43 カプセル始動
「なるほど。それで私のところに来たと」
カドのルームで、ヨコイはアマハラの差し出したファイルをパラパラと見た。ヨコイのデザインしたルームはまるで物理学の教室のようだった。天原が渡したファイルには伊尾が組み上げた時間移動の仮説や、時間移動のメカニズムなどが書かれていた。
「なかなかすごい発想だ。世が世ならこのノート一冊を巡って大戦争が起きてもおかしくないくらいの情報だよ。どこで見つけたんですか」
「私が書いたとは思わないんですね」
ヨコイは斜め上を見上げるようなしぐさをする。
「なんていうか、発想は確かにすごいけど、どこか、効率の悪い印象を受ける説明だった。ほんのちょっとだけどね。これはギフテッドじゃない人からもらったんでしょう」
「そうですね。昔の友人が書きました。カプセルでならこの研究を成功させられると思ったから持って来たんです」
ヨコイはまたファイルをパラパラとやる。これで頭に入ると言うのだから人間離れしている。
「日本ならカプセルでしかできなそうな研究だね。面白いし、できたらいいなと思うテーマだけどさ、一つ問題点がある」
「なんですか?」
ヨコイは天原の目の前で人差し指を立てて言った。
「はっきり言ってこの研究は、ムーンショット計画とは関係ない」
「……」
それは重々承知の事ではあった。記憶を失っていく脳を、昔の状態の脳と取り換える実験が成功したとしても、その珍しい病気に対抗する治療法が増えただけにすぎず、全体的に見て日本の未来はそこまで明るくならないだろう。
「まあ、いいけどね。これやろう」
「えっ」
天原は予想外の返答に戸惑う。
「やろうよ。そりゃ、私もカプセルに莫大なコストをかけてもらったからここにいるわけで、未来の日本人を守る責務はあるわけだ。でも、この研究を成功させないと、アマハラの前言っていた、サクラダさんを助けることはできないんでしょう?将来の顔も知らないその他大勢を助けるために、今近くにいる人一人を見殺しにするのはなんだか寝覚めが良くない」
「トロッコ問題の話ですか?」
「私はトロッコ問題について一つの持論を持ってる。ブレーキを絶妙なところでかけて、いいタイミングの時にハンドルを大きく切る。そうして、トロッコを脱線させ、どちらにも突っ込ませずに止める」
「二つやるってことですか」
「同時進行でね」
天原は拳を握りしめた。
「やりましょう」
❀ ❀ ❀
それから2年後、2126年の8月にカプセルの活動は本格的に始動した。ムーンショット計画の7つの目標のそれぞれを一人か二人のカプセルメンバーが担当し、皆で大きな一つの目標を達成する。プロジェクトの名前は『プロジェクト楽園』と名付けられた。サクラ伝説をモデルとした世界『楽園』を、現実世界に創り上げ、それを箱舟として、希望を保存し、日本の将来を守る。
始動から2年後、世界は残されたわずかな資源を巡って大戦争を繰り広げる。第5次世界大戦が始まった。それでもなお、カプセルのメンバーたちは楽園完成に向けてたゆまぬ前進を続けた。
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