微熱

 真船は店の扉を開けた。漠然とした違和感があった。


 カウンターに少年はいない。


 コートを脱ごうとしてストーブがついていないことに気づく。カウンターの前に座り、少年を待ったが、手持ち無沙汰になり、何か仕事の道具でも持ってこれば良かったと後悔した。


 待てなくなって、カウンター裏の扉をノックしようとした時、ようやくその扉が開いて少年が顔を出した。


「あ、すみません。えと、いつからいらっしゃいましたか?」


 少年の声は少し鼻声だった。眼鏡を操作し、感度を上げると、彼は額に冷却シートを貼っているのが見えた。


「少し前です。風邪でもひいたのですか」


「そうみたいです。すみません、でも全然大丈夫ですから。今日は仮面の外のコーティングについてお伺いしたいんですけど、」


 少年は真船を押しのけてカウンターの下のスケッチブックを取った。足取りがどう見てもふらついていた。


「今日は結構です。早く休んでください」


 真船は少年を扉の方に押し戻した。


「え、だって早く決めておかないと完成が遅くなります。僕の勝手な都合で遅らせる訳には行きません」


 頑固に少年は言い張り、スケッチブックを腕にぎゅっと抱え込んだ。


「今のあなたには接客されたくありません」


 真船は少年の腕を掴むと自分も強引に店のバックヤードへ入っていった。握った少年の手は熱い。


 作業場はきちんと整頓されて、たくさんの使い込まれた機械があった。デスクのひとつには真船の仮面が置いてあるのも見えた。さっきまでこんな熱に浮かされたような体で作業していたのだろうか。


「やめてください、えいぎょうぼうがいですよ」


 などと抵抗していた少年だが、作業場を過ぎ、狭い廊下に出る頃には観念したのか静かになった。


「僕の寝室はこっちです」


 小綺麗な寝室には本棚と少年にはやや大きいベッド、その隣のサイドテーブル以外何も無いシンプルな部屋だった。


 少年をベッドに入らせた。少年はムスッと頬を膨らませていた。


 子供は体調や感情がくるくると変わって目が離せない。もし自分も子供がいたらこんな歳だったのだろうかと考えた。――まあどうでもいい事だ。


「さて、何か食べたい物はありますか」


「どうしてそんなこと聞くんですか?」


「このまま私はこの店を出ていっても表面的には何の問題もありませんが、このままでていったらあなたはきっと作業部屋に戻り、作業を続け、風邪を悪化させるでしょう。これは問題です」


「何か食べたら僕が寝ると思ってるんですか」


 少年は唇を尖らせる。


「……あなたのお母さんはきっと大変でしょうね」


 何も言わないので真船はここから出てはいけないと念を押してからキッチンを探した。


 冷蔵庫には今どき流行りの30秒でできるというタイプのレトルト食品が詰め込まれていた。栄養が偏っている。風邪にもなる訳だ。


 唯一、時期が早いが林檎が置いてあったのですりおろした。

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