彼者誰時(かわたれどき)

 空が明るくなる前、居ても立ってもいられなくなったライラが様子を見に行くと、スコップを抱えて倒れているティロの姿があった。慌てて駆け寄ると、踏み固めた土の上でティロが静かに寝息を立てていた。いつもの彼なら起こしては気の毒だと思ったが、このときばかりは起こさないわけにはいかなかった。


 ライラはティロを揺さぶった。不機嫌に怒鳴り散らすかと思ったが、意外とティロはすんなりと目を覚まして、穴の上に座り直した。


「……埋めたの?」

「ああ」


 その顔はとても穏やかで、今し方人を殺したとは思えない様子だった。


「ありがとう、ライラ。君のおかげでここまでやり遂げることができた」


 ライラはティロから復讐をしたいという言葉を聞いた夜のことを思い出した。青白い顔で、今にも消え入りそうなほど弱り切った青年がここまで憎悪を抱いていたことと、その凶行に手を貸してしまったことについてライラは少なからず罪悪感を抱いていた。


「でも、どうして、こんなこと……」

「僕は満足しているよ。あいつら二人は埋めてやった。もう二度と出てこない」


 ティロは自分に言い聞かせるように言うと、ふらふらと立ち上がった。


「じゃあ、帰ろうか。まだやるべきことが残ってるんだ」

「そうよ、明日にはみんなで首都に行くんだから……」


 ライラはふらつくティロを支えると、一緒に山道を下り始めた。ライラはティロと共に歩いていたが、昨日感じた強い孤独を拭えないでいた。


***


 村まで戻ってきても、ティロの心はどこかへ行ったようにぼんやりとしていた。


「どうしたの、やけに疲れてるんじゃないの?」

「そうだね、これだけのことをほとんど一人でやったんだ。疲れるはずだ」


 ライラは一連のティロの行動を思い返していた。ビスキに行く振りをしてレリミアを誘拐、そのままクライオに連れて行きシェールと合流した後に娼館に売り飛ばす。その後反乱のための代表者会議と称してシェールたちを案内する名目で再びリィアの首都に戻り、ザミテスの妻リニアの命を奪い息子のノチアを殺害して再び潜伏先の村に戻ってくる。更に少しずつ掘り進めていた穴の前でレリミアを見せながら昏倒させたザミテスを連れてきて、彼らを掘った穴に殺害したノチア共々埋める。これに「副業」も加えるとティロが疲弊するのも無理のないことであった。


 殺人を行ったことの他に、ティロにとって姉を殺害されて生き埋めにされた記憶と向き合うことは相当な精神の摩耗に繋がっていた。トライト家に平然と通っているように見えて、その負担が彼にとって莫大なものであることをライラは知っていた。それらから解放されたティロがそのまま消えてしまうのではないかとライラは不安で仕方なかった。


 そのまま手を離せばどこかへ行ってしまいそうなティロをライラは何とか滞在している宿に連れてきた。


「それで、ティロ・キアンは生き返ったの?」


 昨日の話の続きをしようと、ライラは尋ねた。その問いにティロは困ったような顔をして、ライラを見つめた。


「ティロ・キアンなんて人間は本当は存在しないんだよ」


 その言葉をライラは意外だとは思わなかった。


「じゃあ、一体君は誰なの?」


 それこそがライラの一番尋ねたいことであった。思えば不審な言動はたくさんあった。初めて会ったときに自己紹介の後に「名前で呼ばないでくれ」と頼んできたり、たまに名前を呼ぶと不機嫌になったり、その上での「本当の自分はまだ土の中に埋まっている」という発言から、彼の中でティロと呼ばれている人物以外の素顔があるのではないかとライラは怪しんでいた。


「誰だろうな……自分が一番、自分がわからないんだ」


 ライラは落胆したが、それがおそらくティロの「どうしても話せないこと」なのではないかと思うと予想通りの返答であった。


「ねえ……前も言ったような気がするんだけど、どうしてそんなに皆を遠ざけるの? わざと人から嫌われるようなこと言って、心配しているのに嫌われるように振る舞って」


 トライト家に潜り込んでいる際、ライラは様々な人からティロの評判を聞いていた。前筆頭ゼノスの置き土産であり、剣技においては右に出る者はないという話は共通していた。そして誰もが特にゼノスがいなくなってからのティロを心配していた。


「前に言っただろ、僕に関わると不幸になる。それだけだよ」

「そんなことない、思い込んでるだけよ」

「じゃあ君は今幸せなのか? 人殺しの手伝いをして、今から一国の王を殺そうっていうのに、君は幸せなのか?」

「それは、そう、なんだけど……」


 相変わらず突き放すようなティロの態度に、ライラはいよいよ悲しくなってきた。


「君には感謝している。それは本当なんだ。だけど、やっぱり君には僕のことは忘れてもらいたい」

「そんな、いくら何でも、それはあんまりよ。自分一人で生きてるような顔して、少しは周りのことも考えなさいよ!」


 思わず怒鳴ってしまったライラに、ティロは項垂れてしまった。


「そうだね、君の言う通りだ。ちょっと疲れすぎたみたいだ。もう少しひとりでいろいろ考えてみたい」

「でも……」


 ライラは迷った。少しでもティロから目を離せば何をするかわからないとは思ったが、要望を聞き入れて貰えないほど信じられていないことを悟られるのも更に絶望を深めるだけだとも考えた。


「ごめん、今はどうしてもひとりになりたい。誰とも顔を合わせたくないんだ」


 不安ではあったが、やはり今は彼を信じることが大事なのではないかとライラは決めた。


「わかった。でもお願いだから、死なないでね」


 今はティロを信じることしか出来ない、とライラは背中を押した。


「……頑張るよ」


 ティロは小さく呟いて、自分に宛がわれた部屋に入っていった。その姿を見届けて、ライラも自分の部屋に戻った。昨夜は眠れなかったせいで、そのままライラもうとうとと眠り込んでしまった。


***


 翌朝、明るくなってからライラの金切り声が響いた。


「どこ、どこ!? ねえどこに行ったの!?」


 ティロは部屋からも潜伏先の村からも、忽然と姿を消していた。

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