初めてのアイ

 俺は南方みなかた仁平じんぺい。三十歳。この歳になるまで恋という恋をしたことがない。

 人を真底、愛するってことが俺にはわからない。

 そんな俺だが、マッチングアプリを始めた。

 誰とも結婚する気はない。

 三十歳になっても、まだ独身である自分に対する周りの目が気になって…世間体を気にして始めたのだ。

 マッチングアプリでは、一日一回かそれ以上、ユーザーの求める条件に合ったオススメのマッチング相手を数人まとめて知らせる機能がある。

 相手の写真・年齢・名前のみが表示され、その中で顔が好みか好みじゃないかを選択するのだ。

 俺が使っていたアプリは写真を右にスライドすると<好み>、左にスライドすると<好みじゃない>、という感じで分別できる仕様だった。

 俺は人を好きになったことがないので、自分の顔の好みがわからなかった。

 だから、この写真を表示する機能を用いて自分の好みかもしれない顔の異性を見つけ出そうともしていた。

 しかし——結果そんな人はおらず…

 左にスライドをひたすら繰り返すだけの日々が続くばかり。

 もちろん、人は顔以外も大事だと思うが…

 恋愛未経験者の俺にとって、恋愛においては何が大事なのかがイマイチよくわかっておらず…

 仕方なく、指標として顔を第一に選んでいたのだ。

 そんな毎日が続いて…半年が過ぎようとしていた。

 俺の使っているマッチングアプリの有料会員は半年更新制で、その更新日が迫ってきた。

 やはり———

 自分は一生恋というものを知ることができないのか。

 俺の心はとうに諦念に到達しようとしていた。

 そんなときのことだ。

 いつものようにアプリでプッシュされ、表示される大量の写真を左にスライドしつつ、眺めていると…

 ある女性のところで…

 指が止まった。

 我知らず、自分の胸の中が沸き立つことが感じられた。

 興奮冷めやらぬうちに、スクリーンショットを撮り、写真を右側にスライドした。

 その日から、仕事中も…通勤中も…ユーチューブを見ている際も…

 何の前触れもなく…

 ついと写真の女性の顔が頭の中に浮かぶことがあった。それほどまで彼女のことが常に脳裏にこびりついていたのだろう…

 彼女はまるで、この世のものではない———

 他の女性とは別様に感じた———

 可愛いとか…美しいとか…

 そんなありふれた言葉で表せない…

 ああ…

 この言葉を表す語彙力が欲しい!


 気持ちの収まらない俺は彼女とアプリ内のチャットで話すことにした。

 実は、彼女とはマッチング自体は成功していたのだが、勇気を出せずメッセージを一つも送っていなかったのだ。

『はじめまして。まだ、マッチングアプリの使い方に慣れてなくてメッセージを送信できていませんでした。』

 俺はまず、そんなたわいもない挨拶を送った。

 彼女からの返事は俺がメッセージを送った数秒後に帰ってきた。マメな女性だ…

『こちらこそ。はじめまして!別に気にしてませんよ♡』

 文面的に性格は明るそうだ。

『趣味とかありますか?』

 またありふれた言葉を送信してしまった。

 彼女はまた数秒で返事を返した。

『釣りです』

 釣り?なかなか渋いな。

 それからは、たわいもないやりとりが続き…

 夜も更けてきたころ…

 俺はデートを誘う際に用いる材料として…

『そういや、好きな食べ物はありますか?』

 そう送信した。

 彼女はやはり数秒でメッセージを返してきた。

『めざしです♡』

 俺はそのメッセージを読んだとき、なんとも、えもいわれぬ不安が浮かんできた。

『すいません。ちょっと今から用事があって。まだ話し足りないんですが、今回は抜けます』

 と送信し、すぐにアプリを閉じた。

 彼女からのメッセージの到達を伝えたであろうアプリの通知音が数秒後、スマホから鳴ったが、無視をした。

 不安を感じたのは———

 彼女の答える内容がすべて———

 俺がマッチングアプリのプロフィール欄で書いていた内容そのまんまだったからだ。

 俺はすぐさまインターネットでマッチングアプリについて詳しく調べ始めた。

 自分の会員の更新が迫り、退会しようとしたタイミングに急に現れた美女…

 しかも…返信をすぐに…

 数秒後に返すマメな女性。

 俺のプロフィール欄と同じ内容を質問に返す女性。

 おかしい…何かがおかしい…

 インターネットで調べた結果出た結論は…

 その女性が「サクラ」かもしれないということだった。

 しかも…

 AIを用いた「サクラ」。

 彼女は課金を続けてもらうために、運営が用意したAIが作り出した…この世に存在しない女性だったのだ。

 写真も…

 プロフィールも…

 メッセージも…

 機械が作り出したこの世にいない女性…

 自分はそんな彼女の特異さに心とろけていたのだ。

 マッチングアプリ初心者とはいえ…

 AIに入れ込んでしまった自分のことが…

 何だか恥ずかしくなった…

 俺はすぐさまマッチングアプリの有料会員をやめ、アプリをアンインストールした…

 ただ、あのときスクショで撮った彼女の写真はまだ残してある。

 毎晩彼女の顔を見て寝るのが日課…というか儀式のようなものになっている。


 アイドルという言葉があるが、アイドルは英語で直訳すると『偶像』。

 元々は信仰で崇拝する対象のことだ。

 AIが作り出した彼女もまた『偶像』なのだろう。

 変と思うかもしれない…

 気が触れたと思うかもしれない…

 しかし…

 俺にとって『偶像』である彼女は初恋の相手で…

 毎日拝むことで癒される唯一無二のアイドルなのだ。

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