不信感

 ライラは反リィア活動家として、そしてティロはリィアの上級騎士としての日々を送りながらたまに河原で落ち合う日々が続いていた。季節は巡り、その年が終わって新たな一年が始まるところであった。


 新年早々、ゼノスの叱責が修練場に響き渡った。


「だから何故お前はそこで手を抜くんだ!?」


 修練場で一人叱られていたのはティロだった。新年最初の合同稽古は毎年上級騎士全体で勝ち抜き稽古が行われていた。ゼノスはもちろんティロが最後まで勝ち残ってくると踏んでいたが、実際には2人目でティロは敗退していた。その後どこかへふらりといなくなって、勝ち抜き稽古が終わる頃に再び姿を現した。姿を眩ませていたことよりも、ティロが本気で試合をしなかったことにゼノスは深く失望していた。


「抜いてないです、本気でした」

「本気のお前があんなに簡単に負けるものか、コールのあれは一体何だったんだ?」


 ティロが上級騎士になってからしばらく経っていたが、未だにゼノスはコール村での一件以上のティロの本気を見たことはなかった。


「あれは、寝ぼけていたから、その……」

「寝ぼけていてあれだけの試合が出来るなら、普段からあれだけの力を見せろ」

「でも……」


 何かを言いかけて、ティロは俯いてしまった。


「大体、全力で来る相手に全力を出さないことがどれだけ失礼なことなのかわかっているのか?」

「そんなの、わかってますよ」

「じゃあ、何故お前はその失礼な態度をとり続けるんだ? いつまでそうやって逃げ回っているつもりだ!?」


 その言葉にティロが強く反応した。


「逃げてなんか、いないです……逃げられるものなら、逃げ出したいくらいですね」


 声を荒げたりはしなかったが、その口調からは怒りとも絶望ともとれる強い感情が見えた。殺意と言っても差し障りのないものにゼノスは背筋に冷たいものを感じた。


(いけない、あまり刺激しないほうがいいだろう……)


 ティロの他人を遠ざけるような態度に事あるごと怒鳴りつけたくなるゼノスであったが、資料にあった「自殺未遂」の文字を思い起こす度にその怒りをぐっと飲み込んでいた。


「わかった、今日はもういい。その代わり明日の稽古には必ず顔を出せ、いいな?」


 ティロは無言で頷くとその場を立ち去った。暗くなった修練場でゼノスは一人頭を抱えた。


(こいつは一度思い詰めて死ぬところまで行ってるんだ。この剣の腕がありながら誰からも認められず、しかもコール送りなんかにされて何もかもが潰れている状況なのだろう、しかし一体どうすればいいんだ?)


 地下へも入れない閉所恐怖症が特務への道を阻んだことは当時の資料にもあったが、その後一般兵へなった経緯やコール送りになるまでの詳しいことはよくわからなかった。ティロも予備隊時代の話はぽつぽつと語ったが、一般兵になってからコール村に行くまでの数年間のことは一切語ろうとしなかった。


(何とか少しずつ心を開かせないと……)


 一度口を開けば卑屈を通り越して自虐や自己否定しか出てこないティロに、ゼノスは日々苛立ちを募らせていた。


(何だ、何が不満なんだ? 剣の腕が認められないなら、こうして上級騎士に取り立ててやって、性格はともかく剣の腕なら周囲は完全に認めざるを得ない状況にしているっていうのに、どうしてわざと負けるんだ……?)


 ゼノスはようやく過去の上官たちが「厄介者」と呼んだ理由がわかったような気がした。彼らはティロのことを「少し剣が上手いからと言って馴染もうとしない自尊心の塊のような奴」と評していたが、ゼノスはティロと向き合うことで真逆の印象を得ていた。


(まるで自尊心どころか、己を出すことすら躊躇っているようだ。あれだけの剣の腕があるなら、上級騎士の中でも十分やっていけることはあいつ自身がよくわかっているはずだ。それなのに、何故奴は本気を出さない? それどころか、自分の実力を必要以上に隠そうとしている。一体何故だ?)


