45 伊尾のタイムスリップ

「アマハラ、大丈夫かな……」

 一日はつぶやいた。アマハラはここ三か月ほど、一度もカドにログインしていなかった。アマハラと同じ目標担当のヨコイは普通に研究を続けているようで、カドにも頻繁にログインし、本社のビルにも出入りしていた。


 三か月前、アマハラとヨコイは自分たちの時間移動の研究で、ついに人体実験に踏みきったという情報は得ていた。


 メールが届いたという通知がパソコンの画面の下の方に出てくる。一日の部下の研究員だった。カプセル第一期メンバー12人は7つの目標を手分けして達成を目指す。その際に必要となる人手を補うために、各目標ごとにギフテッドではないが、優秀な研究員が配置された。研究員たちは、一日たち、第一期メンバーの指示を聞き、手足となって働く。メールの内容は、クレナイクラゲについて、一日に見てもらいたい現象を観察したとのことだった。


 一日は長い髪をゴムでまとめると、部屋の悪趣味なインテリアとはとても似合わない、今着ているシンプルな白無地Tシャツの上から白衣を羽織り、トートバックにノートパソコン類を突っ込むと家から出た。


 4年前、一日が14歳の時、カプセルの始動のタイミングで一日は実家を離れ、東京で一人暮らしを始めた。東京は人や音が多すぎて最初はおびえ、時には気が狂いそうにもなったが、4年の歳月がそれらを緩和した。単純に一日が成長したのか、それとも、時間経過による慣れなのか。おそらくどちらもだろう。


 カプセル本社のビルまで歩く道の途中には、大学があった。群れて談笑しながら校舎から出てくる大学生の集団とすれ違う。一日は今年18歳になっていた。もしも、『普通』に生きていたとしたら、その集団の一部になって、彼らと談笑していたのかもしれない、と一日は想像した。大学生のカップルが並んで歩いてくるので一日は車道に少しはみ出すようにして道を譲る。カップルは一日が向かいから来るのを見て、微笑みながら一列になって一日が車道に出ずに済むように道を開ける。一日は白衣のポケットに両手を突っ込み、小さく会釈をして進路を変えずにすれ違う。


 近頃一日は、『愛』について考えていた。人間の精神をアバターにそっくり移し替えるのなら、人間が姿かたち以外人間のままでいるためには、どうしても必須のもののように思えて仕方がなかった。アバターは新たなアバターを創り出すことができない。生殖機能を持たず、赤ん坊を生むことができないため、楽園を存続させていくには、人間の手で新たな命を造り出す必要がある。無限に造り出すことも、システマチックに等間隔に造り出すことも可能だが、どちらも人間らしくはない気がする。人間らしさを失ったら、自分が人間らしくないと気付いてしまった時、人間は果たして耐えられるだろうか。いや、きっと耐えられない。自らの存在への疑問で駄目になってしまうにちがいない。だからこそ、生まれるということに意味を持たせる必要がある。死ぬまで自分の存在を疑わなくてすむような、強烈な意味。


「それが、愛なのかなぁ……?」

 漠然とした、未知の荒野をさまよっているかのような感覚だった。人間が新たに生み出される時、愛というものだけがそれを可能にしているとは思えない。もっと、打算や偶然、無責任、成り行きなど、そういうものも関わって生み出される。


「でもまあ、愛かな」

 一日はつぶやいた。楽園はある意味理想郷だ。人間という種と、その知識と英知の保存が目的の、人工の世界。それならなるべく理想的なものを組み込みたい。一日は自分に苦笑する。なんて非科学的な言葉に頼ったロマンチズムだろう。


❀ ❀ ❀


「え、カプセルが?」

 一日がそのニュースを知ったのは、マネージャーや同期からの情報ではなく、インターネットのトップニュースだった。飲んでいたペットボトルの緑茶を危うくパソコンにこぼしそうになる。


 その記事には、灰色の煙を天高く吐き出して炎上する高層ビルの写真が載っていた。カプセルの本社の研究施設だった。時間移動の研究をしていた階で大爆発が起きたという。何十人かの研究員が巻き込まれて死亡したとあった。


「マネージャー!このニュースはどういうこと?」

 一日が呼びかけると、パソコンの画面にマネージャーとのオンライン通話画面が現れる。


『41階、アマハラさんの個人研究スペースに何者かが銃を発砲するなどして乱入し、研究中の大型装置を乗っ取り、そのフロアにいた研究員12名が死亡、7名が重症を負いました』


 アマハラという名前を聞くのはかなり久しぶりのことだった。アマハラは2年ほどカプセルに顔を出していなかった。ヨコイの研究を手伝っている風もなく、他のメンバーの間ではアマハラはカプセルを辞めたのではないかという憶測まで飛び交っていた。


「乗っ取った装置ってもしかして、タイムマシン?」


『はい。外部カメラの映像記録によりますと、爆発直前にビルの窓を破った車のような物が空中に飛び出しているようです』

 画面に爆発直前のコンマ数秒の映像が流れる。確かに車のようなものが空中に飛び出し、その直後に画面が多すぎる光量のせいで一瞬真っ白になり、爆発が起きた。


「アマハラは無事なの?」


『無事を確認済みです。事故当時、アマハラさんは自宅にいたそうです』


 一日は、アマハラがとうとう自暴自棄になって暴走したのではないことを知り、ひとまず胸をなでおろす。

「犯人は?研究施設への影響は?」


『調査中です。しばらくの間、ビルへの立ち入りは極力控えていただきますようお願いします』


 一日はマネージャーの言葉を最後まで聞かずに部屋から飛び出した。


❀ ❀ ❀


 夕暮れの少し暗くなりかけたビルのエントランスには立ち入り禁止の規制テープが張られ、消火活動で使われた濁った水がコンクリートに溜まって、所々で虹色の膜を作っている。昼の喧騒はすでに収まって静かだったが、辺りはまだ少し煙の臭いがしていた。


 一日は、そのビルの前に突っ伏すようにうずくまる一人の男を見つけた。何かにおびえているようでも、謝っているようでもあった。


「もしかして、アマハラ……?」

 半ば確信を持っていたが、一日はそう呼びかけた。男は顔を上げる。虚ろな目をしていた。髪は白髪で真っ白だった。今年、天原は27歳であるはずだったが、肌つやも悪く、かなり老けて見えた。アマハラとはカドでしか会ったことがなく、実際に顔を合わせるのはこれが初めてだった。しかし、お互いはお互いのことをすぐにわかった。


 アマハラは口を半開きにしたまま虚空を眺めている。その口が少し動く。

「俺は、最低な、馬鹿だ」

 この世のすべての絶望を表すような顔でアマハラは言った。


 一日はコンクリートに膝をつき、アマハラと目線を合わせる。そして、アマハラを抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫だよ」


 アマハラは一日の目からあふれる涙に、不思議そうに目を見開いて、呆けたような顔をしていた。

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