罪には罰を

原滝 飛沫

1章

第1話 戻ってきた復讐者


 ピンクが落ちる。 


 風にさらわれた花弁はなびらかろやかな踊りを披露する。


 通学路を満たすのは、桜餅を思わせる甘い芳香。歩を進める少女達が表情をほころばせる。


 彼女らの身なりは黒いブレザーに白シャツと、学校に指定された制服で統一されている。新入生らしくフレッシュな空気をまとい、未来を想って友人と笑みを交わす。


 あまりにもまぶしい光景を前に、俺はたまらず目を逸らす。


「あの、新入生の人ですか?」


 左方から問いが発せられた。


 名も知らない二人組の女子が立っている。小さな肩を並べて視線をさまよわせる一方で、口元が描く曲線からは隠し切れない好意がうかがえる。


 俺は練習した笑みを顔に貼り付ける。


「ああ、新入生だよ」


 二人組から視線を外して、洒落しゃれたガラス張りの建物をあおぐ。これから通うことになる東京請希高等学校の校舎だ。高貴な白さと樹木に飾られた外観は、視界に収めるだけで心が引き締められる。


 請希高校の実態は放任主義だ。金色に染めた髪を風になびかせようが、毒々しいパープルの爪をひけらかそうが全て自由。その校風は生徒にとってパラダイスと言えなくもない。


 その一方で、請希高校の生徒に妥協は許されない。


 何といっても授業の進行スピードが過剰に早い。高校生レベルの問題を入学試験で出す学校だ。自己研鑽を怠るようなら、一年ともたず校舎を去ることになる。


 入学の際に設けられる七十オーバーの偏差値は、高度な自己管理が身についているかどうかを試す振るいだ。恋愛をたしなむなら、色恋にかまけないように気を付けなければならない。


「そうなんだ! 実は私達もなの! 同じクラスになったらよろしくね!」


 二つの顔がくしゃっと笑む。この世の春を見たような表情だ。記憶にある誰かの笑みと重なって、胸の内で黒いもやが渦を巻く。


 違うクラスだったら、俺とはよろしくしないのか? 


 意地の悪い言葉が口を突きそうになった。すんでのところで微笑を間に合わせる。


「ああ。こちらこそよろしく」


 俺は話を打ち切って女子と擦れ違う。


 背後から黄色い声が上がった。寄ってさえずる小鳥のようだ。


 微笑ましさに口端を緩めて、ちょっと可愛い子達だったなと思いつつ校門をくぐる。


 正面に人溜まりができていた。黒いブレザーをまとう人型の集団が、大きなボードの前ではしゃいでいる。顔を見合わせて談笑し、またある者は肩を落として友人になぐさめられる。下手に接近すると裏拳をくらいそうな賑わいだ。


 スラックスのポケットからスマートフォンを引き抜く。長方形の端末を掲げて、液晶画面に親指と人差し指を当てる。


 指を上下に開いてカメラをズームする。ボードに張りつけられた紙を拡大し、ずらっと並ぶ文字列を視線でなぞる。


 数百もの活字が織りなすのは、面白みのない名前の羅列だ。


『市ヶ谷釉』の文字を見つけて、自分が一年間所属するクラスを記憶する。『奈霧有紀羽』の文字も視認して昇降口へと踏み出す。


 ボード前と比べて昇降口は空いている。俺はミントグリーンのスニーカーを脱いでロッカーに突っ込む。


 上履き用に用意した同色のスニーカーを放る。紺色の靴下に包まれた足を挿して靴裏を浮かせた。


 お気に入りのスニーカーで廊下の床を踏み鳴らす。上階へ続く段差に足を掛ける。


 上った先で細長い通路を突き進む。


 左右には窓ガラスが画廊のごとく並んでいる。進の文字がくっ付いてもやはり学校は学校だ。冷気で撫でられたように首筋がゾクッとする。


 おくしかけた自分にかつを入れて、目的の教室前に足を突き立てる。ドアの取っ手に指を掛けてぐっと力をこめる。


 ドアのスライドする音が鼓膜を刺激した。ささいな物音が、床を打ったシンバルに等しい爆音に聞こえた。

 

