第30話
そのあと、ワレスたちはそれぞれ体を洗い、会話はそこで終わった。ワレスが全裸になって背中を丸め、髪を洗っていると、一人だけ早く行水を終えたセザールが立ちあがる。
「今日は天気もよいので、洗濯しておきます。洗いものがあれば、ここに置いといてください。私は部屋にたまったものをとってきますので」
ワレスは下をむいていたので気づかなかったが、セザールだけでなく、いつのまにかクルウもいない。
「クルウはどうした?」
巻毛が水をふくんで顔や首すじに吸いついてくるのを、用意の布でふきながら、周囲を見まわす。ミレインは平民の前に裸をさらせないというので、木にもたれて待っている。いつもなら、水浴が終わっても、クルウはそのあたりにいるはずだ。
すでに服を着かけていたハシェドが照れたようすで、ワレスの裸身からそっと目をそらした。
「さっき、行きましたよ」
「どうして?」
「それは……」
ハシェドはミレインに気をつかったのか、くちごもった。言いにくい内容だったのだろうか?
「ふうん。まあいい。今日は外野がいなくてよかったな。いつも、これくらい静かならいいのだが」
急に流行りだした変な病気のせいで、ギデオン中隊の兵士は水浴びどころではないのだ。ふだんなら女に飢えた傭兵たちは、若くて美形のワレスの裸を、ただで見られるヌードショーとでも思っているらしい。ワレスが井戸にむかうと、用もなく追ってきて、まわりにたむろする。口笛や下品なヤジがウルサイほどだ。
静かに沐浴をすませたワレスたちは、今度こそ階段をあがっていった。途中で洗濯物をかかえたセザールとすれちがう。
自室のドアをあけると、クルウがお茶の支度をしていた。司書の灰色の制服の人物が一人、円卓の椅子にかけて、ワレスの帰りを待っている。しかし、ロンドにしては、どうも骨太だ。
「ロンド……じゃないな?」
「フードをしているとわからないか?」
「ああ……ジュールか」
わからないはずがあるだろうか。このだみ声。挑戦的な態度。何より、あの誰もがバケモノあつかいするロンドを嘘や冗談でなく愛しているという奇特な人物だ。
「ロンドが来ると聞いていたが」
「むろん、来ているとも。ネイフィの話では塔全体でかなりの人数におよびそうだったので、ロンド一人では手に負えないだろうと志願してきた」
「なるほど」
ロンドだけでもうっとうしいのに、ワレスをライバル視しているジュールまで来られると、ありがた迷惑なのだが。
「……わかったよ。よろしく頼む。それと、おまえは勘違いしているが、おれはおまえの味方だぞ? ロンドとうまくいくよう切望している」
ジュールが嘆息したので、彼らに進展がないとわかった。かわりに、ジュールは実務的な報告をする。
「あんたたちが留守のあいだに、二階から六階まで患者のようすを見てきた。たしかに既存の病気ではない。病原菌にしろ、寄生虫にしろ、体内に侵入する物体なら、おれの使い魔ですぐに感知できる。だが、その気配はなかった」
「病気ではないのか?」
「わからん」
いよいよ、わけがわからない。
「ところで、ロンドは?」
ジュールの吐息とともに、
「うふっ」
どこからともなく、ロンドの声がする。
ワレスはゾッとした。こういうときのロンドは、たいてい、とんでもないことをしでかしてくれる。
イヤな予感がして、声のしたほうを探す。出入り口近くにあるワレスのベッドのなかに、灰色の物体が頭巾の目元まで埋まっていた。
「きさまー!」
「ワレスさまの匂いがしますぅ」
「出ろ! 今すぐ出ろっ!」
「ああーん。今夜から、わたくし、ここでいっしょに寝させてもらいますぅ」
「意味不明な主張をするな! 早く出ろ! 布団が腐るだろうが!」
「腐りませんよ。いくらなんでも、わたくし、硫酸性生物じゃありません」
なんとかロンドを布団からひきずりだそうとする。逆にクラゲが巻きつくように、のらりくらり、ワレスをベッドにひき入れようとするロンドとの攻防が続く。が、その最中、急にロンドが悲鳴をあげた。ベッドからとびだしてくるので、ワレスはあっけにとられる。
「なんだ?」
答えたのはジュールだ。
「今、誰か死んだ。精神の波動の停止と死の衝撃が——」
「どこでだ?」
いっせいに廊下へかけだす。
「ワレスさん。あっち、あっちです」
胸さわぎがする。ロンドが指さしたのは、四号室。眠り病の患者を集めた場所だ。
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