第二章  第27話 #11-1 逃げる女、佐々木寿満子

 パメラが運転する陸自の公用車の後部シートには天寺と隆一郎が並んで座っていたが、二人とも全く言葉を交わさなかった。


 天寺は苦虫をかみしめたような表情で、隆一郎は素知らぬ顔で窓の外をみていた。

 

 天寺は厳原港で取ったチラシを広げた。それは、港に待機していた刑事が人知れず天寺に何かを伝えるために、書き込みをして元の場所に戻したチラシだ。


 警察と自衛隊の情報交換会で秘密裡に情報をやり取りする方法「デッドドロップ」がデジタル時代でまた復活しているという話をきいた。デジタルでの情報のやり取りもセキュリティしっかりしていれば安全だが、外部から見られている可能性がある。だから、あえて、紙をつかった伝達方法が使われている。その話を聞いて、少し試してみようかと盛り上がった。紙にメモを忍ばせて、公共スペースのどこかに隠して立ち去る。その後にさりげなくそのメモを手に入れるという簡単なやり方だ。


 天寺は数人の警察官とその手法でたわいないメッセージのやり取りを楽しんでいた。


 あの刑事からのメッセージが彼の差し込んだチラシにあるはずだ。琉洲奈島南警察署に手書きの丸印が追加され、職務中なのであいさつは控えますと書かれていた。炭疽菌を疑われる事例があったことは内々に警察署にも伝えてあった。一部の警察関係者しかまだ知らない。琉洲奈島南署の刑事で、たしか佐藤剣太という警部補だ。

 

 そこには「ご同行の背の高い男性はどなたですか?」のメモ書きがあった。何か気になったのだろう。同行している背の高い男というと今隣にいる才谷隆一郎だ。

 

 船着き場には多くの場合、警察官がいる。何か事件が起こったときだけ特別に出向くわけではない。継続捜査中の指名手配犯の検挙のためにも乗客にまぎれていないか、不審な人物はいないかを常時チェックしている。地域の変化を見逃さないきめ細やかな警戒が犯罪防止に役立つ。

 

 指名手配犯のポスターが駅や船着き場、バスターミナルには必ずある。警察は市民の協力を仰ぐだけではない。捜査中や警戒中の刑事は制服でなくスーツ姿のことが多いが、捜査内容によってはまわりと溶け込むように私服を身に着ける。ジーンズとトレーナーのようなカジュアルな普段着の時もある。

 

 琉洲奈島の船着き場にいたのは琉洲奈島南署勤務の佐藤警部補と巡査長、粗暴犯などの強行犯事件捜査を専門としている。佐藤はこの炭疽菌の問題を防衛省経由で知っている警察官の一人だった。

 

 新型コロナ感染症の影響で外国船舶は一時運航停止となり、外国人観光客はパッタリと来なくなった。九州と琉洲奈島の往来も減った。

 

 漁船を利用した麻薬密輸事案が長崎で発生し、船着き場でのチェックをしていた。

 陸上自衛隊、琉洲奈警備隊長の天寺還郷の一行が船着き場にいた。島の陸自トップがわざわざ本土からの客人を出迎えるのは異例だ。佐藤も天寺とは面識があるが、こんな場所で会うことはなかった。

 

 日ごろから礼儀正しい警備隊長は、知り合いがいれば挨拶しようとするが。今はそういった場面ではない。職務中で刑事と悟られたくないことを天寺に伝えなくてはならない。時折、自衛隊との情報交換会からやっているデッド・ドロップを使うことにした。

 

 佐藤は胸より低い位置で手のひらを天寺にむけて、ちょっと待ってくださいと合図した。天寺は即座に軽くうなずいた。交流会以降、ときおり行っていたこの情報交換手法は意外に役に立つ。佐藤は胸をなでおろして、周辺を見回すと観光案内窓口に琉洲奈島観光チラシが目にとまった。レストラン街のチラシを手にとり、天寺から見えるように素早く文字を記入した。天寺は彼の所作をじっと見ていた。佐藤はメッセージを残したチラシをほんの数ミリだけ飛び出した形で元にもどした。

 

 佐藤は天寺と目を合わせると、何事もなかったかのように船着き場のゲートに移動し、桟橋に指名手配犯がいないか確認しはじめた。

 

 天寺はしばらく時間をおいてから、佐藤の思惑通りにレストラン街のチラシを抜き取った。それを天寺がポケットにねじ込むところまでを佐藤は横目で確認した。以前に捜査中はお会いしてもご挨拶できないこともありますのでご容赦くださいと伝えていたので、お互い目礼ですませたが佐藤には聞きたいことがあった。それを伝える手段としてチラシを使った。天寺と一緒にいる男が気になった。

 

 天寺が出迎えた派手なカートを引っ張ってきた男性が連続婦女暴行犯に似ていた。天寺が出迎えるような人物なのだから、他人の空似だとは思うが念のため聞いておきたかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る