第47話

 *



 クルウに中隊長への報告を任せ、ワレスは自室へ帰った。何をするのもわずらわしいほど疲れはてている。

 ラグナが消えたのは、まだ納得がいく。重傷を負っていたラグナは夢魔の攻撃を受け、抵抗できなかったのだろう。しかし、司書たちはまがりなりにも魔法使いだ。健康だし、抗おうと思えばできた。なのに、いっぺんに全員が消されるなんてことがあるだろうか?


(おかしい。何かが、おかしい)


 司書が消えたのも夢魔のせいか? 夢魔の力はそれほどまでに強大なのか?


 単独で砦を全滅させられるほどの力を有する魔物。そんなものも、なくはない。以前、魔神に相対したが、あれはそうしたものだった。あのときの魔神は本体の影にすぎなかったが、それでもほんの数刻のうちに、ボイクド砦を血で染めあげた。魔神の圧倒的なパワーの前には、ワレスでもなすすべがなかった。人間のちっぽけな力では、とうていかなわない。存在の大きさじたいが違いすぎる。あの魔神の前では人間は小さな蟻一匹だ。

 だからこそ、あれは神。魔の神なのだ。


 では、今回の夢魔はどうだろう? あれほど絶望的なまでの力を感じるかといえば、そうではない。夢のなかで見た夢魔の影も、これまで倒した魔物と毛色は少し異なるが、パワーという点ではありふれていた。何体もの魔物を退治したワレスだからこそ断言できる。


(第一、ロンドは獣王を持っている。すべての邪悪なるものを焼きつくす聖獣だぞ。そのへんの魔物なんかに、かんたんに消されるわけがない)


 そうは思うが、疲れていたので、とりあえずベッドに腰かける。しばらくして、

「何を考えているんです?」

 ハシェドに声をかけられて顔をあげた。カークやセザールはいない。ベッドに入っているわけではなく、部屋のどこにもいないのだ。


「ミレイン卿やセザールはどうした?」

「気をきかせて消えてくれたんでしょう」

「こんなときに、冗談でも消えるなんて言うなよ」

「すみません。司書が全員、消えたんですね」


 ハシェドは白い歯を見せて笑っている。


「そうだが……なんで、おまえが知ってるんだ?」

「あれ? 今、隊長が言っていましたよ」

「そうだったか?」


 声に出して言ったつもりはなかったのに、いつのまに、ひとりごとなど言っていたのだろう……。


 やはり、なんとなく何かが変だ。つい最近にもこんなふうに思ったことがあるような気がした。でも、あれはなんのときだったっけ? そう。たしか、霊体になってめざめたときだ。自分の感覚が夢だか現実だかわからない感じがして。


 それは何がなし、ワレスを不安にさせる考えだった。とほうもなくイヤな事態が起こる前ぶれみたいな。


 ワレスの気持ちを察したように、ハシェドが言う。

「隊長。そんなこと考えないほうがいいですよ。ほら、もう休みましょう」


 いつのまにか、ハシェドはとなりにいて、ワレスの寝台にいっしょにすわっていた。ハシェドの手にうながされて、靴をぬぎ、ベッドにあがる。そこまではわかる。どういうわけか、ハシェドも靴をぬいで、ついてくる。


「ハシェド?」

「クルウじゃご不満なんでしょ? おれなら、どうですか?」

「なんで、そうなるんだ?」


 おまえはおれがこうしちゃいけないと考えていると、知ってるじゃないか?


 だが、そんな気持ちはハシェドの指が流れるように肌をまさぐると、あっけなく、ほぐれてしまう。唇を重ね、求めあうと、もう止められなかった。


 この一年ずっと耐えてきた。いいじゃないか。これは体だけ。そうだ。愛してると告げたわけじゃない。


 ワレスはハシェドの褐色の肌を内側で感じた。奥深く、熱い歓びが打ちこまれるたび、涙がこぼれるほど歓喜した。


(好きだ。好きだ。ハシェド——)


 身も心もおぼろになるまで溶けあう。


「ハシェド……おれは、怖いよ」


 こんなに幸福で。


「だって、あなたが望んだんですよ」

「そんなふうに言うな。おまえも……消えてしまう」


 おれにとりついた死神が、おまえをつれていってしまう。

 涙があふれて頬をすべりおちる。ハシェドはそれを唇で吸った。


「なんで泣くんですか? こうしたかったんでしょ?」

「そうだが……してはいけなかった」

「おかしいな。まだ足りなかったかな」


 指をもぐらせてくるので、ワレスはあえいだ。


「ねえ、今、幸せですよね? 隊長」

「隊長はよせよ。こんなときに」

「じゃあ、ワレス。ずっとこうしていたいよね?」

「ああ……ずっと……」


 ついに、ハシェドはワレスにそれを言わせてしまった。


「愛してる。ハシェド。愛してる」


 ハシェドは小鳥を食べおえた猫のよう。


「じゃあ、このままずっと、こうしていよう。ねぇ、ワレス」

「ああ……」

「このまま、永遠にね」


 愛する人と結ばれて、幸福な満足感にひたっていたはずなのに、妙にワレスをみじめにさせた。なんだか、これからたっぷり大金を貢ぐことになる愛人に奉仕されているような、そんな気分。


「……ハシェドなんだよな?」

「そうですよ。あなたの愛するハシェドです」


 おかしい。何かがおかしい。ハシェドらしくない。

 ドキドキする胸を抑えて、試してみる。


「じゃあ、今度はおまえが女になれよ」

「好きにしてください」


 そこに羞恥はどこにもなかった。ハシェドはまっとうな男だから、そんな経験は皆無だろう。本来なら、ためらいがあるはずだ。


「ハシェド……」


 ワレスは気づいてしまった。

 いったい、何がおかしいのか。


 消えてしまった司書たち。ハシェドらしくないハシェド。都合よく帰ってこないクルウやカーク。


 ここは、夢の世界なのだ。

 いつからかわからないが、ワレスは夢を見続けている。夢魔に囚われ、甘い、甘い夢にひたっている。


(どおりで、変だと思ったよ)


 ワレスはハシェドの頬にくちづけた。


「ひきとめたかったんだな。おれがいらないことを考えて、真実に近づきすぎたからか?」

「行かないでくださいよ。おれが、ここにいるんですよ?」


 このまま、ハシェドとぬくもりをわかちあって、永遠にいられるなら、それもいいじゃいないか?

 そうも思うのだが。


(現実のおれは寝たままなんだろうな。きっと、ハシェドが心配してる)


 こっちのハシェドは悲しげな顔をする。それを見て、痛む胸を抑えながら、ベッドをおりた。


「すまない。すぐ帰ってくる」

「嘘だ。あなたは帰ってこない」


 たしかに、そのとおりだ。わかっていた。今ここを離れたら、二度とこの場所へは帰ってこれないと。


「ここで愛しあえたこと、忘れないよ。ありがとう」

「ワレス……」


 ひきとめるハシェドをふりきって、部屋をとびだす。薄暗い石造りの城にいたはずなのに、白大理石の柱と荘厳な壁画に飾られた、見おぼえのある廊下。少年時代をすごしたレイグラ神殿だ。

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