無人の展望台

 ジェイドとアルセイドが通ったとされる港の道をフォルスとセラスは辿っていた。管理区のあった反対側と違い、復興で新しく建てられた倉庫や住居が並ぶ地域を抜けると焼失を免れた建物が残されている地区へ出た。


「この辺は当時のままなのかな」

「話によると、こっちの方で爆発音を聞いたってことですよね」


 燃えさかる住居区を突っ切って管理区へ向かったと言うことは、その反対側に彼らはいたということらしかった。


「急に古い感じになって、雰囲気が変わったね」

「そうですね。何て言うか、いかがわしいというか……」


 古い街並みからは行き場のない澱みのようなものが感じ取れた。昼間であるために街はひっそりとしていたが、おそらく夜になるとあちこちに化粧の派手な女が出てきて男を誘い、酒と薬で潰れる男を道端に投げ捨てるようなことになるのだろう。


「オルドもそうでしたけど、人の行き交いが多い場所には自然とこんな感じのところができるんですよ。港ですから、海の上にいる人は余計にこういうところに来たがるんでしょうね」

「そうかもね。あの人はこういうところが本当に大好きでしたね」


 フォルスは多種多様な薬を求めてあちこちの売り場を渡り歩く尋ね人を思い出していた。正規の取引はほぼ行われておらず、時価や売人のさじ加減で変動する値段を把握していた彼はたまに物々交換で珍しい薬を手に入れて喜んでいた。


「だけど、信じられないんですよ。あの人がそこまで薬漬けだったなんて」


 睡眠薬がないと眠れないと言っていたが、セラスは彼がそこまで薬を必要としているとは思えなかった。


「一生懸命隠していたんだと思いますよ。本当に情けないことですから」

「あの……あなたにも隠していたんですか?」


 フォルスは思い出したように語り出した。


「最初はね。ひとりでこそこそ何かやっているのはすぐわかった。宿代を節約したかったのか何なのか常に僕ひとり分だけしか部屋を取らないで、自分はわざわざ宿の外へ行って夜を明かしてて……一体何やってるんだって見に行ったら、ろくでもないことになってた」

「ろくでもないこと、ですか?」

「うん。宿の裏で酒瓶片手にずっと独り言を言っていたんだ。何を言っているかまではよくわからなかったけど、酔っ払って幻覚と話してるみたいだった。酒だけじゃない。痛み止めは針でやってるし、煙草は止まらないし、たまに変な薬でずっと笑っていることもあった」


 フォルスはゼノスから反乱前夜の不審な行動を聞いても、あまり驚かなかった。それどころかそれこそが自分がよく知っているレキ・ラブルと名乗ることにした男の姿だった。それを聞いたシェールが驚いている様子を見て、どこか後ろめたい気分になっていた。


「だから僕はあの人のこと、おかしくて怖い人だって思ってた。だけど剣の話になると真摯だし、何かと僕の面倒はみてくれたんだ。だからこそ、一体どうしてこんなことになっているのかが気になってた。自分の名前も名乗らないで、何かに追い詰められているように薬に逃げて……今ならわかるよ」


 フォルスが顔を上げると、視線の先に野良猫がいた。今は誰もいない店先の前で餌をねだっているようだった。猫はフォルスとセラスの姿を見ると一目散にどこかへ隠れてしまった。


「すごく、すごく寂しかったんだよ。そう言えば、寂しさだけを消す薬があればなんてこと言ってたな」


 かつてのティロと呼ばれていた男について語るフォルスに、セラスは何も言えなくなっていた。


「何だか、この辺りにいてもおかしくないなって思うんです」

「こんなところにですか?」

「うん。僕にもいろいろ覚えさせようとしていてね、おかげで覚えなくていいことまでいろいろ覚えさせられたよ。本当に今の僕もしょうもない奴なんだ」


 とぼとぼと歩いて行くと、ついに港の端に辿り着いたようだった。古い建物は使用されていないものも多く、捨て置かれているような場所であった。


「ここで港はおしまいですね」

「この辺からあっちの管理区まで走って行ったんですかね……」


 フォルスとセラスは通ってきた道程を振り返った。


「それにしても、こんなところで何をしていたんですかね」

「昔はもう少し賑やかだったのかもしれませんよ」


 とても子供が2人で遊びに来るような場所ではなかった。それが災禍の前からそうなのか、災禍のせいでそうなってしまったのかはここからは判別できそうになかった。港の端の端まで行って、それから宿に帰って翌日リィアへ帰ることをフォルスは決めた。


「収穫はありましたけどね、それでどうするんですか?」

「後は特務の人たちが何とかしてくれるのを待つだけになるかな……」


 今後のことをぼんやり考えながら港の端へ行くと、不思議な階段があった。


「これ、下に降りられるんですね」


 階段はせり出した岸壁の形に添って作られていた。階段の脇には古い建物があり、かつて何か食べ物を売っていたような形跡があることだけが読み取れた。


「何ですかね、ここ?」

「さあ、秘密の通路でもあるんじゃないの?」


 階段を降りていくと、下には開けた場所があるようだった。そこからは港と海がよく見渡せそうだった。


「きっと展望台だ。誰もいないけどね」


 そう言って階段を降りきる前に、セラスがフォルスを制止した。


「誰かいますよ」


 そこからは見えなかったが、展望台の奥から話し声が聞こえてきた。


「何か話し込んでいるようですね、こんなところで」


 声は盛んに何か言い合いをしているようだった。


「いや、同じ声ですね。一人ですよ」


 フォルスとセラスは顔を見合わせた。


「まあ、そういう人はそっとしておいたほうがいいと思うんですけど」


 セラスの提案も尤もであったが、フォルスはその独り言に耳を澄ませた。


「でも、この声……」


 セラスもはっとして、声に耳を澄ませた。


「まさか……」

「一応確認しましょうか。別人だったら逃げましょう」


 フォルスとセラスは恐る恐る展望台へ降りた。独り言を話している不審な人物は展望台の奥に座り込んで、煙草を吸いながら海を眺めているようだった。


「でもさ、まだ寒くなってないし、いよいよ寒くなってからでもいいと思うんだよね。やっぱりエディアは寒くないよな。コールなら今頃雪が降り始めてる頃だ。寒かったよなあ。俺寒いの嫌だってよくわかったよ。うん、わかってる。どうせいつでもいいんだから別に今すぐである必要だってないんだから。今はここで少しだけのんびりしてさ、その後のことはその後考えようかなって、そうやっていつもいつも失敗してるって? まあ失敗したけどさ、ちゃんと失敗したのは1回だけだってば? 失敗しても次があるってことは未来は明るいってことでいいんじゃないかな、ほら、俺前向きだし、もう何も持ってないし、すっきりさっぱりだよ。ある意味明日の心配しなくていいって自由だよな。自由ってこういうことなんだな。そういう考え方もあるかもしれないけど、俺は俺なの。誰でもないんだけどさ、俺なんだよ。いいじゃんそれでさ。また昔みたいにこうやって海見てお前らと喋ってさ、もうそれでいいんだよ俺は。どうせどこにも行けないってこの前決めたじゃないか。そういうのはいらない。何もいらないんだ。結局眠剤じゃダメだったんだ。あと新しい針を探さないと。それだけでいいんだ俺はもう」


 2人がそっと近づいても、独り言は止まなかった。


「こんなところで何をしているんですか、レキさん。いえ、ジェイドさん」


 フォルスの問いにジェイドは何も答えなかった。

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