眠くなるまでそばにいて

原田楓香

第1話 中間テスト 

「朝やぞ、実晴みはる。ええかげん、起きや」

 に~にの声がする。眠い目をこすりながら、声の方を見ると、ピンクのブタが、私の枕元で、カッコよくターンを決めたところだった。

「……ねえ、に~に。朝から、ひとの枕元で、ダンスするのやめてよ。おちおち寝てられへんやん」

  

 に~には、一見ブタのぬいぐるみだ。くっつけた両手のひらにのっかるくらいのサイズ。でも、中身は、私の大事なお兄ちゃん、佐野実郷さの みさとだ。

 お兄ちゃんは、1年前に事故で死んでしまった。でも、そのあと、魂だけはこの世に残った。そして、それ以来、私のお気に入りのブタのぬいぐるみ、『に~に』にその魂は宿っている。


「おまえ、今日、中間テスト初日やろ。のんびり寝てて、遅刻したらどないすんねん。試験の日は、早起きして、軽くおさらいして、余裕を持って出かけるもんやで」

「わかってるけどさ。でも、昨夜遅くまで勉強しててんから、しゃあないやん」

「……知ってるけどな。でも、おまえ、まだテスト範囲、全部は終わってへんの、わかってるか?」

「……うん」

「早いとこ、朝飯食ってこい。そのあとで、オレがヤマかけたとこだけでも、覚えていけ」

 に~にが、机の上にすっくと立って、腰に手を当てて、私を見て言った。

「りょーかい」

 そう言って、私はしぶしぶ部屋を出る。


 階下に降りると、テーブルの上に、パパの作った朝ご飯がラップをかけておいてあった。冷蔵庫の横のホワイトボードに、『仕事で、早く出るよ。テストがんばれ^^ パパ 』と、メッセージがある。

 卵焼きと、白菜とキュウリの浅漬け、ベーコンとキャベツと人参の炒め物が、ワンプレートにのっかっている。ご飯と味噌汁は、自分でよそう。

 パパは、中学校に勤めている。仕事は大変そうで、朝も早いし、土日もまともに休んだことがないけれど、こうして、私のために朝ご飯を用意してくれている。

『ご飯は、大事やからな。しっかり食べや』

 いつもそう言う。

 ママは。 ……今、ここにいはいない。お兄ちゃんの事故のあと、体の調子を崩して、心の方も不安定になってしまった。そして、今は、お母さんの故郷で、お母さんのお姉さんと暮らしている。

 

 私は、急いでご飯を食べる。パパの野菜炒めの味は絶妙だ。もともと料理好きだし、家事は何でもこなせてしまう。ママは、そんなパパにとっても頼っていた。

 お兄ちゃんの事故のあと、ママはめちゃくちゃふさぎ込んでしまって、家事も何も出来なくなった。毎日、お兄ちゃんの写真を見て、お兄ちゃんの部屋に、ボーッと座っていた。まるで魂が抜けたみたいに。そんな姿を見て、ママのお姉さんが、家を離れて、しばらく田舎の自分の家で療養することを提案したのだ。

 

「私がいなくても、大丈夫よね?」

 家を出て、お姉さんの家へ行く日の朝、ママはそんなことをぽろっと口にした。

「何言うてるん? ママがおれへんかったら……困るもん。ぜんぜん、大丈夫とちゃうし!」

 私は、必死でママの手を握って言ったけど、ママは静かに笑っただけだった。なんだか、そのとき、ママの目には私が映っていないような気がして、背中が冷たくなった。

 私がどんなにママのそばにいても。私がどんなに笑いかけても。ママの目には、入らない。そんな気がした。だから、私は……そっと手を離した。


 ――――そして、今。

 私は、パパと2人暮らしだ。誰も知らないけど、お兄ちゃんの宿った、に~にも一緒だ。


 朝ご飯を食べながら、私はぼんやりしてしまっていたようで、気がつくと、に~にが、テーブルの上で足踏みしていた。家に私以外誰もいないと思って、安心して、階段を駆け下りてきたんだろう。

 私以外の人がいると、普通のぬいぐるみのフリをしているけど、私以外誰もいないと、けっこう好き放題に動き回っている。に~にが、私の手をちょいちょいとつつく。

「箸止まってるで。早よせな、時間ないで」

「あ、うん」

 私は、あわてて箸を動かす。大急ぎで食べて、食器を片付ける。我が家では、G(つまり、ごきぶり)を見たくないので、使った食器は即片付ける。調理のときに出た生ゴミも、絶対においたままにしない。

 それでも、4年に1回くらいは出くわすときがあるけど、お兄ちゃんは、Gが誰よりも苦手で、出てきたら、『きゃあ』と、やけに可愛らしい声を上げて逃げ出してしまう。パパも同じだ。

 2人とも、たぶん、今まで一度もGと闘ったことがないと思う。いつも、Gに立ち向かう勇者の役目は私とママだった。

「うちの男たちは、情けないなあ」なんて、ママと私で笑ったものだ。


 片付けを終えて、洗面や身支度を済ませて、部屋で机に向かう。まだ、出かけるまでに、30分ほど余裕がある。に~にが机の上にすっくと立って、教科書を指さす。

「ほな、いくで」

「はい。師匠。よろしく!」

「まず、おまえ、理科が苦手やからな。ええか、このページ、大事なところは、オレがマーカー引いといたから、その言葉だけでも覚えとくんや。で、何にも他に答えが浮かばんかったら、とりあえずそれを書いといたらええ。当たるかもしれん」 

 けっこうテキトーだ。

 私は、に~にがオレンジのマーカーを引いた言葉を、ノートに書いて覚える。

「次、国語。この漢字は、絶対出る。間違いなく、出る。オレのときも出た」

「ほんとに? そんなん覚えてるん?」

「あったりまえや。まあ、オレは、漢字も英単語も1回見たやつは全部覚えてるけどな」

 に~には、強気な発言をする。

 でも、それが、けっしてはったりじゃないところが、に~にの、というかお兄ちゃんのすごいところだ。


 時間ギリギリまでおさらいをして、私は部屋を出る。『ついていきたい』と、に~には、言ったけど、

「ぬいぐるみやおもちゃなど、学習に不要なものは持ってきてはいけません、って言われてるし。に~には、留守番。」

 私がそう言うと、に~には、心配そうな顔で言った。

「気をつけていくねんで。それで、テスト中、消しゴム落としたり、鉛筆落としたりとか、困ったことや質問があったら、手をあげて先生に言うんやで」

「わかってるって。それに、そんな、コロコロ、モノ落としたりせーへんし」

「初めての、中間テストやしな。がんばってこいよ。緊張したら、兄ちゃんのこと思い出せよ。ええか」

 そういって、に~には、玄関のシューズボックスの上で、腰に手を当てて、ポーズを取る。

 頼もしい、っていうより、その姿は、なんか可愛い。

「に~に」

 私は、に~にを両手で包んで、その小さなピンクの鼻先に軽く、キスをする。

「こら、お、おまえ、何すんねん。びっくりするやろ」

 に~にが、焦った声で言って、テレている。

「に~に。ありがと。行ってくるね」

「おう。がんばってな」

 お兄ちゃんの頼もしい声がする。

 私は、笑って家を出る。


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