お茶

 真船が店に入ると店内は爽やかな匂いが立ち込めていた。


 カウンターでなにか物を書いていた少年は真船に気づくと、「いらっしゃいませ」と顔を上げるとカウンターの前の丸椅子を勧めた。


「あの、お茶です。よろしければ」


 ティーカップに注がれた紅茶は既にミルクが入っていてカフェオレ色に濁っていた。


 少年は慌ただしくカウンターの上に広げてあった本やノートを片付けた。学校の宿題でもやっていたのかもしれない。


 片付け終えると少年は一冊のスケッチブックを取り出して二人の間に開いた。


「さて、どんな透明をご希望ですか?」


「どんな?」


「はい。一口に透明と言っても沢山あるじゃないですか。あなたのなりたい透明のイメージを聞かせてください」


 真船は言葉に困った。今までそんなこと聞かれたことはない。一から作るオーダーメイドになるとこうなってしまうのだろうか。正直、前の仮面で何の不自由もなかったわけだし、なにも変えないで前に使っていたものと同じのをくれ、というのが本音だった。


「難しかったら、どうしてあなたは透明になりたいのか教えてくれますか?」


 少年は質問を変えた。


「あー……」


 真船は紅茶を口に含んだ。


「えっ?こ、これ、薄っ」


 思わず大きな声を出してしまった。


「あっ、ごめんなさい。僕、お茶入れるの勉強中なんです。ちゃんと美味しい物を作れるまでは出しちゃダメって言われてたんですけど、今日は上手くできた気がして...。無理だったら下げますが、お口直しとかいりますか?」


 少年はあたふたと真船の手からカップを取って、カウンターの下からパッケージされたクッキーを取り出した。


「いえ、お構いなく。お気遣い申し訳ありません」


 真船はそれを手で制して、ハンカチで口元を拭いた。


 どうせなら前の仮面よりもずっといいものを要求してやろう。タダでいいと言ったのはそっちだ。最高の仮面を売らせてやる。真船はそう決めた。


「それで、なりたい透明の話でしたよね。私は他人の中でどうでもいい存在として位置づけてもらいたいのです。いえ、存在という表現は少し違いますね。私の存在をなくしてくれるような、限りなくゼロにしてくれるような透明が欲しいのです」


「存在を、なくす、ですか」


 少年は一言ずつ確かめるように言った。


「はい。私は人の意見の押し付けあいがあらゆる紛争を産むと考えています。この世の争いは全て、見て欲しい、認めてもらいたい、わかって欲しいと相手に求めることから始まるのです。マナーとしての透明よりもっと存在を薄くして、そのような紛争にかかわり合いになりたくないのです。―それが私の求める透明のイメージです。これでよろしいですか」


「あなたの求めている透明はわかりました」


 それだけ言うと少年は少しなにか言いたげな素振りを見せたが、結局何も言わず黙っていた。


「それでは、いつ頃完成、受け取りになりますか。郵送でも構いませんが」


 夜も更けるので真船は黙ってしまった少年に尋ねた。早く帰りたい。


「ツノさんは、本当に完全なる透明が欲しいのですか?」


 帰ろうと腰を浮かしていた真船は呼び止めた少年にむっとした。


「ええ、そう申し上げました」


 少年はスケッチブックになにやら書きつけると顔を上げて上目遣いに真船を見上げた。


「僕、まだ完全なる透明が作れないんです。あなたの気に入る透明が見つかるまでサンプルを沢山作るので時々店に寄って頂けないでしょうか」


「その頻度が完成の速度に影響を及ぼしますか?」


「ええと、まあ、はい。そうですね」


 真船は頷く。


「では仕事が終わったらこちらに毎日伺います。あともう一つ、職人の方がお見えになったらその時点で『あなたの』クライアントではなくなるという宣言をさせていただいても?」


「わかりました」


 少年は神妙に頷き、真船は店を後にした。

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