第一章:不機嫌続きのバースディ

包丁女と、栗まんじゅう


  *


 世界から『極東』と呼ばれる日本皇国、皇紀二六六七年。四月十二日、木曜日。


 此処は『お伊勢さん』の愛称で知られる神宮のお膝元、鮮やかな新緑に桜舞い上がる伊勢市蔵多山。


 霞掛かった春空の下、私立真宮皇道館大學のキャンパスには、二時限目の講義終了を伝えるチャイムの音が軽やかに響き渡っていた。


 まだ四月も中旬にさしかかったばかりであり、新入生のみならず上級生達までもが、新学期の非日常めいた雰囲気に心浮き立っている、そんな昼休み。


 大學のメイン校舎である二号館前の広場は、教授棟や新校舎、図書館や大學事務局に囲まれた大學の中心とも呼べる場所であり、そこは今まさに学生達の開放感溢れる喧噪で満ち満ちていた。


 ──そして、そんなさんざめく風景を見下ろしている人影が二つ。二号館と新校舎である四号館の三階同士を繋ぐ渡り廊下、その丁度真ん中辺りで手摺りに凭れるように学生二人が佇んでいた。


「ねえ読んだっすか? イズミちゃん先輩。ちょっとばかし面白い事になりそうっすよね」


「……何が」


「何がって、ナユタっちからの情報っすよ。もしかしてまた携帯忘れてんじゃないですよね?」


「失敬な。今日は持ってる」


「持っててもチェックしてなきゃ携帯の意味無いっすよ」


「いちいちうるさい。ライジンが教えてくれれば問題無いし」


「はいはい、結局そうなるんすよね」


 呆れた口調とは裏腹にヘラヘラと笑みを浮かべる男子学生──ライジンに対し、その隣で眠そうにぼうっと学生の流れを眺める『イズミちゃん先輩』こと女子学生イズミはかなり背が小さく、どうにもちぐはぐな印象を受ける二人である。


「……オナカすいた。ライジン、ゴハンは? ゴハンまだ?」


「はいはい慌てない、俺っちちゃーんとイズミちゃん先輩の為に用意してあるっすよ。ほらほらじゃーん」


 言いながらライジンが鞄からガサガサと袋を取り出すと、イズミはわたわたと慌てた様子で中身を漁った。身長の低さも相まって、まるで我慢の利かない子供のようだ。


 そして袋の一番底にあったパックに目を留めると、キラキラと輝くような満面の笑みで蓋を開けた。ぱっこん、プラスチックの軽い間の抜けた音がライジンを慌てさせる。


「あ! ちょっとそれ、食後のデザートにと思っ」


「いただきまーす」


 時既に遅し。止める間も無く、イズミはパックから取り出した栗まんじゅうにかぶりついた。


「ああもう。後でサンドイッチもちゃんと食べて下さいよ? 甘い物だけじゃ栄養偏るっすからね。それと四個全部食べちゃダメっすよ」


 ぶつぶつと聞こえる文句を左耳から右耳に素通りさせながら、イズミはひたすらに栗まんじゅうを囓り続けている。そんなイズミの為にライジンはイチゴ牛乳のパックにストローを刺してから手摺りに置き、自分用の珈琲とサンドイッチを取り出した。


 ──その時、広場に広がるざわめきに紛れて聞こえた小さな悲鳴に、二人は顔を上げた。


「……何だ?」


 ライジンが視線を遣ると、二号館の向かいに据えられた国旗掲揚台の傍にある小道から走り出て着たと思しき男が、女子寮生らしきスーツの女子にぶつかりそうになりながらも間一髪で避けてよろめき、謝りながら体勢を立て直したところだった。


 どうやら悲鳴は痛みにでは無く、驚きによるものだったらしい。怪我が無いなら何よりの、それなりに良くある光景だ。


 なーんだ、とライジンが視線を外そうとした矢先、再び走り出そうとする男の方を指してイズミが鋭い声を上げた。


「ライジン、あれ! 見て、あいつの後ろ!」


「後ろ……? ──っ!?」


 瞬間、ざわめきのボリュームが跳ね上がった。


 男が走り出てきたのと同じ小道、大學の敷地外に通ずる古い門から神道博物館を経て国旗掲揚台へ至る石造りの経路、そこから叫びながらやって来たのは──右手に持った包丁を振り上げた、白いフリフリのワンピースを着た女だった。


 包丁女は何かを喚きながらおぼつかない足取りで走っている。どうやらあの男を追って来たらしい。異様な雰囲気に人波が割れ、包丁女の周囲にぽっかりと空間が出来る。


 一方、追われていると思しき男は既に広場を抜け、二人の居る渡り廊下の下をくぐり抜けるところだった。飛び抜けて背が高く、着崩した黒いスーツに少し長い髪が流れる。


「あ」


「どした、ライジン」


「いや、あれって」


 そして男子寮生達の隙間を縫うように抜け、階段を三段飛ばしで駆け下りる後ろ姿を見送りながら、ライジンは自分の携帯を取り出した。


「さっき言ってた、ナユタっちからの情報。あいつ、凄くそれっぽいんすよね」


「……それって」


「新しく見付けたっていう術士の事っすよ」


「女に包丁持って追い掛けられる術士……?」


「なかなかいないっすよね」


 再び携帯をポケットに仕舞いながら肩を竦めるライジンと、溜息をつくイズミ。二人は必死で走る包丁女の後ろ姿を見遣りながら、揃ってストローを口にした。


「ところであの包丁の人って、国文の白鳥瑠璃子さんじゃないっすか」


「三年の? あー、不思議ちゃんで有名な」


「可愛いって男子の間では人気高いんすよ。あれ、ひょっとして痴情のもつれって奴っすかね」


「さあな」


 ずずー、とイチゴ牛乳のパックが鳴る。傾けて最後まで飲み着ると、イズミは綺麗にパックを畳みながら、じーとライジンを見上げた。


「ライジン、イチゴの無くなったから次の」


「……一気飲みしたらオナカ壊すっすよ。はいメロン牛乳」


「ありがと」


 そしてまた幸せ一杯の笑顔を向けるイズミに、ライジンはそれ以上は何も言えずやれやれとサンドイッチを頬張った。


 いつの間にか人の少なくなった広場にはいつもの平和が戻り、学生達はベンチで弁当を広げたりお喋りに興じたりと、何事も無かったかのような顔をしている。


 空を見上げれば青は淡く、鳥の囀りはかしましい。


 やれやれ、とライジンはもう一度だけ呟いてから、一個だけ残されていた栗まんじゅうにかぶりついたのだった。


  *


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