墜落のシリウス〜第九話 夢の縫いあと〜

涼森巳王(東堂薫)

一章

第1話



 その日、ワレスは城主コーマ伯爵から呼びだしを受けた。

 ボイクド城に来てから一年と一月。二旬に一度、国内から物資を運んでくる輸送隊が帰ったあとまもなくだ。


 大きな事件をあいついで解決し、今やすっかり砦の英雄として名をはせるようになったワレスにとって、伯爵からの招聘しょうへいはめずらしくない。先月の事件を通して、今では伯爵と私的な会話を楽しむまでに親しくなっていた。


 だが、この日の召喚は友人としてのワレスではなく、砦の英雄としてのワレスへのものらしかった。正装して大広間に来るようにと、小姓のラヴィーニから伝言を受けた。


「お呼びにつき参上いたしました。ワレス小隊長であります」


 ユイラ国境の東の果て。魔族の森から国内を守る灰色の石の城においても、大広間には緋毛氈ひもうせんが敷かれ、タペストリーや彫像で飾られ、いくらか華やいでいる。


 その緋色の毛氈の上に正装したワレスがひざまずくと、まるでそこが最果ての砦ではなく、宮廷の舞踏会でもあるかのような錯覚がある。猛々しいだけが取り柄の傭兵たちの隊長でありながら、ワレスは輝くブロンドと独特な光を放つ青い瞳のすこぶるつきの美青年だ。


 生まれ持つ気性の激しさは外見だけではわからないので、剣を手に魔物と相対するより、甘い笑顔で貴婦人のダンスの相手をしているほうが、ずっと似合いだと、最初は誰しも思う。


 しかし、この細身の美貌の金髪男が、砦に来るやいなや、次々と手柄をあげ、わずか三ヶ月で小隊長にまで昇格した。前庭の変死、人を襲うネズミの事件、本丸で続いた行方不明と、ここ数年来、砦を悩ませてきた大事件を一人で解決してしまった。

 ワレスには特別な才能がある。失われた古代の力を宿すミラーアイズのおかげもあるが、それ以上に、人並みはずれた洞察力のたまものだ。


 よって、この日の呼びだしも、何がしかの新たな事件を解決せよとの命令であろうと、ワレスは考えていた。


 だが、玉座のコーマ伯爵は何やら悦に入った表情で笑っている。城主とは言え、ワレスより六つも年下なので、子どもっぽい性格が顔に表れている。貫禄かんろくのためのつけ髭だけではごまかしきれない。


「ワレス小隊長。本日は、そなたに頼みがあるのだ」


 ワレスにとって夕刻のこの時間は、まもなく見張りに立つ仕事前だ。それを知っていて頼みというのだから、急ぎの用なのだろう。


「わたくしにできます仕儀なれば」

「私はそなたが適任と思っている。さきほど、輸送隊が帰っていった」


 輸送隊は荷物と人をおろせば、危険な砦になど、とどまりはしない。即刻、帰っていく。

 ワレスも先月辞めたアブセスのかわりに雑用をしてくれる新しい部下を入れたところだ。


「じつはな」と言って、伯爵は玉座のかたわらに立つ男をかえりみた。

 年はワレスと同じか、少し上だ。濃いブラウンの髪を形よくなでつけ、顔立ちは平凡だが、やや鼻が高すぎる。見るからに傲慢そうな男だ。


「彼は私の学友の兄上でな。学生時代に懇意こんいにしてもらった。今は皇都で宮廷官吏をしている。カーク・ル・ミレインきょうだ。ミレイン侯爵家の継承者でもある。さきほどの輸送隊で、砦に到着した。砦の実情を視察に来たのだ。ついては、そなたの隊でお世話申しあげてくれないか?」

「私の……隊で?」


 おそらく、ワレスは迷惑そうな顔をしていただろう。迷惑なのだから、当然だ。


「かまいませんが、私の部下は荒くれ者ばかり。どのような無礼を働くものでもありません。そのようなご用件ならば、近衛隊、あるいは正規隊のほうがふさわしいのではありませんか? 高貴のご身分にございますれば、適切な対応をしてさしあげられるでしょう」


 上目づかいにワレスが見ると、伯爵は苦笑いした。

 伯爵はこの身分違いの年上の友人が、一見エレガントだが、じつは権力に屈しない強情っぱりだと熟知していた。それでもワレスを好きなので、機嫌をとるのは伯爵のほうなのだ。


「城の奥で安全に守られている私のまわりなど見ても、視察の意味をなさぬではないか。なあ、頼まれてはくれぬか? そなたになら大切な客人も安心して任せられるのだ」


 なるほど。それで、わざわざ伯爵は謁見えっけんの間になど呼んだのだ。個人的な頼みではなく、城主の命令であれば、一介の兵士にすぎないワレスには逆らえない。


(やってくれたな。おぼっちゃま。おれの返事は関係なしか)


 しょうがなく、ワレスはしぶしぶながらこの話を受けた。せいぜい怖い顔で伯爵をにらんでおきつつ。それでも伯爵はニヤニヤ笑っていたが。


(山積みの書類に追われる生活をしているからな。これ以上、役人に監視までされてはたまらないと、おれに押しつけたんだな)


 ワレスは一つ嘆息する。


「心得ました。閣下のご命令とあらば、このワレス、喜んで受けましょう。が、前もって念を押しますが、砦の暮らしに不慮の事故はつきもの。尊きご子息なれど、お命の保証、しかとはいたしませぬ。それでも、よろしければ」

「む……それは、ミレイン卿も覚悟の上であろう」


 困ったようすで、伯爵はうなずいた。同じ貴族とは言え、コーマ伯爵より上位である侯爵家の継承者。つまり、次期侯爵である。皇都の役人でもある彼は、死なせてはいけない人物なのだ。


(先祖代々の廷臣というところか。おれの嫌いな人種だな)


 ワレスは深く一礼して、伯爵の御前を辞した。

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