メンドウゴト
九月。気候がぐんと秋らしくなり、そして私の胃腸の痛みは悪化した。というのも先日の面談で、第一志望校に受かるには些か成績が足りないなどと仄めかされてしまった為である。受からないことについては、まぁどうでもいい。第一志望校と言っても一番偏差値が高いだけで思い入れは他の大学同様どこにもない。しかし困ったもので、学校的には惜しいから頑張って欲しい、らしい。また、「このまま頑張って」という、あれ。
何を頑張っているのだっけ、私。というか、何へ向けて頑張っているのだっけ。ボーっと考えていれば、終着点は必ずひとつだ。よし、面倒だから死ぬか。
いや、別に考えが飛躍したわけでもなんでもない。人類皆死ぬのだから、いつ死んだっていいと私は常々思っている。しかし今死ぬと妙な誤解を生みそうだし、死んだ後に迷惑がかかりそうで、こうしてのうのうと生きているわけだが。生きる面倒と、死ぬ面倒とを天秤に乗せた時、そろそろ生きる面倒の方に傾いてきたというだけの話だ。
「貴方が亡くなれば、僕が嘆き悲しみますよ。」
こんなリアクションに困りそうな話をするつもりは無かったのだが、やはりテンションの低さが顔に現れたらしい。言葉巧みに聞き出され、このちょっとヤバいという自覚があり余るほどある死生観をマスターに漏らしてしまった。カウンセラーに向いているじゃないかなんて思った矢先に、この発言だ。
「はい?」
「学校に乗り込んで文句言いに行ってもいい。」
表情は相変わらずのまま、マスターは言葉を重ねた。笑顔と言葉が合っていない。学校に乗り込むマスターって、この笑顔で?
「なんか似合わないですね。」
「僕、怒ると怖いですよ?」
「あぁ、それはなんか分かります。」
どこまでが本気か分からないが、死なれたら困る程度の交流にはなったらしい。大切かつレアなお客様だからかもしれないが。
「それで、どっちが面倒ですか?」
差し出されたコーヒーを飲みながら、私は小さく首を傾げた。どっちって、何と何の話だ。鞄から古典のワークを引っ張り出しながらマスターのほうを見れば、彼はいつも通り何食わぬ顔で皿を拭いている。
「えーっと、私が死んだ後マスターが暴れるのと、私がこのままのうのうと生きていくことと、どっちが面倒かってことですか?」
「そうです。」
少し想像してみる。全く赤の他人に近い、同世代より少し年上の兄ちゃんが、学校に乗り込んで、うちのお客さんはお宅の方針が面倒になって死にました、どうしてくれるのですか、ってか。いや、面倒くさいな。あらぬ誤解しか生まれない。加えて、ここ数か月で感じる彼の性格からすると……
「何と言うか、もし死んでも魂が残るなら、マスターに捕まりそうですね。そして説教されそう。」
「おや、めずらしく非科学的な話を。」
「あるかないか証明されていないものを、端から否定したりしませんよ。」
フンと鼻を鳴らせば、彼は楽しげに笑い声をあげる。なんで、ここで笑うのだ。やはり何を考えているのか分からないお人である。
「なるほど。」
明らかに含みをもって返答されたので、少しムッとして顔を上げた。
「なんですか?」
「いや、確かにそうですね。捕まえられるなら、意地でも捕まえにいきます。」
この人なら本当にやりそうだ。いや、まったくもって。
「面倒くさいなぁ。」
「じゃあ生きてくださいね。」
「なんか私、丸め込まれていませんか?」
ようやく教材を開く気が起きた。筆箱からペンを並べていく私の手元を眺めながら、何が面白いのか、マスターがクスリと笑う。
「ええ、丸め込んでいます。」
変わった人だ。そして私も大概、変わっている。
「じゃあ、マスターに会える限り生きます。あ、でも私が店に毎日来るとは限らないんだから、いつ死んだか分からなくないですか?」
「それもそうですね。じゃあ、連絡先教えてください。」
危うくコーヒーを吹き出すところだった。何を言い出すのだ、この美丈夫。
「……えマジで?ほん、え?」
礼儀も減ったくれもなくこぼした言葉に、彼は目を細める。
「おや、珍しく年相応の言葉遣いを。」
「いやバカにしないで下さい、ってそうじゃなくて、ええと、なんですかマスター、新手のナンパですか。」
「そう思っていただいても結構です。」
顔がいいと何をしても許されるのだろうか。うん、きっと顔がいいと人からの信頼度も上がるに違いない。科学的な根拠があるかは知らないが。
「あー……まぁいいや、悪用しないでくださいね。」
本当に変わった人だ。そして私も大概、変わっている。結局手渡されたメールアドレスを筆箱に突っ込んで、私は古典のワークに向き合う。せーしーすーするすれせよ。やれこんなことの後でも、なぜかここでは集中するのに困らないから不思議なものである。
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