希望の朝

 新しい朝がきた。


 希望の朝だ! ……とは、いかなかった。


「おいアルバ、起きろ。朝飯食べる時間無くなるだろ」


 昨夜の夜更かしのせいで寝不足だった私は、朝からカミルに叩き起こされた。


 うまく目が覚めずに瞼をしぱしぱさせていると、ジャッとカーテンが開けられて、ぴかぴかの朝日がガラスのように目に刺さる。ぎゃあ!


「ひどいぞカミル! レオン院長から『一日九時間はアイマスクをして寝るように』と幼い頃から大切に守られてきたこの私のつぶらな眼になんてことを……!」

「いやー、前から思ってたけど、院長先生はアルバのこと甘やかし過ぎたよな」


 しみじみと言いながら、カミルはもう制服を着終わって、朝の支度を済ませている。私も寝癖が気になったが、それよりも時間を優先してカバンに持ち物を詰めた。


 さて、食堂に向かわねば、と扉に急ぎかけた私の前に、ずいっと差し出される腕。その手には、バター付きのパンとチーズ、リンゴが乗っている模範的な朝食のプレートが乗っていた。


 私は信じられないものを見る目を腕の主に向けた。カミルは顔をそらして、「さっさと食え」と言うようにプレートを押し付けてくる。


 天変地異でも起きるのだろうか。あのひねくれたカミルが、食堂から私の分まで朝食を取ってきてくれるなんて、分かりやすい親切をしてくれるとは!


「ああもう、そんな大袈裟に驚くな! おれだって怖いの、昨日の今日で食堂で衆目を集めながらメシ食べるのが! ほらさっさと食べて、教室入る時は一緒だからな!」


 ぽかんと開けた口にパンを突っ込まれ、慌てて咀嚼する。リンゴを皮ごとかじりつつ、そういえばカミルは、こうして食事を用意してくれながら、寝ている私をギリギリの時間まで起こさないでいてくれたことに気付いた。やはりカミルの親切心は分かりにくい。


 だが、もっと分かるようになってやろう。静かに私は決意する。彼はせっかくの幼馴染で、しかもルームメイトなのだから。


 急いで朝食を食べ終わったおかげで、教室に着いた時、始業の時間まで若干の余裕があった。


 私はいざ教室を前にすると緊張で及び腰になったが、カミルは躊躇なく教室前方の扉を開けた。


 一斉に集まる視線。

 直後、さっと逸らされる。


 ……案の定、たいへん気まずい。


 リズとオーギュスト、ジュリアンたちも教室の後ろに集まっていた。リズは私に気付いてちょっと視線をくれたが、私の隣のカミルを見ると、すぐ顔を背けてしまった。

 そのまま、まるで私たちの存在など無かったかのようにおしゃべりを続けている。


 カミルは諦めたようなため息を吐き、私の脇腹を肘でつついた。


「ほら、こういうことになるわけ。あーあ、おれと離れてた方が良かっただろ」

「また君はそういうことを……。大丈夫だとも、カミルの出身も意地悪な性格も、友だち百人作る足枷になどならん。これから私が証明してやるぞ!」

「出身はともかく性格は余計なんだけど」


 他愛ないことを言い合いながら、各々の席につく。すると、机に教科書を広げるカミルのもとへ、パタパタと近付いてくる足音があった。


 カミルが顔を上げかけると、相手が両手を机についてダン! と衝撃が響いた。

 その勢いに私はびくっと身体を跳ねさせ、カミルは顔を強張らせて「何?」と身構えた。


 が。

 目の前に立った男子生徒は、険しい表情をぐにゃりと崩し、両手でカミルの手を握ると上下にぶんぶんと全力で振り出した。


「アジャール〜! 前に蛮族とか言っちまってごめんな〜! オレ、アジャールがいつもニコニコしてっからさ、あんな風に怒ってるって知らなかったんだよ〜!」


 気の抜ける謝罪をする男子生徒に、カミルは面白いくらいあっけにとられていた。


 私もびっくりしたが、見ればその生徒は、カミルの自己紹介で無邪気に無神経な発言をしていた男子だ。あの後も、好青年モードの猫を被ったカミルとそこそこ仲良くしていた彼は、確かソルヴェンヌ伯爵家だか何だかの子息だったはずである。


 男子からのダイナミックな謝罪に「いやあの、別にそこまで……」と戸惑いまくるカミルを横目に見ていた私は、背後からそろ〜っと肩を叩かれて飛び上がった。


 振り返ると、なんだか気の弱そうな女子生徒があわあわと手を振りながら、


「ル、ルチアーナ君、ですよね……? わっ、わたし、昨日のケンカ見てて、す、すごいなって思って……!」


 テンペーニャ侯爵家の令嬢だとか聞いた気がする彼女は、一生懸命に言葉を振り絞って、私に話しかけてくれる。


「ルチアーナ君、こんなにちっちゃくて可愛いのに、き、騎馬民族の幼馴染ともケンカできるなんて、つ、強くて、いいなって……!」


 そう言って私を見るきらきらした目には、私……アルバ・ルチアーナという存在に対する純粋な興味で満ちていた。


 そうして見られるのは、とても不思議な感覚だった。こんな目を私も、初めて会った日のカミルに向けていたのかもしれない。


 発見だ。

 魔族とか関係なく、「自分」に興味を持ってもらえると、人はとても嬉しい。


「あの、わ、わたし怖がりだから、騎馬民族のアジャール君のこと、どうしても怖いと思っちゃうんだけど……。ルチアーナ君は、どうやって仲良くなったの……?」


 そばのカミルに気を遣ってか、彼女は小声で尋ねてくる。私はみるみる湧き上がる嬉しさをコホンと咳払いでごまかしつつ、「それでは話してさしあげましょう! 私とカミルが初めて出会い、河川敷で殴り合って固い友情を結んだ日のことを!」と見得を切る。


 すぐにカミルから「大嘘つくな!」と頭を叩かれ、男子生徒の笑い声が聴こえる。揺れるカミルの赤茶色の三つ編みを見ながら、私もへらへらと笑った。




 リセ・ルージュ学園。

 ここは、私が思っていたよりも、なかなか面白い所なのかもしれない。

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