第53話 嵐の前の


 体育館にて、会場の広さを活かしたリハーサルに励む。その途中で扉が開き、奈霧がビニール袋を持って現れた。セットされていた髪をまばらにして、肩で呼吸をしていた。近辺の店だけじゃなく、校舎内も駆け回ってガムテープを搔き集めたらしい。息を切らすほど必死に走ってくれた。その事実が愛おしくて仕方ない。


 俺はトイレ休憩をかたって体育館を出た。お手洗いの個室に入り、集めてもらったガムテープを引き延ばしてシャツの上に貼り付ける。一周して、その上にまた巻き付ける。ぐるぐるするたびにテープの厚みが増していく。


 これは防具だ。着心地がごわごわして気になるけど、命には代えられない。

 佐郷は何をしでかすか分からない。失うものが無い無敵の人。相手するには最悪のケースを想定する必要がある。備えておくに越したことはない。


 演技に支障をきたさない程度に収めて、ガムテープを袋に戻す。一息突いて、手が微かに震えていることに気付いた。自覚したのを機に、震えが体全体に伝播する。


 怖い。接触してくるタイミングは分かっているのに、佐郷がどんな手段で仕掛けて来るか分からない。

 分からないことは恐ろしい。ぶっつけ本番に近い体育館での上演も、奈霧の俺に対する心象も、全部不明瞭だからおぞましくてたまらない。


 結果を知ることができれば、この世から恐怖は消え失せるのだろうか。

 それはそれでつまらないと思う。演劇なんて成功するに越したことはないけど、結果が一目で分かるなら必要以上に努力する人はいなくなる。無駄と言えばそれまででも、かたくなに突き詰める姿には確かな煌めきがある。

 

 被服室で見た奈霧がそうだった。周りが別のことで部屋を後にする中、ひたむきに打ち込む姿勢には恋愛感情抜きで見惚れた。世界からああいったものが消えると思うと、どうしようもなく寂寥感を掻き立てられる。


 恋愛にしてもそうだ。告白する前から結果が分かっていたら、相手を想ってドキドキすることはなくなる。自分を高めてから好意を告げる人が消えて、手が届く相手にしか手を伸ばさなくなる。そんな恋愛にはロマンチックの欠片もない。


 物事を高めるのは未知だ。俺が多くを得たのも、復讐者として生きた頃には触れなかったものに触れたからだ。既知は安易な最適解。飛び付いても今以上には進めない。俺が因縁を越えるには未知が必要だ。


 一度は、演劇を中止すべきだと考えた。でもそれは問題を先延ばしにするだけだ。佐郷は来年も、再来年も請希高校の文化祭に足を運ぶだろう。俺が大学に進学すれば、今度は大学にも現れるに違いない。精神は疲弊する。過去の亡霊に闇へと引きずり込まれるのがオチだ。


 俺は未来が見たい。今の俺を取り巻くものだけじゃ満足できない。因縁に決着を付けなければ、俺は先に進めない。


「ああああああアアアアアアアアアアアッ!」


 雄叫びで怯えを押し殺して個室を出る。手に付いたガムテープのベトベトを洗い落とし、ハンカチで水滴を吸って外に続くドアノブを握った。


 ◇


 カーテンの向こう側から声が聞こえる。大勢が待機している熱気を肌で感じる。友人や家族と笑みを交わして、まだかまだかと言葉を重ねているのだろう。


 クラスメイトの表情は強張っている。教室で何度か上演したけど、場所が変わると色々勝手が違う。俺の心臓も先程からバクバク言っている。

 緊張してばかりもいられない。俺はわざと足を前に出してクラスメイトの注目を集める。


「上演の前に言っておきたいことがある」


 怪訝な視線が殺到する。小畑さんの件で一部の女子にはよく思われていない。反抗心を胸の内に渦巻かせているのが見て取れる。


 それでいい。下手に親し気にされると、これからの作業に支障をきたす。特に悲鳴なんか上げられたら全部台無しだ。そうなるくらいなら、よっしゃやったれ! と内心ほくそ笑んでくれる方がいい。


 俺はすーっと深く空気を吸い、命綱を投げ捨てる覚悟で口を開く。


「上演中は何があっても静観してほしい。もしかしたら名前を間違えるかもしれないし、予期しない人が壇上に上がるかもしれないけど、俺に合わせて演劇を続行してほしいんだ」

「は? 何それ、演劇を台無しにするぞって脅し?」

 

 小畑さんの友人が眉間にしわを寄せる。予想通りの嫌われようだ。

 俺は意図して口端を吊り上げる。


「そう受け取ってもらっても構わない。ここまで全員で準備してきたんだ、劇を台無しにされたくはないだろう?」

「最っ低」


 軽蔑の視線が突き刺さる。自覚はあるけど、心を痛めてもいられない。俺が失敗したら来年以降の催しにも禍根が残る。万が一の可能性を消すためにも、ここはくずに徹するべき場面だ。


「なーに悪ぶってんだよっ!」

 

 背後から重い物がのしかかった。芳樹だ。腕を回して、俺の肩に腕の重みを預けている。


「お前らも心配性だなぁ。今さらこいつが演劇を台無しにするわけないだろ?」

「そんなの分かんないじゃん。題材を決める時は猛反対してたし、動機はあるでしょ」

「その猛反対の姿勢を崩して、一生懸命練習してたのは誰だ? 昨日だけじゃない、午前中の上演も完璧に演じてみせたじゃないか」

「主役なんだから、きちんとやるのは当たり前じゃん」

「その当たり前が今揺らいでんだぜ? やろうと思えばできた、でもしなかった。その積み重ねが信頼ってもんだろ。俺はこいつを信用してる。何せ実績があるからな。お前らはどうだ? この文化祭、市ヶ谷以上に一生懸命やってきた自負はあるか?」


 女子が口をつぐむ。他のクラスメイトも沈黙した。


 自分のことながら、俺以上に奔走した生徒は中々いないと思っている。脚本の原案で演劇の主演。実行委員として過激な有志とヤクザのごとく語り合い、文化祭当日には自由時間を返上して校舎を歩き回った。そこまでやったクラスメイトには心当たりがない。


 芳樹が満足げに口角を上げて俺を見る。


「市ヶ谷もさぁ、無意味に悪ぶるのはやめろって。そういう悪役ムーブ似合わねえぞ?」

「別に悪役を演じたいわけじゃない」

「じゃあ言い方を変える。自重しろ。金瀬さん達が敬遠されてたのを見ただろ? お前が嫌われっと、俺や奈霧さんも変な目で見られんの」


 それを言われては言い返せない。俺は口をつぐむ。安易な手段に走ると、後でそのツケを支払わされる。芳樹達に迷惑を掛けるのは御免だ。


「お前が自信を持てないのは知ってっけどさ、少しは自分を大事にしてやれよ。まあ俺も男だし? 異名が付いて恰好付けたくなる気持ちは分かるけどな」

「人を中二病みたいに言うな」

「傍から見れば、お前は立派な中二病だぜ?」

 

 小さな笑い声が場の空気を決壊させた。予想しなかった展開を前に、俺は羞恥しゅうちで縮こまることしかできなかった。


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