燃料切れと、大祓
*
「うおおおぉおおりゃああああああっっ!」
雄叫びが轟く。
イズミが朱金の光を纏う腕で扉を押すと、深紅に脈打つ不気味なドアはゆっくりと、ゆっくりと閉じて行く。イズミの肌に玉のような汗が浮かぶ。
カラハはイズミが扉の向こうを直視しないよう、自らの霊気の燐光で霧の如き目隠しを発生させながら、彼女の様子を見守っていた。──この扉はそんなに重く、そしてタジカラオの力はそんなに強いものなのか──少しどころかかなりの興味が湧いたものの、異界との繋がりを絶つ事が最優先であると己の好奇心を押し止めていた。
「あともう少し、十センチ程……そう、そのまま押して下さいッス」
苦悶の表情を浮かべるイズミに声を掛けながら、カラハはビリビリとした空気を感じ身構えていた。そう、異界からやって来るのはあのようなクリーチャーだけではない。知能の高い生物は勿論だが、更に厄介なモノ──別次元の神や異界の魔人、別宇宙の邪神など、脅威となるモノには事書かないのだ。
たまたま出て着たモノがコカトリスだったのはむしろ幸運の部類だった、とカラハは認識している。こちらの常識が当てはまる、こちらの攻撃が通用する相手であったからだ。そしてこの扉が、門が繋がっている事に気付かれる前に、早く扉を閉めてしまわなければならない。更に厄介な相手にこの経路を見付けられてしまう前に。
「あと四センチ、三センチ……二、一……」
「ぐうううあああああ!」
イズミが最後の力を振り絞る。重い、重い扉がゆっくりと、閉じる。
──カシャリ。
その音は扉の重さからすると余りにも軽いものに感じられた。しかしそれは無事扉が閉まった事を示すロック音であり、それを証拠に描かれていた線は光を失い、闇に溶けて徐々に消えようとしている。
「──閉じたみてェだな。イズミ先輩、お疲れさんッス」
カラハが声を掛けると同時、力を失ったようにイズミから燐光が消え、ふらりとその身体が揺らいだ。慌ててカラハが手を伸ばし抱き留めると、泡が弾けるように霊気の光が散り、一瞬でイズミの姿が変身前の普段着に戻る。
「失礼するゼ」
短く断りを入れてから横抱きにイズミの身体を抱き上げると、そのくったりと気を失った体内からは完全に霊力が尽きていた。慌てて駆け寄って着たライジンにイズミを渡し、カラハは皮肉げに口許を歪めた。
「イズミ先輩がギリギリまで霊力を練っていたのは、これが原因なんスね?」
「そ、スタミナ切れ。タジカラオの力は強大すぎて、短時間で、数分でイズミちゃん先輩の霊力はすっからかんになるってね。だから最終兵器、ってね」
力無く笑うライジンに、カラハは顎で広場の方角を示した。
「後片付けは俺らでやるスよ。気にせずイズミ先輩を下のベンチで休ませてあげて下さい。終わったら呼ぶんで」
「……お言葉に甘えるよ」
ライジンはイズミを大事そうに抱え直し、翼を広げて屋上から飛び立った。そんな鴉天狗を見送っていると、傍にポクポクと木靴を鳴らしてナユタが近寄ってくる。
「やっと終わったね」
「終わってねェよ、最後にコレ祓わねェと終われねェだろ」
「え、僕がやるの? カラハは?」
「俺、大祓覚えてねェもん」
ニヤッと笑うカラハの顔をナユタは呆れたように見上げると、懐から出した白い棒状の物でぺしっとその頭を叩いた。
「……何だコレ、──げ」
カラハがその白い物を掴んでみると、それは細長く折り畳まれた丈夫な紙だ。訝りながら蛇腹に畳まれたB4サイズのそれを広げていくと、そこには中臣大祓がご丁寧に振り仮名付きで印刷されていたのだ。
「それ見れば大丈夫でしょ。手伝えよ」
「うへェ」
呻くカラハを尻目に、笏を取り出したナユタは烏帽子の位置を整えてから背筋を伸ばす。紅い陣を前に大きく息を吸い、一度瞳を閉じてから、そしてゆっくりとその眼を開いた。
一歩後ろに立つカラハからチラリ見えるナユタの横顔はいつになく真剣で、眼鏡の似合うその顔立ちは一層理知的に見えた。
笏を構える仕草も美しく、そして腰から折れる二度の綺麗な礼は堂に入っている。笏を仕舞い滑らかな所作でスッと合わせた両手を掲げ、二度打つ柏手は高らかに響き──それだけで空気が一瞬で澄んでゆく。
再びの礼の後、ナユタの目配せにカラハは祝詞を開いた。再度笏を掲げたナユタが息を吸う。一拍置いて、奏上の声が響き始める。
「タカァーマガァーハラァニィー、カムゥーズマァーリィマァースゥー、」
普段とは違うナユタの声、独特のリズム。染み渡る色を含んだその音に、次いでカラハの一段低い圧のある声が重なり始める。
「「スメェーラガームツゥカムロギカムロミノォミコトォーモチィテー」」
二人の声は重なり混じる事で更なる力を持ち、行き渡る音色と力持つ圧によって、描かれた忌まわしき陣を断ち、解き、崩し、剥ぎ取り、そして残滓の一片に至るまで綺麗に祓ってゆく。
長い長い奏上で穢らわしき紅き光は霧散し、ナユタとカラハの霊気の混じり合った淡い光が場を洗うが如く空間を照らし、清々しい空気が道始める。
仕上げとばかりに二人は声を揃え、最後の一文を高らかに詠み上げた。
「「トミーニーキコォーシメェセートォー、モオォーーースゥーーー──」」
そして静寂の中で、ナユタは再び二拝二拍手一拝で場を締めて、──へなへなとその場にへたり込んだ。
カラハは畳んだ祝詞でポンとナユタの烏帽子を叩くと、お疲れ、と牙を見せて笑った。そのまま隣に座り込み、カラハはコートのポケットから取り出した煙草を咥える。シュッと石を擦る音とオイルライター独特の匂いが少し漂う。
「……こんなおおごとになるなんて、思ってなかったよ」
ぼやくナユタの隣でカラハが溜息のように紫煙を吐いた。そうだなァ、と呟きながら空を仰ぐ。
「でもなァ、これはこれで結構楽しかったけどな」
「そう?」
「誰かと共闘すンのなんて、ホント初めてなんだよな」
「……そうなんだ」
取り出した携帯灰皿で煙草を潰すと、残った紫煙がふわりと風に流れる。カラハがもう一本、と煙草を咥えると、横から伸びた手がサッとライターを奪った。
「吸い過ぎは良くないよ、カラハ」
そしてナユタは手の中のライターをしげしげと眺め、はい、と直ぐにカラハの手に返した。カラハはまだナユタの手の平の熱の残るライターを手の中で弄び、やがてポケットに突っ込むとナユタの肩に腕を回す。
「何だ、心配してくれてンの?」
「え、別に、その……まあ、一応」
しどろもどろになるナユタの肩をポンポンと叩き、カラハは火の点いていない煙草を咥えたまま笑った。
ふと目を遣るとまだ明けないと思っていた筈の空は、気付けばそろりそろりと薄く色付き始めている。新たな朝を藍から群青に染まり始めた空の向こうに感じ、カラハは呟く。
「そういや俺、今日誕生日なんだっけ」
十三日の金曜日の朝はもうそこまで来ている、そんな今日を感じながら、カラハは煙草のフィルターを噛んだ。
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