第12話

 *



 ラグナは入ったとたん、バルバスの遺体を見て、床にしゃがみこんでしまった。


「バルバス……」

「友人の死に心が痛むのはわかる。が、感傷はあとだ」


 パニックになれば、ラグナからは何も聞きだせなくなってしまう。そう思った。自分がルーシサスを亡くしたときのことを思いだして。



 ——ぼくを信じて。ワレサ。ぼくは……。


 ——信じられるものか!


 ——ぼくはほんとに君を……。



 どうしたらと、おまえは言う。

 おまえが……と、おれは答える。

 バカなワレス。

 あのとき、ワレスはこの世のすべてを失い、我を忘れて泣き叫んだ。


「バルバスは今朝、おれが目ざめたとき、まだ寝てた」


 しかし、心配するまでもなく、ラグナはわりとしっかりしていた。うつむきつつも話しだす。


(それもそうか。おれのは、ただの友情じゃなかったからな)


 もし自分がハシェドを亡くしても、半狂乱にならずにいられるだろうか? ルーシサスのときのように。


 自らの運命を知らず、全身全霊でぶつかったのは、ルーシサスが最後だった。

 あれから十余年。ワレスはルーシィとの愛の残骸でまわりじゅうを埋め、すべての人とどこか一線を追いて接していた。魂と魂のふれあう感覚を忘れようとしていた。


 でも今、はたして、ハシェドに対して、自分はどうだろうか?

 ハシェドへの思いは(入口はジェイムズに似ていたからだったかもしれないが)、ルーシサスの死とは遠い場所にある。

 それがよけいに不安だった。ジェイムズやティアラが死なずにすんだのは、ワレスの愛が本物ではなかったからではないだろうか?

 たしかに彼らへの思いは、ルーシサスほどには深くなかった……。


(もし、そうなら、ハシェドをおれの運命から守りとおすのは、とても難しいのか?)


 ワレスの凍りつくような心地とは無関係に、ラグナは話を続ける。


「あいつは寝てる途中で起こされると機嫌悪くなるんで、おれは一人で食堂に行った。それだけだ。なんで、こんな……」


 ワレスも気をとりなおして問う。


「それを今、調べている。右手に蜂に刺されたあとがある。バルバスは以前にも蜂に刺された経験があるか?」


 蜂毒じたいでは人は死なない。しかし、まれに体質的にあわないと死にいたる事実をワレスは知っていた。


 バルバスは首をかしげる。

「そんな話、一度も聞かないな。でも、おれは砦に来てから同郷だったんで話すようになったんだ。ガキのころなら、わかんねぇな」

「おまえたちは六海州の人間だろう? だが、言葉の訛りがホルズたちとは違う。ユイラ語に近くて聞きとりやすい」

「ホルズはヴァグラだろ。おれとバルバスはキャランだからな」


 六海州はその名のとおり、六つの州からなるユイラ対岸の国だ。ヴァグラは西端。キャランは東端の州で、薬の精製、調合で古来より知られている。六海州のなかでは、やや異質な文化を誇る。ゆいいつユイラに陸続きであるせいか、人間の気質はユイラ人に近い。


「なるほど。端と端では外国みたいなものか。ほんとに、バルバスは蜂毒について、何も言ってなかったか?」

「あいつの実家は蛇の血清作る商売してるんだとは言ってたな。でも、蜂については何も」

「ふうん」


 キャランの人間なら薬や病気にくわしいはずだ。もし蜂毒に注意が必要なら、それを誰にも告げていないわけがないと思った。同郷のラグナには打ちあけているはずだ。もしかしたら、バルバス自身が自分の体質に気づいていなかったのかもしれない。


「まあ、死因は魔法使いが調べているから、すぐにわかるだろう。ところで、なぜ、バルバスがおれの部屋に入ったかわかるか? それがどうしても不自然に思える」


 ラグナは長い時間、考えていた。やがて、浅黒い肌のなかで白く見える目で、ワレスを見あげる。そうすると、上目づかいの目つきがひとくせありげに見えた。威勢がいいのはバルバスだったので、今まで彼がアニキぶんなのかと思っていた。しかし、どうやら、ブレインはラグナだったらしい。


「あいつがあんたの部屋に盗みにでも入ったと言うなら——」

「いや、それはない。以前、おれにその疑いがかかったとき、ずいぶん反抗的な態度をとってくれたからな」

「はぁん」

「おまえもふくめてだ」


 ラグナはやっと少し笑った。

「おれはようすを見てただけさ。盗人の隊長じゃ、肩を持つだけ損だしな。でも、バルバスは本気で腹を立ててた。あいつはあれで案外、純情だったんだ」

「そうかもしれないな」


 ラグナは真顔で言った。

「あんたを尊敬してたよ。あんたのマイナスになることをすると思えない。断りなく部屋に入ったなら、それなりのわけがあったんだ」

「たとえば?」

「誰かに誘われた……とかね。わかんね」


 誘われたとしたら、たまたま一号室が無人だったからだろう。だが、それなら人目を忍んで密談、そして仲たがいのすえ、死……となるのが自然な流れだ。死因は人為的なもののはず。

 しかし、砦の兵士に毒を持ち歩く者はいない。単純な傭兵のやりくちではなかった。誰だって人ひとり殺害できる凶器をつねにぶらさげているというのに。


 すると、密談とバルバスの死は別物だろうか。人目をさけて話したあと、ぐうぜん不慮の事故が起こった……?


「ダメだな。どうも納得いく考えがまとまらない。たぶん、おれの知らない事実がどこかにあるんだ。ラグナ、おまえは部屋に帰っていい。何か気づいたら教えてくれ」


 ラグナはちらりとバルバスを見て、顔をふせた。


「どうすんだ? バルバスのやつ」

「中隊長の検分も終わったからな。地下へ運ぶ」

「血清作りは毒蛇にかまれることもあるんだ。家族を危険な商売から足洗わせるために砦に来たんだって言ってた。泣くよな。あいつのお袋さん」

「……」


 こういうときのなぐさめは苦手だ。何を言っても、そらぞらしい気がする。口さきだけのなぐさめなら言えるが、バルバスはワレスにとってもすでに仲間だったから。


 沈黙していると、ラグナはひらいたままの友人の目をとじさせた。


「おれ、人、呼んでくる」

「ああ」


 ワレスが背をむけたとき、ラグナがつぶやいた。

「おれがいっしょにいてやれば、死なずにすんだかな……」


 かすかなささやきだったが、胸をえぐる決意を秘めたような声だった。ワレスはふりかえる。が、そのときには、ラグナは廊下へ出ていったあとだった。


「ここでは、よくあるのか?」

 言ったのは、部屋のすみで青い顔をしていたミレインだ。


「この部屋で人が死ぬのは初回です。だが、殉職じたいはよくあります。あなたも気をつけるのですね」


 顔をしかめて、ミレインは寝台に腰かけた。貴族のぼんぼんが若い人間の非業の死をまのあたりにするのは初めてだろう。そうとうショックを受けたようすだ。


 しばらくして、バルバスは地下に運ばれていった。

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