才谷隆一郎の事件簿 自衛隊琉洲奈島の事例
おがさわら りえ
第一章 第1話 #1 才谷隆一郎 福岡 2月26日
(第1章)
2月26日、季節は冬だ。福岡の街は真っ白な雪景色となった。ここJR博多駅では、公共交通機関の停滞で帰宅困難者があふれかえっていた。家族に迎えに来てもらおうとしているのか、スマホを操作する指先が冷たそうだ。
この冬最強の寒波が日本全体を覆いつくし、その影響は南国、九州にも及んだ。東北や北陸、首都圏でも雪が降ったが、福岡では積雪が17cmを超えた。暦の上では2月は初春なのに記録更新しそうな勢いで雪はふりつづけた。
福岡都市高速道路と北九州都市高速道路は通行止めになり、一般道路も凍結による玉突き事故が相次いで発生していた。交差点では警察官がせわしなく誘導灯を振り続けている。JR九州はこの異常な積雪で一部の運行を見合わせた。
昨日の夜の降雪は多い所で三十センチ、平地で十五センチほどだった。福岡県東南部の標高の高い山々が連なる山岳部では、添田町の交通網が積雪で遮断。町に取り残された住民を避難させるため、自衛隊への災害出動要請がかかった。雪崩が発生した模様だが、通信状態が悪く現地の状況は不明。ニュース速報が駅前の大型スクリーンに流れていた。
「サイハ(災害派遣要請)きたか……」
寒さに震える声を少し気にしながら才谷隆一郎はイヤーフックで会話中の相手につぶやいた。寒い日にハンズフリーは有難い。
「これからジェットフォイル乗船。運航していると思うがそっちは災害派遣かかってないか? 大丈夫なのか?」
「こちらには要請はない。ひと・ふた・よん・ごー(12時45分)新厳原港集合で」電話の相手は必要最低限の要件だけを告げる。
「了解」隆一郎も短く答えて電話を切った。
JR博多駅から博多港に向かうバスも朝から運休し、仕方なく隆一郎もタクシー乗り場へと向かった。バスの運行再開早々に見切りをつけた人達によって、乗り場にはすでに長い列ができていた。この状況を予想して早めに動いた隆一郎だったが、あまりの列の長さに深いため息をついた。
黒いトレンチコートの肩にかかった雪を手で払って時計に目をやった。「ペンギンさんだ!」とはきはきとした子供の可愛らしい声が聞こえた。
時計から顔を上げると、ピンクのダウンジャケットの少女が自信満々に自分のキャリーカートを指さしていた。
彼女の前に立っていた女性が子供の様子に気づき、「すみません」とこちらに会釈した。「いえいえ」と会釈しながら「そうだよ。ペンギンの中でも一番の皇帝様のペンギンだ。すごく偉いんだ。君のコートの色とおそろいだね。」と腰を少し下げて少女に話しかけた。
彼女はおじさんが返事をすると思っていなかったのかびっくりした様子で、「うん……」と口ごもった。最初の元気さが急速にしぼんでいく。小さい声で返事したと同時に、彼女はそのまま背を向けて母親と思しき女性後ろに隠れてしまった。
再び母親らしい女性がこちらに会釈し、少女の手を取って向き直った。
彼の引いているキャリーカートは、どの場所でもひときわ目立つ。なぜなら見ただけで目がハレーションを起こしそうな程の発光色のドピンクだからである。ピンク色も様々だが、やたらと目立つマゼンダだった。三十五才のひょろ長いだけが取り柄のくたびれた中年男が好む色ではないと、才谷隆一郎も理解していた。
「なぜそんな悪趣味な色を選んだんですか?」
彼が経営する才谷第二病院、そこのお局様を勤める内科の鳳看護師長からそう聞かれたことがある。
病院内の調度品は、療養する患者のために落ち着いた色が選ばれる。その中で彼のキャリーバックはひときわ異彩を放っていたからだ。出張に行くとき、帰ってきたときに鳳看護師長はこのキャリーバックを不審げにいつも凝視していた。たまりかねてとうとう、文句を言うつもりだろう。
