになった。お母さんの手が驚くほど冷たいのだ。しかしすぐに納得顔になった。ははあ、お母さんも、今日はロボットなのね。


 少しするとお父さんと弟のレンが起きてきた。久しぶりに、一家そろっての食事だ。お母さんは、ロボットだけど。

「「いただきます。」」

「レイ、ケチャップ取ってくれる?」

レンが言った。

「はい、どうぞ。」

 レンにケチャップを渡して、レイはまたあっと言いそうになった。レンの手も冷たいのだ。

「どうしたの、レイ。」

 ぼんやりしているレイにお母さんが言った。

「ううん、何でもない。ねえお父さん、ちょっと手を出して。」

 不思議そうな顔で差し出されたお父さんの手をレイは触ってみた。やはり冷たい。レイ以外、みんなロボットだ。

「ごめん、ありがと。」

 心の中でレイはため息をつくと、静かに朝食を取り出した。どんなにそっくりでも、ロボット相手におしゃべりをする気にはならない。


 学校に行けば、誰かしら本物の人間がいるだろうと思った。教室に入ると、昨日電話したばかりの、親友のライラが走ってきた。

「レイ、おはよ!昨日話してたドラマのことだけどさ…」

 レイはほっとした。ライラは本物だ。昨日ドラマについて話したことを知っている。

「ほんとだよ!続き、めっちゃ気になるよね。」

 そう言ってなんとなくライラの手に触れた。そして、レイは泣き出しそうになった。ライラの手も冷たいのだ。ということは、昨日レイが電話をしていた相手も、このロボットだったのだ。しかし、ライラを恨むことはできない。レイだって眠かったときに、分身ロボットに代わりに電話に出させたこともあったのだから。


 がっかりしたレイは早めに話を切り上げると、クラス中を回ってみんなの手にそっと触れてみた。人間らしく体温のある者は、誰もいなかった。

 レイはこれまでにないほどの、孤独を感じた。


 「ただいま。」

 家に帰った頃にはさすがに本物のお母さんになっているかなと期待しつつ、レイは家に帰った。

「おかえり、レイ。学校はどうだった?」

お母さんがお母さんらしい笑顔で出迎えてくれた。しかし油断してはならない。そっと手を握ってみると、期待に反してやはり冷たかった。

「お母さんは?お母さんはどこなの?」

 レイは狂ったように言った。異常なほど、人肌が恋しかった。

「あら、何を言っているの。お母さんは目の前にいるでしょう。」

分身ロボットがレイの目の前で、困ったように微笑んでいる。

「違う、あんたは分身ロボットでしょ。私の本物のお母さんはどこよ!」

「何を言いだすの、学校で何かいやなことがあって、お母さんにあたってるの。」

 慰めるような表情でロボットが言った。


 分身ロボットは、お母さんのそっくりそのままのコピーなのだ。お母さんが自分のことをロボットだと思うことなどないのだから、このロボットも自分が人間でないのかもしれないなどとは、つゆほども疑っていない。


 ロボットがお母さんのするように、レイのことを優しく抱きしめた。レイはぞっとした。体全体冷たいのだ。どんなに見た目がそっくりでも、結局は金属なのだ。

「お母さん!どこにいるの?」

 レイはロボットの腕を振り払うと、泣きながら家中を駆け回った。

「もう、うるさいなあ。」

 レンが部屋から迷惑先般といった表情で出てきた。

「レン!」

 レンに抱きついてみても、やはり冷たい。

「ねえ、誰もいないの?ねえ、いるなら出てきてよ!」

 しんと静まりかえった部屋の中で、ロボットが二体、困った顔でレイを見つめている。会社に行っているお父さんが帰ってきたところで、それも今朝と同じロボットなのだ。


 レイは泣きながら自分の部屋に駆け込んだ。

 みんなどこに行ってしまったのかわからない。どこかで遊んでいるのかもしれない。どこかでご飯を食べているのかもしれない。でも、もしかしたら…


 長い時間ベッドで泣きじゃくった後、レイは首を吊ってしまった。


 次の日、休みが終わって目を覚ましたレイの分身ロボットは、何事もなかったかのように制服に着替えると、下へ降りていった。おはよう、と、いつも通りお母さんの分身ロボットが言っている。今日もいつもと変わらない、平和な一日が始まるのだ。


 この時代において、生きている人間など、世界中に片手で数えられるほどしかいないのかもしれない。

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