将来の夢

 突然、身体を握りつぶされるような感覚が蘇った。誰も助けてくれないと絶望に沈んだ記憶が蘇ってきて、思わず叫び出しそうになったのを堪えていると、急に身体が軽くなった。周囲を見渡すと、まだ時刻は夜中で明け方までは随分かかりそうであった。


「……夢か」


 悪夢で跳ね起きるなんて格好悪い、とシャスタは寝床から身体を起こした。悪夢の内容はぼんやりとしていて思い出せないが、大体の内容は検討がついていた。特務予備隊に所属させられる子供は大抵嫌な過去を持っているもので、悪夢に苦しめられたり夜中に泣き始めたりは大抵の子供が経験していることだった。シャスタは横目で隣の空になっているベッドを見て、ため息をついた。


(今日も眠れないのか……)


 シャスタは起き上がると予備隊の修練場へ向かった。予備隊生活も5年目に入り、この頃には特務への適性が認められて16歳になれば特務へ上がれるというのは確約されたようなものであった。


 修練場へ行くと、相変わらず夜中だというのに灯りも付けずに一人で剣技の鍛錬を行っている者がいた。


「精が出るな」

「なんだ、こんな夜中に」

「それはこっちの台詞だ」

「俺はいいの、いつものことだから」


 ティロは模擬刀を下げると、シャスタに向き直った。


「それより一緒に鍛錬しないか? 最近夜目の研究してるんだ」

「なんだよそれ」

「真っ暗な中で刀身をどこまで意識できるかって奴。これなら真っ暗闇でも戦える」

「何の修行だよ」

「いいから、相手になってくれよ」


 ティロはシャスタにも模擬刀を握らせると、修練場に引き込んだ。


「わかった、いいよ。どうせ眠れなくなったんだから」

「少しは俺の気持ちがわかったか」

「いや、夜目の研究とかいうのはよくわからない……」

「じゃあやろうぜ」


 ティロは修練場の入り口を閉め切った。それまで月明かりが差し込んでいた修練場は真っ暗闇に包まれた。しかしシャスタにはティロが笑顔でそこにいるのがよく見えるようだった。


「確かに……これはいい修行かもな」

「じゃあ俺から行くぜ」

「待て待て、俺は何の準備もしていないんだって……!」


 暗闇でも的確に刀身を向けてくるティロにシャスタは驚いた。


「お前、本当に見えているのか?」

「まさか、相手の位置は音と気配で今は精一杯。刀身は自分の一部だと思って振っている」

「自分の一部、か……」


 シャスタは闇に溶けたティロの居場所を探った。訓練でもたまに目隠しをして相手の位置を探るというものを行っていたが、真の暗闇で相手を探すのはまた別の感覚だと感じていた。


「確かにいい訓練になるかもな」

「だろ?」


 剣を持っている時のティロの声はいつも生き生きとしていた。しかし、その背後にひどい不眠症を隠しているのをシャスタは知っていた。夜になってもなかなか眠れない。眠りに落ちても、酷くうなされてすぐに目が覚めてしまう。数日起き続けていることも多かった。それがどれだけ苦しいものなのかは、シャスタからすれば想像することくらいしかできなかった。それでも、一時の苦痛を紛らわせることくらいはしてあげたいと思っていた。


***


 空が白み始め、閉め切っていた修練場にも光が差し込んできた。暗闇での鍛錬を終えて、二人は修練場に座り込んでいた。


「特務に上がったら、この鍛錬が役に立つかな」

「夜に相手を追い詰めるには有効かもな」

「……本当に上がれるかな、特務に」


 珍しく少し弱気になっているティロに、シャスタは不安になった。


「何言ってんだよ、俺の次に優秀な奴がなれないわけないだろ」

「何でお前の次なんだよ」

「今夜も寝てないから変に追い詰められてるだけだ。お前が特務に上がれないわけないだろう?」

「そうだ、そうだよな……一緒に特務に上がるんだもんな」


 しばらくの沈黙の後、何気なくシャスタがティロに尋ねた。


「特務に上がって、やりたいこととかあるのか?」

「そうだな……やりたいことというか、俺はここに来てなかったら多分死んでたから、せめて恩義に報いるくらいはしたいと思ってるよ」


 思っていた以上の真面目な返答にシャスタは素直に感心した。


「意外と義理堅いんだな」

「いや、そのくらいしか目標がないし」

「それでも目標立てようなんて、その発想自体が偉い」

「そうかな……普通だろ、別に」


 ティロはぼんやりとした返事をして、シャスタに尋ね返した。


「そういうお前はやりたいことあるのか?」

「俺は、特務でも情報局に入りたい」

「情報局? あんなところを志望するなんて珍しいな」

「でも、俺らしいだろ?」

「まあな」


 会話はそこで途切れた。扉から射し込む光の量はどんどん増え、時刻は朝へと近づいていった。


「さて、そろそろ部屋に……」


 シャスタは立ち上がったが、ティロは微動だにしなかった。よく見ると、模擬刀を握りしめて座り込んだまま眠っているようだった。


「……よかったな」


 これから完全に夜が明けるまでの僅かな時間がティロの貴重な睡眠時間だとシャスタは知っていた。出来ることなら部屋に連れて帰ってベッドに寝かせたいと思ったが、その時間すら彼にとっては惜しいものだった。


(これで朝には涼しい顔でおはようって言うんだから、一体どうなってるんだ)


 予備隊には様々な事情を抱えた子供しかいない。無論シャスタもその一人であったが、過度な不眠症と閉所恐怖症を抱えている反面この上ない剣技の腕を持つティロは一際異彩を放っていた。特に閉所恐怖症に関しては克服をしないと特務ではやっていけないだろうと言われていたが、呼吸が制御できなくなるほどの恐怖症への克服がなされることはなく、そのまま予備隊での時間が過ぎていった。


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