第9話

 *



 ジャマなロンドがいなくなって、心ゆくまで本を読めるようになった。

 ワレスたちは窓ぎわの明るい席で、砦に現れた魔物について書かれた古い文献を調べた。それを見ながら、ハシェドはユイラ語の勉強。ワレスは魔物対処法の研究だ。以前はこの席にアブセスもいたのだが。


 ミレインは感心しているようだった。

「意外だな。小隊長は案外、努力家でもあるのか」

「いざというとき、少しは参考になるかもしれないでしょう。もっとも今のところ、役立ったのは一度きり。魔物対策はケースバイケースです」

「サムウェイ小隊長は、そなたを努力なしで成功する天才だと言っていたが」

「天才なら、こんな辺境にくすぶっておりません」

「小隊長は出世したいのか?」

「私は現状に満足しております」

「皇都に帰りたくはないのか?」


 ワレスは顔をあげ、ミレインを見なおした。

「あなたには関係ないでしょう」


 ミレインは黙った。

 そうこうしているところに、血相を変えたクルウがかけこんできた。


「ワレス小隊長! すぐに来てください」

「変事か?」

「はい!」


 クルウはワレスが脱帽するほど冷静沈着な男だ。これほどあわてるのなら、重大なわけがある。大急ぎ、つれられていったのは、東の内塔五階。つまり、ワレスたちの宿舎だ。一号室の前で、青い顔をしたセザールがオロオロしている。


「小隊長……」

「何があった?」


 セザールは口をパクパクするばかりで返事にならない。その手がふるえている。かわりに、クルウが答える。


「さきほど洗濯を終えて帰ってきたときには、すでにこのように」


 クルウが扉をひらく。ワレスの寝台に近い床で、部下のバルバスが倒れていた。カッと両目をひらき、どす黒い顔をしている。息がないことはわかった。


「死んでいるのだな?」

「脈にさわってたしかめました」

「誰も部屋を荒らしていないか?」

「少なくとも、私が帰って以降は」


 ワレスは室内に入り、扉を閉めるよう命じた。


「中隊長に報告はしたか?」

「いえ、まだ。さきに小隊長にと思いましたので」


 死体にさわってみると、まだあたたかかった。ワレスたちが食堂にいた時間を入れてさえ、この部屋を出てから一刻あまりしか経過していない。そのあいだに、バルバスは何者かに殺されたのだ。


「魔物の仕業か?」

 息をつめて問いただしてくるミレインに、

「まだわかりません」

 そっけなく答える。

 ワレスは死体を検分した。


「目立つ外傷はない。室内にも、着衣にも乱れがない。争った形跡はなしか。しかし、こいつ、なぜ、おれの部屋に?」


 小隊長のワレスに報告に来たならわかる。が、今は勤務時間外だ。任務以外の急ぎの用なら、朝起きてすぐ来るだろう。ワレスがあき時間にはしょっちゅう文書室へ行ってしまうのは、部下なら誰でも知っている。


(以前、おれに盗人の嫌疑がかかったとき、バルバスはひどく腹を立てたからな。こいつ自身に盗み癖があるわけではない)


 バルバスがワレスの部屋に入る理由が、どうにもわからない。


 そのとき、ふと、ワレスはバルバスの右の指さきがかすかにれていることに気づいた。人差し指だ。よく見ると、赤くなった指の腹に、ぽつりと針でついたような小さな傷跡があった。


「これを見ろ」

 ワレスは部下たちを呼んだ。

「毒ですか?」

「ハチに刺されただけでも、人はショック死する場合がある。毒を持つ動物にかまれたか」

「蛇やハチ。そういうものですか?」

「その可能性はある。それにしても、こいつが、おれたちの部屋で死んでいる理由にはならないが」


 ワレスは考えたが、まだ情報が不足しすぎている。


「目撃者を探そう。バルバスが入室するところを見た者がないか。それと、魔術師だな。なんの毒にやられたのか調べさせよう。クルウ、おまえは中隊長に報告に行ってくれ」

「はい」


 すると、ハシェドが言う。

「じゃあ、おれはロンドを呼んできます」

「べつにロンドでなくてもかまわんが、ほかの魔法使いを使ったとわかれば、あとがウルサイな」

「ですね」


 うなずいて、かけていく。

 新米のセザールだけが、青い顔でぼうぜんとしていた。

「わ、私は、何を……」


 来てまもないのに死体を見るのは運がない。しかし、その死体が自分でなかっただけ、彼はマシなほうだ。

 ワレスはセザールの肩をたたいた。


「死体を見張っていろ」

「は……はい」


 どうにも頼りにならない二人(セザールとミレイン)を残し、ワレスは自室のドアをあけた。


「第二小隊の分隊長! ただちに一号室へ来い! 小隊長命令だ」


 日常のさまざまな音でざわついている廊下に、ワレスの声が響きわたり、一瞬、静まりかえる。しばらくして、各部屋から、ガース、バウト、マイセル、アビウスの第二から第五の分隊長が現れた。


「呼んだかよ?」


 乱暴な口をきくのは、ホルズたちと同郷の第二分隊長ガースだ。

 六海州人はふつう細身で長身だ。とはいえ、同じ目方のユイラ人にくらべれば、かなり筋肉質で、細いがよく伸びるバネのような強靭きょうじんさがある。

 ガースはそんな六海州の男にしては、規格外に重量が多い。筋肉質な体質はそのまま、体重は倍。背丈もやたらにデカい。無精髭ぶしょうひげを生やして、お世辞にもハンサムとは言えない。しかし、単純で裏表がないのが、なんと言ってもありがたい。


 むろん、ワレスが小隊長になった当初は、見ためを着飾った優男のワレスをバカにしていたなかの一人だ。ワレスが単独で盗人のぬれぎぬを晴らしてからは、どの部下も従順だが、そうでなければ今でも手こずっていたに違いない。解決後だからこそ言えるものの、あの事件はワレスにとって幸運だったのである。


「なんかあったのか? 小隊長」

「バルバスが死んだ。なぜか知らないが、おれの部屋がカラのときに入りこみ、そのまま、そこで死んでいる。この一、二刻のうちに、バルバスの姿を見た者の話が聞きたい。至急、探してくれ」

「いいけど、バルバスは第一分隊だろ。そっちのほうがよく知ってるはずだぜ」

「第一分隊には、おれがちょくせつ聞く。目撃者の有無をあとで報告に来るように。いいか? どんな些細ささいなことでもいい。見かけた者があれば、おれの部屋へ来させろ」


 念を押して分隊長たちを帰したところに、クルウがギデオン中隊長をつれてきた。

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