十章
第42話
無数の夢を集めて光る糸の中心に、それはいた。その姿は何かに似ている。直感的にそう思った。が、考えるいとまもなく、激しい衝撃を受けて、ワレスは覚醒した。
目の前に黒い影が踊っている。ロンドが夢魔を外の世界までひきずりだしたのだ。
ダグラムの魔法が瞬時に影をとらえる。それは影をがんじがらめにした。魔法の檻で夢魔を捕まえた。
(やった!)
しかし、次の瞬間、檻のなかから夢魔は消えていた。ダグラムの放った封印魔法が対象を失い、小さなつむじ風のように虚しく宙を舞いながら消滅する。
「消えた……?」
ワレスもおどろいたが、司書長はそれ以上に驚愕している。無表情な司書長にしては、めずらしく動揺していた。
「一度は成功した封印魔法がやぶられる……そんなはずは……」
「どういうことだ?」
たずねると、ダグラムは妙に年相応にモジモジした。見ためが十五、六の美少女なので、そうするとやけに可愛い。
「たしかに封印は成功しました。しかし、その内側から夢魔は消えたのです。つまり、あれは本体ではなかったのではないかと……」
「分身だったのか?」
するとよこからロンドが、いやに男らしい口調で言った。
「でも、あの夢のなかには、あいつ以外の魔物は絶対にいませんでした。それは断言できます。そうですよね? ワレスさん」
「あ? ああ……」
なんとなく圧倒されてしまう。が、その点はロンドの言うとおりだ。ワレスもあの影が夢魔だと、精神世界でのみ持てる確信で感じとった。
今度はジュールが口をひらく。
「この部屋の結界をやぶって外へ出たものは感知しなかった。それなのに、すでに室内にヤツの気配はない。完全に消えた」
まるで消失マジックだ。
すると、司書長がみんなの意見をまとめる。
「こんなふうに言ってよければ、夢魔も夢を見ていたのでしょう」
「夢?」
「夢魔の見る夢世界でのヤツの姿だったのです。つまり、あれは人間の見る夢と自分の夢をつなぐことによって、夢の世界をあやつっているのです」
「ということは、ヤツは定説のように、夢のなかに精神体で存在するわけではなく、おれたち同様、現実世界に物体としてあるというわけか」
ダグラムはうなずいた。
「魔術の常識をくつがえすことになりますが、そう考えるほうが妥当かもしれません。それがわかっただけでも収穫です」
「だが、それでは、ヤツの本体を探して息の根をとめないかぎり、眠り病はおさまらないな」
「そうです」
「一筋縄ではいかないな」
「精神に寄生するタイプの魔物は、たいがい難物です」
しかし、とりあえず、ワレスは助かった。夢魔の束縛を脱したので、ちゃんと意識が肉体に戻っている。
「ハシェドを部屋に入れてもいいか?」
「ええ。夢魔本体がこの部屋にいるとはかぎりませんから」
「本体はどうやって探すんだ?」
「砦じゅうを透視するとなると、我々では難しいです。あなたの目を貸してもらうことになるでしょう。地下の先輩がたとも話してみますので、のちほど今一度、参ります」
司書長とジュールは部屋から出ていくが、ロンドだけは途中でズレて別方向へむかう。ワレスの寝台のほうだ。
「やっぱり、まだ長時間、同調するのは疲れますね。わたくし、ちょっと休みますので」
しずしずとワレスの布団にもぐりこんだが、もう怒る気力は残っていなかった。かわりに、司書長たちのあとについて退室する。外に出ると、ハシェドだけでなく、クルウやミレイン、セザールも廊下に立っていた。
「隊長! 目がさめたんですね!」
かけよってくるハシェドを見ると、口元がゆるむ。
「心配かけたな」
「ほんとですよ。もう、よしてください。小人とか、幽霊とか、わけのわからないことになるのは」
「おれだって、なりたくてなってるわけじゃないんだが」
自分の運命の重みをあらためて思い知らされて、虚無感にうちひしがれてはいた。それでも、ハシェドと話していると、日常のささやかな幸せを実感する。
(このままでいられさえすればいいんだ。おれは……)
何千年も前の人ではないものの目をした男なんて、どうでもいい気がした。
「隊長。食事にしませんか? おれもまだなんです」
「知ってるよ。眠ってるあいだも、おまえたちの声は聞こえてた」
ハシェドの顔が赤くなるのは当然だ。かなり濃厚な愛の告白をしたのだから。
ハシェドと話ができて、とても嬉しいのだが、ようやく実体をとりもどしたので、少し気になることを明らかにしておきたい。こっちはワレスの命をおびやかす問題なので、古代の呪いより早急に手を打たなければならない。
「食堂へ行こうか。ところで、セザール。なかでロンドが寝ているんだが、ヤツは無視して、部屋の掃除をしてくれないか。大勢が出入りして、埃が舞ったからな。クルウ、監督を頼む」
クルウたちが室内に入っていくと、困惑顔でミレインが立ちつくす。
「そのあいだ、私はどうしたら?」
「おヒマでしたら、我々と食堂へ行きましょう。そのあとで文書室へまわりますので、私が事件を解決するプロセスが間近で見られますよ」
それで、三人で食堂へむかった。朝食には遅く昼食には早い時間。食堂はすいている。
「隊長、遅かったじゃないか。なんかあったの?」
いつものようにエミールが出てきて、とびついてくる。
「ああ。ちょっとな。あやうく寝たきりになるところだった」
「ええッ。あんたの年で立たなくなったら、おしまいだよ!」
エミールの下品なジョーク(本人は大マジメなようだが)にも、今日は笑みを誘われる。
食堂を出ると、宣言どおり文書室へ行く。が、文書が見たかったわけではない。
「夢魔の記述を調べるのか?」というミレインに、
「今にわかりますよ」
お茶をにごして、ワレスは薄暗い文書室に入った。長卓のならぶ窓ぎわには、絵描きのジョルジュがいて、兵士たちの似顔絵を描いている。いつもの風景だ。
ワレスがミレインをつれていったのは、文書室の奥だ。司書たちが寝室に使っているせまい六人部屋。ここの存在を知っているのは司書だけだし、この時間、司書は仕事に出ている。部屋は無人だ。密談をするにはちょうどいい。扉の外にハシェドを見張りに残して、ワレスはミレインと二人でなかへ入った。
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