第12話 無神論という信念について
人生は長いので、いろいろなものに興味が行き、主義主張は変わっていく。しかし、自分の人生を通して変わらなかった主義があったとしたら、それを見つけることは自分を発見する気分だ。
おれにとって、それは無神論だった。
おれは無神論について述べようとすると熱い情熱が沸き起こる。無神論のためなら頑張ろうと思える。
おれはどの宗教に対しても懐疑的だ。宗教経典などは古代中世のものなので、とても愚かで思慮が足らず、人生の助言とするのに心もとない。釈迦牟尼だけを讃える仏教徒や、イエスだけを讃えるキリスト教徒のような教祖主義は、おれは特に良くないと考えている。仏教やキリスト教の歴史の中に、釈迦牟尼やイエスより優れた者がいなかったはずがない。釈迦牟尼やイエスより優れていた者は何百人、何千人といただろう。釈迦牟尼より優れた仏教徒を挙げることのできる仏教徒、イエスより優れたキリスト教徒を挙げることのできるキリスト教徒が優れている。
結局、どの思想がよいかとなると、ごく普通にどれかの現代思想となるはずだ。
現代では、自分で考えることと、個人の多様性が強調されるので、ひとりひとりがみな自分の思想を持っているべきだ。思想など考える暇はなかったという者もいるだろう。その者たちが何に必死に打ち込んできたか、それがにじみ出ることばは心強い。
そして、おれが自分で考えた思想は無神論なのである。
おれは自分の人生を思い返して、人生を通して行ってきたことを六個、発見した。この六個こそ、おれの信念だといえるものだ。おれには信念が六個もあったのだ。嬉しくなる。そのひとつは無神論である。神を信じないことである。
残りの五個は今は秘密にしておく。あまり、簡単に教えるものでもない。
おれは、思いつくままに気軽に神学小説を乱作したことがある。どれも掌編の短いものだが、なかなか面白くできたと思っている。その数は、一神教ものが24作(キリスト教とイスラム教を含む)、仏教ものが12作、儒教ものが4作、神道ものが4作あり、分類の難しいものを含めるとさらに増える。天秤について書いたものや、北欧神話について書いたもの、ギリシャ神話について書いたものもある。
これらを書いた時も神を信じてはいなかった。
神学小説を書くなら、信仰心など持たずに書くべきだと思っている。既存の宗教教義にとらわれることなく、自由に神学を展開できる。
無神論者のおれの書いたものなので、時々、神がひどい目にあう。神の敗北も書かれる。
おれは、現実の認識として神はいないと考えているが、文化としての宗教は楽しみたい願望がある。
洗練された文化を楽しみたい。
事実の確認の積み重ねが多い者が賢いのであり、事実の確認の積み重ねが多い者が勝つのである。
現代思想はここに集約されるとおれは考えている。
そして、おれは自分の人生において、どの程度の無神論者だったのかを告白しよう。おれは二歳の時に神殺しを志したという。おれ個人には二歳児の時の記憶はない。おれは四歳で、大人になったらいつか全知全能に勝ってやろうと思っていた。そのことは覚えている。
全知全能との戦い方を考えて成長していった。神と対等であろう、神を超えてやろうと考えて生きてきた。
神が実在するという宗教に深く懐疑を持って生きてきた。
そのまま、大人になり、四十六歳の今まで、神を信じた時期は一週間と一時間しかなかった。その一週間と一時間は、たぶん、三十歳前後のことである。
神を信じた一週間は、全知全能の存在を捏造している集団にだまされたのだった。その者は力強く「私は神ですよ。全知全能ですよ」といっていた。その通りにまだ人類にとって未知であるはずのことをいくつか知っていた。それで、おれは一度は神を信じた。あれはたまたま地球に来ている全知全能なのではないかと考えた。しかし、当時のおれは一週間ごとに現実を確認しており、一週間後に現実を確認したら、全知全能の神だと信じた者がただの人類であることがわかった。それで一週間で神を信じることをやめた。あの全知全能を捏造した者はかなり手強い相手だった。宗教勢力はそのような謀略を行っている。
そのような経験をして、心に強く無神論で生きていこうと思った。
神を信じた一時間は、サッカーで神に祈ることが流行っていたので、試しにサッカーの試合で、試合中の一時間を神を信じて競技してみたのである。みんなのノリに合わせてサッカーで神を信じた。しかし、一時間して、神を信じるのをやめた。無神論でサッカーをした方がいい気分だとおれは気付いた。おれはサッカーにおいても無神論者だったのである。
この一週間と一時間以外におれが神を信じたことはない。本当にない。おれの心の中を読みとって調べても、おれは神を信じていなかったはずである。それくらいに確信をもって、おれは神を信じてはいなかった。
四十六歳まで一週間と一時間しか神を信じなかったのは、かなり短い方だと思っている。
無神論者として生きたことはおれの誇りである。
神殺しと無神論者であることが矛盾するのが、おれの思想が自分の中で整理されていないところである。神がいてそれを殺すのか、それとも神がいないのか、どちらか選べといわれると困るのである。ここにおれの欠点がある。
有神論者に対抗するにはどちらでもよかったので、おれの人生の中で神殺しと無神論者の矛盾が遅くまで明確にならなかったということがある。
今からどちらかを選ぶとなると、また面倒くさい作業なのである。この二つを混同したままで、読者が納得してくれるだろうか。
おれは人生の中で、全知全能を名のるものがただの人であることを見破ったことは十一回に及ぶのである。十一回も見破ったので、さすがに、この後に出会う全知全能を名のるものは、全知全能ではなく、ただの人であると想定して大丈夫だろう。
とりあえず、おれは自分の人生を以て、この世界に全知全能の存在はいないことを確認したことを報告する。
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