 室内に点在するのは人影。これから一年間クラスメイトになる少年少女。殺到する彼らの視線を無視して歩を進める。座席表を確認して椅子に腰を下ろした。


 スマートフォンを握り締めてにらめっこに洒落込む。画面を凝視して話しかけるなオーラを出す。


「なぁなぁ、ちょっといいか?」


 大きな声に顔をしかめる。


 横目を向けると、人懐ひとなつっこそうな顔立ちがあった。見るからに体育会系気質バリバリな男子。中学校では運動部に属していたことがうかがえる。


 クラスメイトがいる手前、無視するわけにもいかない。億劫おっくうな気持ちに蓋をして口を開いた。


「何だ?」

「お前、校門前で女子に声かけられてたよな?」


 何を言うかと思えば、ずいぶん下世話な内容だった。あまり関わりたくないタイプだ。


 心の小人がせっせと壁を積み上げる中、少年の顔がずいっと近付く。

 

「もしかして……彼女?」


 ささやくように問われた。俺はため息混じりに首肯する。


 嘘だけど構わない。この会話が一秒でも早く終わるなら何でもいい。


 男子が目を輝かせた。


「マジで⁉ 入学式前なのにもう彼女作っちまったの⁉ すっげーっ!」


 声量がさらに増して眉をひそめた。体育会系は肺活量が多いと聞くけど、全員こんなにうるさいんだろうか。


「もう少し声抑えろよ」


 不機嫌そうな声色を叩き付けてやった。


 嘘を大声で広められては困る。あの二人の耳に入ったら色々と面倒くさい。適当にはぐらかそうとしたのが裏目に出たか。


 男子が首を傾げる。


「あれ、でも女の子は二人いたよな。両方恋人だったりする?」


 その発想はなかった。日本は一夫一妻なのに、どうやったらそんな発想ができるんだ。


 いや、二股三股する男女の話は耳にしたことがある。ヨーロッパではデーティングが一般的なようだし、それを日本人が採用していてもおかしくない。


 少なくともそれは俺の肌に合わない。恋愛ができる精神状態でもない。二股なんて、たぶん一生縁のない話だ。


 教室のあちこちでヒソヒソ話が始まった。放っておくとあらぬうわさを広められそうだ。

 

