第6話

 前世の記憶が目覚めてからしばらく経ち、ようやく念願の休日がやってきた。

 父は休日出勤ということで勤め先の学校へと向かい、琴乃も友達と約束があるということで午前十時頃に出かけて行った。


 家に残されたのは悟円と母。ちなみに母は午前中に行うべき家事を終わらせると、そのままリビングのテーブルで、パソコンを広げて翻訳の仕事をし始めた。

 普段なら休日ても、常に傍には姉がいて一人の時間というものはほとんどないが、今日は正真正銘の自由を満喫できる。この瞬間を悟円は待ち望んでいたのだ。


(ようやくいろいろ試せるしな!)


 自室の中央に立ちながら、悟円は一週間前からちょっとずつ整理してきた膨大な記憶情報を、改めて確認していく。


(うん、うん……やっぱりこの知識量は凄いや!)


 今、悟円の脳内には、様々な記憶で溢れている。それは悟円自身が経験したものではない。いや、厳密に言うと経験したであろう記憶なのだが、それは悟円であって悟円ではない。


 とまあ、難しいことはともかくとして、悟円は記憶に従いながら自然体のまま両手を胸の前まで上げる。合掌し深呼吸を行い、目を閉じて〝あることを〟イメージする。


 するとどうだろうか、ぼんやりとだが確実に、悟円の全身から淡い山吹色の輝きが漏れ出てきた。何か特殊な装置を身に着けているわけではない。その光は明らかに悟円の身体から溢れていた。

 閉じていた目をゆっくり開けて、悟円は二ッと笑みを浮かべる。


「よし、マジでできたぞ――――気の放出!」


 そして今度は右手だけを前方へかざす。その先にあるのは小さな丸テーブルで、その上にはティッシュ箱が縦に置かれている。

 右手に意識を集中すると、全身の光が右手の先へと収束していく。それが徐々に塊になっていき球体へと姿を変える。


「――はっ!」


 腹に力を入れて声を出した直後、光の球体が前方へと飛んでいく。そのままティッシュ箱に当たると、グラグラと揺れてパタリと倒れた。


「お、おお! これもマジでできた、気弾!」


 悟円は見事に思い描いていたことができたことに喜びはしゃぐ。

 するとそこへ、急に扉が開き――。


「どうしたの、ごーちゃん? おっきな声なんか出して?」

「お、お母さん!? あ、いや……えっと……ヒ、ヒーローのマネをしてて……うるさかったらごめんなさい」

「あら、そうだったのねぇ。ふふふ、ちょっとくらいはいいけど、あまり飛んだり走ったりはしちゃダメよぉ」

「う、うん、気を付けるよ!」


 素直な悟円に、ニッコリと笑みを返した母は、そのまま扉を静かに閉めた。


(ふぅ……ついついはしゃいじゃったなぁ。バレないように気を付けないと)


 もしバレたら絶対に変に思われる。下手をすれば拒絶も……。考えたくはないが、できる限りバレないように努めることにしよう。

 しかし何故、悟円にこんなアニメや漫画にしかないような能力が備わっているのか疑問に思うだろう。


 この世界は平和な日本で、今したような魔法のような行為がありふれているわけがないはずなのだ。

 それなのに悟円が、こんなふうに〝気〟を扱えるのには当然理由がある。


 そしてそれこそ、転生する時に女神に授かった特典なのだ。

 とはいっても〝気を扱う才能〟というわけではない。

 あの時、悟円が女神に願った特典は――。


 ――『魂の知識』――


 女神から聞いた、自分を形成する魂の性質。百回以上も連続で人種として生まれ、理不尽な死を遂げたこと。


 悟円は思ったのだ。きっと自分の前世たちは、満足いく人生を謳歌できなかったはずだと。

 何せ各々が三十年も生きられずに死んでいるのだ。大きな夢を描いた者もいただろう。結婚もしていたかもしれない。大事なモノを守れなかったかもしれない。誰もがきっと遺恨を残したはず。


 だから悟円は、そんな者たちの思いや知識を背負いたいと。次の生で、それらを活用し大往生することができれば、志半ばで散った者たちへの慰めにもなるのではないかと。

 女神は驚いたが、それは面白い願いだとも口にしていた。


 それに悟円にも打算はあった。それらの知識があれば、どんな世界でも順応し、強く生きることができるのではないかと。

 知識とは武器そのものだ。活用次第で剣にも盾にもなる。何せ聞くところによると、様々な世界で生きてきた魂の知識なのだ。中には特殊な力を有した者だっていたかもしれない。


 もしそれらの力を扱える知識があれば、今度こそ理不尽なことを乗り越えることだってできるかもしれない。

 そうして『魂の知識』を特典として授かり転生したというわけだ。


 あの日、一週間前に一気に知識を得ようとして、その勢いで知恵熱を出して倒れてしまったが、その中には『気の達人』としての記憶があったのだ。

 だからできれば早く試してみたかった。もし使えるなら、これほど使い勝手の良い能力はないと知識にあったから。


 この世界にルールというものがあって、気とか魔力といったファンタジーな能力が使えない可能性もあったが、こうして実際に試して使えたことが嬉しかった。だからつい子供のように喜んでしまったというわけである。


「とはいっても、まだまだへなちょこだよなぁ。前の僕ならあれくらいの箱なら消滅させることもできたみたいだし」


 どうやら遥かに前の人生ではあるが、そこは気を扱う者が別段珍しくもない世界であり、そこで自分は『闘士』と呼ばれる存在で、必死に自らを鍛え名を残すために奮闘していたようだ。


 その理由は、幼くして亡くなった両親。彼らが死ぬ前、最強の『闘士』になった自分を見たいと言っていたことを思い出し、その願いを叶えるために強さを求めていた。


 そして実直に鍛錬した結果、達人レベルと呼ばれるまでになるが、そんな自分の功績を妬んだ者に毒殺されてしまうという悲惨な最期を迎えている。


 あと少しで最強の名に手が届いたかもしれないという矢先の出来事だったらしい。だから本来なら、本気で気を放出すれば団地ごと吹き飛ばすことだって可能らしいが、残念ながら今は、初期ということで箱に当てて倒すくらいが関の山。


 実際授かったのは〝経験値〟ではなく知識だ。つまり料理でいえば魚の捌き方は知っていても、それでいきなりスムーズに包丁を使ってプロみたいに捌けるかといえばそうではない。

 何せ肉体的、精神的鍛練も何もしていないのだ。いきなり達人のような行動ができるわけがない。


 ただ、悟円はそれを願ったのだ。最初から最強なんてつまらない。素質がゼロというのもつまらない。努力すればそれなりに報われるような優しい世界を望んだのだ。

 だからまずは力を使えた事実が嬉しいし、まだ弱いならこれから鍛えていけばいいだけ。それこそ本当の自分の力だと思っているから。


(まあ、まだ試したいことなんて山ほどあるけど)


 何せ記憶の中には、もっと面白そうな知識があるのだ。できれば全員分の知識を活用したいと思っている。そのためには……。


(長生きしないとな……今度こそ)


 そう決意し、まずは一つずつ習得していこうと、気の訓練を再開したのである。


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