姫君と紅葉月《ロゼリフェール》

只今絶賛ホームシック中

『使命のある者には、必ず天の采配がある。天に見放されていると感じたならば、それは見放された先に己の道があるためである。』


 ――リセ・ルージュ学園の創設者、聖エスペラールの金言である。


 私がこの言葉と出会ったのは、『異端聖人伝』という風変わりなタイトルの本の中だ。


 辺境の小さな島、ルチア島の修道院で日夜本を読み漁っていた私は、この一節を読んで、まさに雷のような天啓を感じた。


 当時私は、世界を旅する探検家になるという夢が、自分の出自のために未来永劫叶わないという事実を突きつけられ、打ちのめされていた時期だった。


 絶望から目を逸らすため、私が触れられる広い世界は書物の中にしかないと、とにかく読書に没頭した。


 そんな中で知った聖エスペラールの言葉は、まさに天からの希望の光であった。


 使命のある者には、必ず天の采配がある!


 この言葉に何度勇気づけられてきたことだろうか。ルチア島をこっそり抜け出して、出自を偽装し、リセ・ルージュ学園の入学試験を受けに行った時にも、私はこの本をお守りのように荷物に忍ばせていた。


 もし私が「使命のない者」であるならば、きっと試験に落ちるか、志願書の出自の偽装がばれるだろう。

 しかし、もし合格することが出来たならば、それは天が「広い世界へ飛び出せ」と私に言っているのだから、迷わずその道を進もう。


 私はそう決意して、命がけの戦場に向かうが如き覚悟で試験に赴いた。


 結果。

 天は私に、偉大なる聖エスペラールの学校で学ぶ使命があることを、一通の合格通知で教えたのである。


 ルチア島の神童アルバ。

 私がこんなにも賢く、強く、さらには可愛く生まれてきたのは、全てはこの使命のためだったのだ!


 喜びにあふれてリセ・ルージュ学園の門戸を叩き、広く新しい世界に迎えられて、めくるめく一ヶ月が過ぎた。


 そして、現在。




「…………………………………………………………ルチア島に帰りたい……」




 ――絶賛ホームシック中であった。




「寒い……。秋なのにルチア島の冬より断然寒い……。空気が乾燥していて風が痛いし、旬の食べ物もルチア島と全然違う……」


 紅葉月ロゼリフェールの早朝。

 郷愁が高じて、自然豊かなルチア島と似た場所に行きたいと願った私は、寮の裏の森を散歩していた。しかし、歩けど歩けど南国の故郷とは違う北国の光景ばかりが続き、寂しく木枯らしに吹かれるばかりである。


 ブランシェ帝国の皇都ラ・グラシアは西方大陸の中でも北寄りの寒冷地域に位置する。春はほとんど無いに等しく、夏も曇り続きになりがちなラ・グラシアだが、秋はこの街が最も美しく粧う季節だ。


 紅葉月との名の通り、この月は木々の葉が赤や黄色に美しく色付くが、同時に冬に向けて急激に冷え込んでくる。夜や朝方は真冬と同じで、薄雪や霜さえ降るほどだ。


 曙光に照らされてキラキラと水晶のかけらのように輝く霜が、紅葉の色を幻想的に照り映えさせるラ・グラシアの秋。特に早朝の森は、ガラス細工の木々の間を歩んでいるかのような見事な光景である。


 そんな、一年で最も素晴らしい景色の中を散歩しながら、私の気分は落ち込む一方だった。


「実家が恋しい……」


 私は頭の赤いニット帽に触れる。実家の修道院のレオン院長が、慣れないくせにせっせと編んでくれた入学祝いの帽子である。こうしていると、院長のごつごつした手の温かさがよみがえってくるようだ。


 ああ、レオン院長に会いたい。

 そして褒めてほしい。そうだ、十五歳まで島から外に出ることなく育ち、生まれて初めて飛び込んだ新天地で、私はよくやっていると思う。


 これは全力で甘やかされて然るべきだ。山で採ってきたクルミや木いちごを食べながら、院長のひざの上で「よしよし、アルバは今日も可愛いな」と頭を撫でられて過ごすいつもの秋が懐かしい。


 せめてこの憂鬱を、同じようにホームシックで落ち込んでいる誰かと分かちあうことが出来たなら、どんなに気が楽になるだろう。


 が、悲しいかな、この学園に私の友人はひとりしかおらず、その唯一の友である寮の同室のカミルは騎馬遊牧民なので「ホームシックつったって、そもそもおれの実家ホームは常に移動してるし」とまったく共感を得られない。


 終いには、


「ていうかあんた、神童なんて言っても、入学試験の成績は四位でトップじゃないじゃん。ホームシックとか言ってないで真面目に勉強しないと、目標の主席卒業は無理だろ」


 と痛いところを正論で狙い撃ちしてきたので、半泣きで「私の気持ちはカミルには分からないのだ!」と朝から部屋を飛び出してきてしまった。

 カミルは本当に容赦がない。幼馴染なのだから、優しく慰めてくれたっていいではないか!


 はあ、とため息を吐きながら、とぼとぼ森を歩いていると、池のほとりに辿り着いた。少し休んでいこうと私は腰を下ろし、つらつらと考え事を続ける。


 私だって分かっているとも。今の自分がいかに恵まれているのか。


 水面に映る自分の顔を覗き込む。すると、真っ直ぐ見つめ返してくる大きな瞳。

 しかしその瞳の色は、紅葉よりも鮮やかで深い紅色――すなわち、魔族の色だった。


 レオン院長に会いたい。

 会いたいが、そのレオン院長の制止を振り切って、私は島を出てきてしまった。


 同胞の魔族の子どもたちは、せいぜい初等の教育しか受けられず、上級の学校に進む道もないまま島に閉じ込められているのに、半魔の私は人間のふりをして皇都で高等教育を受けている。


 そんな恵まれた私の使命。

 それは、リセ・ルージュ学園を首席で卒業し、皇帝にお目見えし、魔族の解放を認めてもらうこと。

 それから私の夢、世界中を旅して世界地図を作るという野望を叶えること。


 カミルは厳しいが、彼の言う通りだ。グズグズしている時間はない。

 島の皆、レオン院長、見ていてくれ! 私アルバは、皇都の学園で必ずトップを獲ってみせよう! あと冬休みは絶対に帰省するからその時は暖かく迎えてほしい!


 よし! と拳を握って、水面の向こうの自分に微笑んだ私は、次の瞬間「あ」と口を開けた。


 池に反射する紅色の瞳。

 ……まずい。いつもしている灰色のカラーコンタクトをつけ忘れている。


 魔族の証を堂々とあらわにしていることに気付いて、今更冷や汗をかいた。が、すぐに動転した頭を落ち着けさせる。


 大丈夫、ここは早朝の森の中。人が通りかかるとは思えないし、誰かに見られる心配は無――。


「あら」


 いきなり聴こえた声に、私はびくっとして顔を上げた。それから失敗に気付く。

 顔を、上げてしまった。


「おはようございます」


 少し離れた池のほとりに立っていたのは、学園の制服を着た女子生徒だった。


 透けるような白い肌。腰まで流れる銀髪。すらりとした肢体に、長いまつげに縁取られたターコイズブルーの瞳。


 美少女だ。しかし、今はそんなことは問題ではない。


「こんな朝早くに、初めて人とお会いしたと思ったら……」


 謎の女子生徒は、私の目をまじまじと見つめて、こくりと無表情な顔を傾けた。


「あなた、魔族なのですね」


 さ。

 早速バレてしまった————————!

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