 俺は呆れを混ぜて息を突く。


「そんなわけないだろう。人を勝手に二股野郎にするな」

「じゃあどっちが彼女?」

「察しろ、冗談だよ」

「マジで⁉ いいなぁこの二股野郎ッ!」

「頭お花畑かよッ⁉ 二股なんかしてないし、そもそも俺に恋人はいない!」

「そうなの?」

「そうだのッ!」


 思わず声を張り上げてしまった。ライターであぶられたみたいに顔が熱さを増す。声を荒げた様子が可笑しかったのか、周囲でクスクスとした笑い声が上がった。


 くそ、こいつといると調子が狂う。早く距離を置かないと。


「じゃあ何を話してたんだよぅ」

「俺は挨拶しただけだ。同じクラスになったらよろしくなって」

「なーんだ。つまんね」


 少年がげんなりした。我がままな奴だ、一人勝手に盛り上がっておいて。


 しなびた顔から一転。人懐っこい表情が復活する。


「俺加藤芳樹。お前は?」

「……市ヶ谷釉いちがやゆう


 考えた末に名乗った。下手に突き放すと付きまとわれそうだし、程々の距離で接した方が寛容だろう。


「市ヶ谷だな。俺この高校に知り合いいなくてさ。よかったら仲良くしてくれよな!」


 少年がニカッと笑んだ。人を二股野郎にしておいて、えらく積極的に来たものだ。


 これから俺達を待ち受ける学校生活において、友人作りは避けて通れない。


 文化祭、体育祭。修学旅行。新入生の俺達には面倒で楽しい行事がいくつも待ち構えている。


 友人がいるといないとでは、それらを通過するに当たっての難易度が段違いだ。友人が居て困ることは滅多にない。


 だけど、この男子と友人になっていいものだろうか。


 俺に、そんな資格はあるのだろうか。


「……保留で」

「えっ、駄目⁉ 頼むよぉーっ! 俺のことは芳樹でいいからさ!」 


 加藤が体の前で手を合わせた。


 そこまでするほど独りは嫌か。この現代社会、独りでできることは数多あるというのに。


 俺はまぶたを閉じて思考を巡らせる。


 屁理屈をこねて突き放すのも体力を使う。それならいっそ、友人として受け入れた方が賢明か。


 俺は口角を上げて微笑を作る。


「分かったよ。これからよろしく芳樹」

「おう、よろしくな!」


 その人懐っこい笑みに、尻尾を振る大型犬を垣間見た。


 ブレザーの袖に隠れた腕が俺の肩目掛けて落ちた。想像以上の衝撃に揺さぶられて顔をしかめる。


「力が強いんだな。中学の頃に何かやってたのか?」

「バスケやってた。こう見えて、前の学校じゃエース張ってたんだ」

「それはすごいな。おこぼれなんてもらわなくても、すぐに恋人ができるんじゃないか?」


 中学、高校時代の恋人はアクセサリーなんて話を聞いたことがある。


 髪を短くしたから別れた、犬のフンを踏んだから幻滅したとか、しょうもない理由で破局するというのは祖父の言だ。告げる時にはやたらと熱が入っていたし、もしかすると実体験だったのかもしれない。


 その発言の真偽はどうあれ、恋愛に興味があるのは周りも同じだ。お試し感覚と思えば、好意を告げられて頷くあごも重くなる。最初の一歩さえ踏み出せれば、芳樹に恋人ができる日は遠くない。


「でもよぅ、自分から行くのって緊張するじゃん?」

「勇気出せよ。何なら今声かけろ。さあ行ってこい」


 俺は視界に入った女子へ向けて顎を突き出す。


 芳樹がブンブンとかぶりを振る。


「無理無理! これまで部活一筋だったんだぜ? どう誘えばいいか分かんねーって!」

「俺を誘ったみたいにすればいい」

「お前男じゃん」


 そうだけど。そりゃそうだけれども。


 すさまじく面倒くさい。俺はひたすら問いかけて、別の話題で話を膨らませた。目的達成のために身に着けた話術の一つだけど、まさかこんなところで使う羽目になるとは。


 ドアがガラッと音を立てた。


 同級生がぞろぞろと席に着く。スーツ姿の男性が教壇を踏み鳴らして、簡単な挨拶と以降のスケジュールを口にする。


 名簿順で自己紹介が始まり、名字のあいうえお順で席を立つ。


 自己紹介の途中で別の教師が顔を覗かせた。


 号令に従って廊下の床に靴裏を付ける。名簿順に列を作って軍隊のごとく行進し、クラスメイトに混じって階段を下る。


 歩を進めること数分。ボスが待ち受けていそうな扉の先に、品の良い座席がずらっと並ぶ。


 講堂の奥には木製の壇。その手前には小さな階段が伸びている。照明を落とせば、カーテンの裏から劇団が踊り出そうな雰囲気だ。


 クラスメイトに続いてチェアに腰を下ろす。


 程なくして、見知らぬ大人がありがたいお話を垂れる。


 想像よりも早く終わった。ガリゴリのカップラーメンが食べられそうな時間だった。


 ぼーっとする内に新入生総代が通った声を響かせた。


 講堂内が目に見えて華やいだ。少女がすらっとした手足を振り、程よく膨らんだ胸を張って直進する。ただの歩行が、女優を思わせる優雅さを帯びている。少女の足元にレッドカーペットを幻視した。

 

 周囲でひそひそ話が起こった。俺は膝の上で両の拳を固く握り締める。


 趣がある分、鈴虫の合唱の方がマシだ。


 何せ雑談の大半は、新入生総代の容姿を褒めている。入学式を終えた暁には、少女に人気者の地位が約束された。


 あの女が俺にしたことを、この場で暴露してやりたい衝動に駆られる。


 俺は奥歯を食いしばってこらえた。遠ざかる背中を射殺さんとばかりににらみ付ける。


 俺は戻って来たぞ。


 名字を変えて、母譲りの綺麗な黒髪を染料で穢し、高い偏差値の壁を乗り越えてここまで来たぞ。


 辛かった。屈辱だった。


 それら全てはこの瞬間のためにあった。過去を清算して『伏倉釉』の人生を取り戻す。そのためなら全校生徒に疎まれようが構わない。


 罪には罰を。


 そうだ。俺は奈霧有紀羽に復讐するべく、この請希高校に入学したのだから。

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