第7話 明日が
翌朝。
やっぱり、少し気が重かったけれど、私の頭の中には、「もう大丈夫やで」という、井川くんの声が浮かんできて、その声に励まされながら、家を出た。に~には、ついてきたがったけれど、
「大丈夫。ちゃんと帰ったら報告するから」
そう言ったら、分かった、と答えて、玄関で見送ってくれた。
朝の連絡が終わって、担任の先生が職員打ち合わせのために、教室を離れるとすぐ、
「誰かのせいで、なんか空気悪いね、この教室」と、吉田さんが、私の方を見ながら、けっこう大きめの声で言った。
それは、あんたや。と内心思ったけれど、私は、黙っていた。
そのときだ。
「なあ。なんで、おまえ、この頃、佐野にあたりがきついんや?」
井川くんが言った。
「はあ? 別に、そんなつもりないけど」
思いがけない方向からタマが飛んできたという顔で、吉田さんが言うと、横から、仁科さんが、鋭い目つきで言った。
「それは、佐野さんが一番分かってるんちゃうん?」
「何よ、それ?」
井川くんが、目を細める。
「……自分が、水原くんと2人だけで美化委員の作業がしたいからって、ユカに、早く部活行ったらって言うて、体よく追い払ったんやろ。ユカも、水原くんと一緒に作業したかったのに」
ユカと呼ばれた吉田さんが、うなずく。
なんと。……そんな話になっていたのか。
「オレの聞いた話は、ちょっとちゃうけどな」そう言うと、井川くんは、目で合図をした。すると、水原くんが、教室を出て行き、両隣の教室から、それぞれのクラスの美化委員を連れて戻ってきた。委員会で見かけたことはあるけど、ほとんど話したことはない人たちだ。
「あんたらが聞いてた、この子らの会話を教えてや」
井川くんが言った。
「え~と。たしか、先輩に怒られるから部活行かなあかんねん、って」
「次やるときは、私やるから、ごめん、とか」
「そうそう。自分が聞いたのも、そんな感じ。ごめん、今度やるから、みたいな感じで」
「せやから、言われた方のこっちのひとは、1人で作業してて。あとから通りかかった水原くんが、手伝うわっていうたけど、美化委員の仕事やから、っていったん断ってた」
吉田さんは、真っ赤になった。仁科さんは、それ以上に真っ赤になった。
「ありがとう。助かった。協力してくれて」
井川くんが、証言してくれた美化委員の子たちに、ニコッと笑いかけた。優しい目だった。
「じゃあ」「もういいかな」と口々に言って、その子たちは、自分たちのクラスに帰って行った。水原くんも、ありがとう、といって、彼らを笑顔で送り出している。
「ごめん! なんか私の聞いてた話と違うわ。私、佐野さんのこと、誤解してた」
そう言って、仁科さんが、私に頭を下げた。そして、「ユカ、どうなってるん? ウソやったん?」と、吉田さんに向かって、詰め寄った。
「だって。だって、……なんか悔しかってんもん。朝も、水原くんと一緒に仲よさそうに登校してくるし、なんか、調子のってると思って、ちょっとくらい、困らせたろって思っただけやもん。ちょっと、思っただけやもん」
吉田さんは、そう言った。そんな吉田さんを呆れたように見た仁科さんが、私に言った。
「マジで、ごめん。これは、ユカがまちがってる。友達やからって、ユカの言うこと、真に受けた私も間違ってた。ごめん」
仁科さんは、いったん納得すると、とても潔かった。私は、なんだか、すごく救われた気がした。
そのときだ。
「それはそうかもしれへんけど。まだ、もう一つ、問題があるやん」
森田さんが、言った。
「スマホ持ってきて、男子の写真撮ってたの、告げ口したん、佐野さんちゃうん? それは、ひどいんちゃう?」
え? スマホ? 写真? 何のこと?
うちの学校は、スマホを持ってくるのは禁止だ。
きょとんとした私に、森田さんの横にいた、市川さんも、
「そやそや。私らに何も言わんといて、いきなり先生に告げ口するって、あんまりやん! おかげで、私らみんな、めっちゃ怒られてんで!」
勢いよく言った。女子の多くが、うんうんとうなずいている。仁科さん以外。
「あ、それ。先生に言うたん、オレ」
手をあげて言ったのは、水原くんだった。
「おれも」 三田くんも手をあげた。
「いや、おまえら、あかんて、言うてもやめへんかったし、撮らんとって、いうても、ええやんちょっとくらいって、隠し撮りもしてたやろ」
「せやから、おれらが先生に言うたんや」
さっきうなずいていた女子たちが、みんなバツ悪そうに下を向いた。
私への誤解は解けた。クラスの子たちは、私に、ごめん、と謝った。
「いいよ、誤解が解けたら」
私は、そう答えて、なんとか笑顔を作った。でも、心の中に、なんとも言えないモヤモヤしたものが残った。それは、どこか薄暗い『恐怖』みたいなもので、じわっと心の奥底に住みついてしまったようだ。
その日、私は、井川くんや水原くん、三田くんに心からお礼を言った。彼らは、クラスの不穏な空気に気づいて、どうしたらいいか相談し、手分けして動いて、しっかり情報を集めてくれたらしい。私への誤解がちゃんと解けるように。彼らのその気持ちがめちゃくちゃ嬉しかった。
家に帰って、お兄ちゃんに報告すると、一日中気をもんでたらしく、とっても喜んでくれた。お兄ちゃんに心配をかけ続けずにすんでよかった。私もホッとした。
でも、心の底に残った『人間不信』の種のような物のことは、言えなかった。口にすると、その種が育ってしまいそうで。
「大変やったな。実晴」
夜、枕元で、に~にが言った。
「うん。大変やった。でも、……ちょっといいこともあった」 私が言うと、
「そやな。……ええやつやな」 に~にが、言った。
それ、誰のこと? 聞こうと思う前に、私は、あっという間に眠りに落ちていた。
翌朝、すごく嬉しい知らせが入った。
「明日から、私、学校行けるねん」
めいからだ。
「明日は、一緒に行けるん?」
「うん。行けるよ」
「やった~!」
明日が楽しみだ、と思えるのって、こんなにも幸せなことなんだ。私は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます