胸が痛いのは君の所為
そばあきな
胸が痛いのは君の所為
小学六年生の時、幼馴染と一緒に学校の裏山にある神社ヘお参りに行ったことがある。
その神社には、縁結びの御利益があるという話があり、幼馴染は当時好きだったクラスメイトとの仲を願うため学校終わりに向かったのだ。
そして「一人は危ないから」と付き合いで来た俺はというと、別に好きな相手もいなかったから、何をして暇を潰そうかと、歩いている間ずっと考えていた気がする。
でも、いざ神社にたどり着いて願い事をする手前で考えが変わったのだ。
到着するまで、幼馴染はどれだけ当時の想い人が素敵かを俺に熱烈に話してくれた。
俺にとって「好きか嫌いかで言うなら好き」くらいのクラスメイトをそこまで好きになれる「恋愛」というものを、俺はまだ経験したことがなった。
だから、隣で話す幼馴染が夢中になった「恋愛」がどれだけ楽しいものか、俺も知りたかった。
きっかけはその程度だったのに、現在まで俺は神様から授けられた厄介な体質を抱え続けている。
×××
授業が終わって帰りの準備をしていた時、心臓に違和感があって気付いた。
「
誰かが近くにいないことを確かめてから、俺は隣を歩く幼馴染の
言われた美央里は「え」と驚いたように目を開く。
その後しばらく目を泳がせていたが、すぐに隠し事をしても仕方ないと悟ったらしく照れたように笑った。
「……バレた?」
「バレるよ。さっき動悸が凄すぎて身体壊れるかと思ったくらいだから」
俺が心臓を押さえる仕草をすると、美央里が心配するように俺の押さえていた手に触れる。
美央里の手の温かさで、俺の鼓動が少しだけ落ち着いた気がした。
その鼓動の落ち着きが、美央里が俺に恋愛感情を持っていないことの証明に思えた。
――園田美央里の心臓の鼓動は俺に共有されている。
とはいえ、運動直後などの生理的な動悸は共有されない。
俺が共有されるのは、『恋愛』による鼓動の動きだけだ。
美央里が誰かにときめいて鼓動が速くなれば、俺の鼓動も速くなり息が苦しくなる。このことを知っているのは、あの日神社で願い事をした時にいた俺と美央里だけだ。
――――美央里と同じような恋のときめきを感じてみたい。
俺が小学六年生の時に縁結びの神様にした願い事は、俺の身体に影響を与え続けている。
「ところで、今回の相手は誰なんだ?」
帰宅までの道中で、俺は美央里に尋ねる。
今日の美央里は、いつものハーフアップではなく二つ結びにしていた。
朝に顔を合わせた時に理由を聞いたら「寝坊して時間がなかった」とのことだった。
それなら、俺が起きた時に美央里にメッセージでも入れておけばよかったのかもしれないと思ったけれど、実際にやっても美央里は起きてはくれない気がするので、提案はしないでおいた。
メッセージでなく直接部屋を訪ねても起きないと確信できるほど、美央里は朝が弱いのは小学生の頃から知っているから。
俺と美央里の家は近所だから、小学生のころから登下校は同じ班だった。
二人して両親が共働きのため、小学生の頃から一緒に帰っていて、両親が帰宅するまでどちらかの家で遊ぶことが多かったのだ。
高校生になった今ではさすがに互いの家で遊ぶことは少なくなったが、なんとなく昔からの名残で二人で帰っている。
女子と帰るのが恥ずかしいとかの感情はずいぶん前にどこかに置いてきてしまった。
周りの人たちも疑問はどこかに置いてきたのか、俺と美央里が二人で帰っていてもからかわれないことが救いだった。
俺の質問に、美央里が照れたように笑う。
「ええー……。同じクラスの
両頬を手で押さえながら、美央里はうっとりとした表情で口にする。
「ああ……今日の小テストの点数凄かったもんな」
俺の言葉に「そうそう!」と美央里がそのまま身を乗り出しそうな勢いでうなずいた。
同じクラスの速水は、黒縁のメガネが特徴的な、クラスでも頭のいい方に分類される男子だった。
ただ、本人がおとなしい性格なのか、その頭の良さをひけらかすことはなく、教室では隅で三人グループを形成している内の一人というような、どちらかと言えば目立たない生徒だった。
しかし、今日の五限目に行われた小テストで、クラスで唯一満点をとり、先生に紹介されていたので少しだけ注目が集まったのだ。
同じ小テストを受けていた身としては、どうやって最後の応用問題を時間内で解ききったのか教えてもらいたいと思っていた。
周りも同じ考えだったらしく、休み時間には速水の席にはクラスの秀才たちが解き方を教わりに集まっていた覚えがあった。
確かにあの時の速水には魅力があった。
美央里はその魅力に当てられ、恋に落ちたのだろう。
逆に言えば、今回もその程度で恋に落ちたということにもなるのだけれども。
「……来週には別の奴に惚れてるに一票」
「失礼な! 今回こそは本気かもしれないじゃない!」
「今回こそ、ね……」
そう俺がぼやいても強く否定しないあたり、美央里本人も一時的なものだと分かっているのだろう。
美央里が誰かを好きだというのは、今に始まったことではない。
――園田美央里は、いわゆる恋愛体質だった。
惚れっぽく、少しのきっかけで相手を好きになってしまうのだ。
ついでに飽きっぽくもあり、同じ人を一ヶ月と好きでい続けた試しがない。
ついこのあいだ恋が冷めたばかりかと思えば、次の週には別の人に惚れている、なんてことも多かった。
ただ、告白などのアピールをしないだけマシなのかもしれない。
これで告白癖まであったら「誰彼構わず告白する女子」なんてレッテルを貼られていた可能性もあったのだから。
そんな女子と鼓動を共有してしまったのが運の尽きだった。
今日の速水のことを語る美央里を見ていると、心臓が締まっていき、息がどんどん苦しくなる。
美央里が恋愛体質というなら、対する俺はずいぶんと限定的ではあるものの「共感覚体質」といえるのかもしれない。
痛む胸を、美央里に見えないように手で押さえる。
――――本当に、美央里も俺も、厄介な体質を抱えていた。
×××
予想していた通り、次の週には美央里は別の奴に惚れていた。
本人に聞かずとも、美央里の視線の先を見れば、今誰に惚れているかはすぐに分かる。
どうやら今のお気に入りは、隣のクラスのイケメンくんらしかった。
こちらのクラスの誰かに用があったのか、イケメンくんは休み時間の今、教室の出入り口で女子に囲まれている。美央里もその中の一人だった。
美央里がイケメンくんに話しかけるたびに、俺の心臓が締まり、鼓動の音が大きくなっていく。
心臓が痛い。助けて欲しいくらいの痛さに呼吸まで苦しくなる。
辛くて自分の机に突っ伏していると、クラスでも仲のいい男友達の
「ああ、うん」と少しだけ顔を上げて途切れ途切れに伝えると、「今日天気悪いんだなあ」と窓の外を見ているのが視界の端で見えた。
一応「とんでもない低血圧持ちで時々机に突っ伏してダウンしている」という話で今のところ通しているが、なんでバレないんだと思う。
どう見ても快晴での低血圧は、そろそろ別の原因を疑ってもいいだろう。
ぼんやりと窓の外を見ていた月原が、思い出したように俺の方へ向き直り口を開いた。
「そういえば
「……ダウナーってダウンしているって意味なのか?」
「気になるのはそこじゃないだろうよ。王子の方を気にしろ王子を」
月原が呆れたような声を出す。
どうやらダウナーの意味は教えてくれないらしい。
気になって机に伏せた状態でスマートフォンで調べたら、元は薬物用語で「抑制剤」のことをダウナーと呼ぶらしかった。
抑制剤には、気分を落ち着かせたり副作用で眠気が起きたりする。
転じて、落ち着いている、暗い雰囲気があることをダウナーと呼ぶ――と調べたサイトに書いてあった。
元々元気な方ではない上に、体質による体調不良でよく机で伏せているため、確かに周りと比べて俺は気だるく暗い雰囲気を醸し出していたことだろう。
王子の部分は知らないけれど、ダウナーと言われる理由はなんとなく理解できた。
「……別に俺はモテてないし。王子っていうなら隣のクラスの
ほら、とさっきまで教室の出入口付近にいた汐見沢に視線を向けようと顔を上げたが、いつの間にか汐見沢はいなくなっていた。
ちなみに汐見沢というのが今の美央里の好きな相手の名前だった。きっかけは多分顔だろう。そんな気がする。
「まあ、汐見沢は誰が見ても王子だよ。でもさ、最終的は好みによるだろ? 顔がいいって点で言うなら、日吉もそれなりに顔がいいとは思うけどなあ。いつも机で伏せているから話しかけずらいとは思うけどさ」
「……褒めてくれるなんて珍しいじゃん」
珍しく褒めてくれた月原に「ありがとう」と素直に伝えると「実際顔いいからな」と言われて、ちょっと恥ずかしくなった。
実際に俺の顔がいいかはさておき、月原の言うとおり、どんなにイケメンだとしても最終的はその人の好みによるとは思う。
苗字に「日」なんて入っているが、俺は明るいというよりは暗い人間だ。
でも、明るい人より暗い人の方がタイプな人もいる。
明るい髪色で笑顔の絶えない汐見沢とは対照的に、俺の髪は真っ黒で常に眠そうな目をしているけれど、それがいいって人もいるのだろう。
でも、それじゃ意味がないことは分かっていた。
「……別に、何て呼ばれていてもいいよ。何にしろ、俺は選ばれない方の王子なんだから」
俺の言葉に、月原が戸惑った表情を向ける。
「…………なあ、それって」
月原が何か言いたそうに口を開きかけたが、ちょうどチャイムが鳴って聞きそびれてしまった。
鈍い頭をなんとか働かせて、授業の準備を始める。
少しだけ視線を動かすと、美央里はすでに机に教科書を開いているのが見えた。
「
今日の授業がすべて終わって帰宅する準備をしていると、美央里に声をかけられたので、うなずいて一緒に教室を出ていく。
帰る途中で、同じく帰ろうとしていた汐見沢とすれ違った。
さっきまで俺と話すために向いていた美央里の視線が、ゆっくりと汐見沢に移る。
その瞬間、俺の心臓に痛みが走った。
針で刺されたみたいに、あるいは両手で握りつぶされるみたいに。
美央里が他の誰かに恋をするたびに、俺の胸が痛んで壊れそうになる。
周りからは落ち着いたダウナー系なんて言われているけれど、俺の中身は一切落ち着いてなんてない。
幼馴染の一挙一動で心が動き、乱れ、鼓動が高鳴ってしまう。
助けを求めるように美央里の服の裾を掴むと、それまで別のところに向いていた視線が瞬時に俺の方へと向き直った。
「……ごめん、気を付けているつもりだったんだけど」
そう言って、美央里が申し訳なさそうな顔をした。
美央里は俺の体質を知っている。あの日一緒に神社で願い事をしたから。
美央里の当時の想い人との恋愛成就は叶えなかったくせに、付添いの俺の願い事だけ叶えていく神様は不平等だと思う。
そのせいで、美央里は今日まで定期的に誰かに惚れては冷めてを繰り返し、俺も美央里の恋愛体質に振り回されている。
こんなに恋をすると胸が痛いなんて、知りたくなかった。
裾から手を放して美央里の手に触れると、ゆっくりと美央里は握り返してくれる。
幼い俺は思ったのだ。
隣にいる幼馴染が夢中になっている「恋愛」は、さぞ素晴らしいものなんだろう、と。
そして、当時恋を知らなかった俺は次第に間違いに気付いていった。
他人の恋愛感情を共有しても、自分は一切楽しくないこと。
その上、この体質で自分が美央里に一切意識されていないのが分かってしまうこと。
選ばれない自分が、情けなくなってさらに胸が痛くなること。
何度神社に取り消しを願いに行っても戻してくれないのだから、俺は一生この体質と生きていくのだろう。
多分美央里が結婚したら痛みで死ぬんだと思う。
それくらい俺の中の美央里の存在は大きいし、そうすることでしかこの体質と別れられないような気がした。
「…………落ち着いた?」
隣で美央里の心配そうな声が聞こえて、俺はうなずく。
せめて、美央里がいつか本当に誰かを好きになるまでは隣にいたかった。
×××
これからも、この胸が痛いのは君の所為だ。
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