「単純に目立つからさ。待ち合わせ場所ではすぐに見つけてもらえるし。もし仮に盗まれたとしても犯人をつかまえやすい。しかも学会で名刺がイラナイ。あのドピンクカートの人とすぐに覚えてもらえる。理にかなっているんだよ。」隆一郎は自慢げに答えた。
有能だが小言の多い鳳看護師長はその様子を冷ややかな目で見ていた。彼女はため息をつきながら重ねて苦情を言う。
「才谷先生らしい合理的な考えだとは思います。ですが学会の方や周りの方から品位を疑われてイメージが悪くなりますよ。」
院内でもこうやってはっきりと自分に意見するのは鳳看護師長くらいである。彼女の態度は「おおとり」というより「ハシビロコウ」のようだ。有能で知的だがその鋭い眼光は見えないレーザー光線、彼女は病院内で歯向かう者たちに文句を言わせない威力があった。横柄な態度の患者がいても、彼女前では借りてきた猫のごとく大人しく診察を受けている。病院長となった隆一郎よりも実質的にはこの病院の陰の支配者だった。
彼女の視線の冷たさに少し怯えつつ「私の品位は内面からあふれているから大丈夫。皆も私の考えを理解してくれていると思うよ。……というのはまあ冗談として、品位を保つより無駄な時間のショートカットが私には重要なんだよ。」とふざけた調子で答えた。
「このキャリーケースの中には今回のミッションに必要なものが詰め込まれていてね。現場についたら時間との勝負。できるだけ早く、安全に、的確に必要なサンプルを集める。ふざけた色の奥にオレ様の隠された野心があるのさ。目の前の派手なアクションの裏でマジックショーは仕掛けを使うからカッコいい奇跡に見えるのだ!」
隆一郎は心の奥でつぶやいていた。もちろん、それは誰にも聞こえていない。
「理由はわかりましたが、流石にその色はどうかと思います。選びようはいくらでもあったんじゃないですか。」
「もうこの色を選んでしまったからね。それに慣れると案外悪くないよ。この色もさ。最近はひょっとしたら私ったら、センス良いんじゃないかと思えてきてね。私にとってはライフジャケットのようなものだから目立つ色がいいのさ」
「分かりました。もしミッション失敗で真っ逆さまに墜落したら、そのケースは回収して全員で開封式させていただきますね。それがお望みなら、先生はこの診察室をぜ~~んぶそのマゼンダに変えられたらいかがですか?診察室がピンク色の怪しげで華やかな空間になることでしょう。」と感情を加えないまま彼女は言った。
患者さんは嫌でしょうけれど……と付け加え、鳳看護師長はクククと抑揚なく笑った。
冗談です、と付け加えたが眼鏡の奥の瞳は鋭さを失わず笑ってもいなかった。
「ちょっとそれは……堪忍してください。鳳看護師長殿」
やだなあと冗談めかして肩をすくめて見せたが内心動揺していた。
どこの世界にピンク色で囲まれた古いラブホテルみたいな診察室があるんだ。そんなことになれば品位どころか怪しげな病院の噂がたって誰も寄りつかんだろう。
隆一郎は彼女の顔色を窺うように視線をむけた。
「楽しみだわぁ。派手好きな先生のためにパーッといきますわね」
どこまで本気かわからないが、彼女はフフフと笑って診察室を出て行った。これまでも鳳看護師長とはキャリーカートの色については度々窘められ、今なお冷戦状態が続いている。
そんなことがありながらも自分の主張を貫いてきたドピンクキャリアーカートだ。そこには、サングラスをかけてビールを片手に持つ特大の皇帝ペンギンのシールが貼られている。今日の天変地異のような寒い日でなければ、少女だけでなくもっと注目を浴びていたことだろう。才谷第二病院の院長のトレードマークは黒いトレンチコートと酒飲み皇帝ペンギンシール付発光色マゼンダキャリーカートだ。これで日本の難題を治療するのだ。
これならモテないはずがない……。
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