エッセイ集

ばんだな

5月のある晴れた朝に100パーセントのLINEの返信をすることについて



 LINEはどのタイミングで会話を切ればいいんだろうか。

 これは世間がゴールデンウィークで動き回っている中考えることでも、はたまた、初夏を感じさせるような快晴の日に考えることではない。健康な精神の持ち主であれば、買い物に出かけたり、絶望的な連休明けに備えて現実逃避の午睡をしたり平和な1日を過ごすべきだ。しかし私は、健全な精神なんて十数年前に失くしてしまったのでこうしてふらふらと考え事をしている。

 LINEというものが世間に浸透してから10年近く経った。健全な精神を失くすきっかけになった高校入学は、LINEの出現とは全く関係無いのだが、私が感知しない次元では恋人が繋ぐ手のように深く結びついているのかもしれない。

 私は基本的に寂しがり屋なので、要件が済んでも千夜一夜物語のシェヘラザードのようにダラダラとした雑談を続けようと試みる。大抵の人は私より社会生活に馴染んでいるため、雑談を続けてくれる。しかし私はそこに、私への存在しない好意を、もしくは不相応なほどの過剰な好意を幻覚してしまう。『この人は私ともっと話したいから会話を続けてくれている』、『この人は私と会話できなくて寂しかったに違いない』、云々。だが、実際に相手が抱いているのはテニスの壁打ちにも似た乾いた感情だけだ。ボールが来たから打ち返す。

 私は他人より文字を書き、言葉に多く触れてきたつもりだ。物語に登場する主人公の論理を使って登場人物に対峙し、ヒロインの感情を使って心象風景を理解してきた、つもりだった。LINEというのは恐ろしい。文章だけではない。私のコメントを既読するまでの時間──正確に記すなら、既読したと相手に知らせてもいいと思った時間、そして、一言だけ書かれたスタンプ。コンテキストが多すぎる。すぐ返信した方がいいのか、星間通信のように時間を空けたほうがいいのか。LINEは十数年の間、僕らの間に立ってコミュニケーションの仲立ちをしてくれてきたが、私はこの仲人のことをよく知らないままだ。別に私は毎回100パーセントの受け応えをしてチヤホヤされたいわけではない──いや、チヤホヤされはしたいが、そんなに高度なものは望んでいない。

近年は通知が行かないリアクションという機能が追加された。リアクションという名前の割には控えめな機能である。主に私はこれを終止符にしている。とはいえ、目上に対してリアクションを終止符にするのは失礼に当たらないだろうか。しかし、私が目上だったとしても、リアクションで会話を終わらせるのはなんだか図々しい気がする。どうすれば跡をLINEを終わらせられるのだろうか。

私は考えすぎなのだろうか。空が落ちてくるのを憂うように、堅牢な石橋を叩くように無意味なことなのかもしれない。ただ、私はLINEでの会話にきちんと終止符を打ちたいだけなのだ。熟年夫婦のような暗黙の了解でつつまれたものではなく、突然会議が入ったサラリーマンのようにではなく、ただ単に25歳の普段の私が行えるようなものを。

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