残像が見える女
『○○のおかげで、世界が変わって見えた』という風な文言は世の自己啓発本にありふれているが、私は本当の意味で世界が変わって見えるようになってしまった。そう、人の残像が見えるようになってしまったおかげで。
ある日の朝、目が覚めて、朝ご飯を食べた後、髪の毛をセットしたり化粧をしたり、眼鏡を外しコンタクトを装着したり、などなど出勤準備をするために洗面所の鏡に向かったときのことだ。何か違和感があった。
鏡の前の私が幾重にも重なっているように見えたのだ。
私、と言っても、その私は画像編集ソフトの不透明度を10%にしたぐらい、輪郭もぼやけ、色彩も薄く、まるで幽霊のように見えた。
私はまだ寝ぼけてるのかな?そう思いながら、時間もそんなに余裕が無かったこともあり、そのときは気にせず、出勤準備を続けた。
しかし、出勤中、その違和感は確信に変わった。
私の勤めている会社は自宅から徒歩20分程度なので、運動も兼ねて毎日、徒歩通勤をしているのだが、通勤の際、道行く人々の”変化”に驚いたのだった。
歩いているサラリーマン、早朝ジョギングをしているカップル、自転車を一所懸命漕いでいる男性、その誰もが幾重にも重なって見えたのだ。
体育の教科書の挿絵のように細かな差分まで残すその残像はひどく不気味だった。
自転車を漕いでいた男性は、私の目の前を通り過ぎたのだが、自転車を漕いでいる際の前傾姿勢そのままで自身の残像を残していった。乗っている自転車の残像は残らないので、まるで前に身体を傾けた人が何人も宙に浮いているかのように見える。
自分の残像も見えたのだが、それに関しては、自分の後ろに残るので、目に入らずそこまで気にならなかった。
この現象が起き始めて、最初の数日間は、私は気が変になりそうだった。
考えてみて欲しい。日常で出会うどんな人も重なって見えるのだ。会社、スーパー、コンビニ、カフェ、書店などにおいて、私の前に一人でも動く人が居れば、それはつまり、複数の人々に周りを埋め尽くされたかのように感じられ、満員電車のような圧迫感が生じる。
残像が消えるのはそれが生じてから1分程度だったが、それにしても、幾重もの残像を日常的に見るのはきつかった。もちろん、仕事も日常生活も正常には送れなかった。
しかしながら、人間は何事も何度も体験していくと慣れてるいくもので。
私は、1ヶ月後にはこの残像について自分独自に分析するようになっていた。
まず、気づいたのは、残像は、動く対象が早ければ、早いほど、像間隔が広くなっていることだ。
公園で鬼ごっこをしている子供は50cm程の間隔、自動車に乗っている人は1m程の間隔(もちろん座ったままの姿勢で等間隔に点々と並んでいる)だった。
試しに遠出して電車や新幹線を見たが、これに関してはあまりの人の残像の多さに頭がおかしくなりそうだったし、また、人々の残像同士が重なり合ってうまく見えなかった。
一方、レジ打ちをしている人、公園で話をしているママたちなど移動をしていない人々においては、残像はゼロ距離にあり、手の動きや顔の動きしか差分が無かった。顔の残像は実像の方がハッキリと見えるためそれに打ち消されるので、手の動きだけが見え、百手観音像のようになっていることが多々あった。
歩いている人はまだ近くに実像があるので、残像残ってんな・・・と思えるだけで良いのだが、全力で走っている人に関しては実像が無く、残像だけが残って見える場合があって、幽霊!!?と能力に慣れてきた最近になっても、ビックリしたことがあった。
次に気づいたのは、生身の人間以外では、その対象が動くものの中に居ない限りは残像が見えないということだ。簡単に言うと、家やビル、学校などといった建物の中で動く者の残像は見えないが、新幹線や電車、自動車など動くものの中に居る人々の残像は見えるということだ。つまりは、透視能力的なものとは少し違うというわけだ。
最後に気づいたのは人間以外は対象外ということだ。そう、人間以外の生物や無生物の残像は全く見えない。
日常生活を送る上でこの残像を見られる能力を活かせることはそこまで無い。
残像が見えたところで、その残像の不透明度は低いので、顔の表情を少し読み取れるぐらいなので、残像を見て、車や自転車で逃げる指名手配犯を発見するとかもできないのだ。
私が能力を手に入れてから、もう一年が経ったのだが、昨日、本当にこの能力を恨んだ出来事があった。
あれは出勤途中のできごとだった。
私はいつものルートで徒歩で会社に向かっていた。
私の横を猛スピードの自動車が通り過ぎた直後、
とてつもない衝撃音と
キャアアアア
という大きな悲鳴がした。
私の目の前で車が人を跳ねる、交通事故が起こったのだ。
事故にあった主婦は車のボンネットに直撃し、そのとき生じた衝撃で身体が跳ね上がり、私の目と鼻の先の道路に身体全体を打ち付けた。
即死だった。
私には、彼女の残像が見えた。
それは、跳ねられた直後に、宙に身体を反らせて浮かぶもので。
少し動けば当たるぐらい、顔の近くにある残像で。
私はその残像と、
目が合ってしまった。
口をあんぐりと開けて、苦悶を浮かべた彼女の表情はたとえ残像かつ透けていても、わかった。というか透けているからこそ、そこに生きたい!という未練が残っている気がして、それが私の心を抉った。
彼女のその残像は今でも私の瞼の裏に焼き付いている。比喩ではない。どんな場所でも、どんな時間でも、私の視野の中には、必ず彼女の残像が存在するようになったのだ。
私は一刻も早くこの能力を失いたい。
最後に、この記事を読んだ読者の中で医者の方がおられたら、この能力の原因や消失方法について意見を願いたいです。
お願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いします。
【参考文献】
今敏(2009)「オハヨウ」マッドハウス、NHK
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