 唯一ゼノスと手合わせをするときに限り、彼は遠慮なく剣を叩き込んできていた。しかしそれもコール村での一件以上の実力だとゼノスは思えず、ティロが一体何を考えているのか激しく問いただしたい気分になっていた。


***


 手応えのないティロへの説教にため息をつきながらゼノスは修練場を後にして、上級騎士隊の事務所へと戻ってきた。勤務の割り当てや警護の依頼の整理、その他の雑務を行うために常に事務所にはたくさんの書類が積み上げられていた。その中で筆頭補佐であるザミテス・トライトが事務作業に追われているようだった。


「全く、あいつの考えていることはよくわからん」

「いつものことじゃないか、放っておくに限る」


 頭を抱えるゼノスにザミテスは興味がなさそうに返答した。


「しかしな……」

「あまり心配しても、余計奴の負担になるだけじゃないかな」


 ティロ同様追い詰められているような表情をしているゼノスにザミテスは続けた。


「それに、やはりここは予備隊出身のキアン姓に務まる職務じゃない。こう言っては何だが……あの人当たりの悪さに良くない印象を持つ者もいる。奴も我々も表面上はうまく付き合っているつもりでも、心の中で何を考えているのかわかったものではない」

「そんなことは百も承知で奴を連れてきた。もし何か大きな事件を起こすようなことがあれば、俺が責任をとるつもりだとは言っているだろう」


 最初からゼノスはティロが上級騎士の職務を真っ当に遂行できるとは思っていなかった。しかし、懸念された業務に対しても表面上の付き合いも何もかもティロは完璧にこなしていた。ただ、ザミテスの言うように根本的な人付き合いから逃げていくティロはよくない印象を周囲に与えていた。


「そこまでして庇うような奴なのかね……宿舎にも寄りつかないと同室の者から聞いている。非番時はどこに行っているのかと後を付けさせたこともあるが、予備隊出身の奴に尾行は不可能だった。何度も失敗して、結局諦めるしかなかったが」


 尾行の話はゼノスの耳には入っていなかった。尾行の事実より、ゼノスはティロが尾行を振り切っても隠さなければならない何かがあるということに衝撃を受けた。


「そんなことまでしていたのか。そうすると、やはりあいつ自身にやましいことがあるってことなのだろうか」

「当たり前じゃないか。奴の自室を見たか? 不眠症だというのはわかるが、あそこまで何も持たずにベッドの上に埃が積もるような有様だ。一体どこで何をしているのか把握しなければ我々の不祥事に繋がりかねない」


 ザミテスの言うことも尤もであった。ティロの自室は異様で、私物の類いは一切見当たらずに睡眠薬の瓶が転がるだけだった。さらに非番時のティロの様子は一切わからず、ゼノスが把握しているのは非番時にも修練場で鍛錬を行っているだけだった。気晴らしと言って頻繁に街へ繰り出しているのはゼノスも知っていたが、どこで何をしているかは尋ねてはいけない雰囲気をティロは出していた。


「奴を信じたい気持ちもわかるが……ただでさえ予備隊出身だ。それに、はっきりとキアン姓は警護に入れないでくれという苦情も来ている。奴が特に何かしたわけではないのだが、それだけキアン姓は世間に受け入れられていない。奴もわきまえた身の程の場所へいた方が幸せだったかもしれないぞ」

「ではあのまま山奥へ捨て置いておけばよかったのか?」

「そんなことは言ってない。ただ、人慣れしていない野良犬を手懐けるのは至難の業だ。最悪、再び野に放ったほうが奴も幸せかも知れないという話だ」


 ザミテスの言い分に悪意も感じられたが、ゼノスもそのことについて考えていないわけではなかった。ティロの以前の暮らしについてはわからないが、彼が上級騎士になって毎日剣技に集中できて幸せかというところには非常に疑問を抱いていた。


(あいつの本音さえ聞ければ、多少はやりようがあるのだが……)


 ゼノスのため息が途切れることはなかった。

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