36 その後

「実は、政府から口止め料をもらっていたんだ。なんの口止めかは言えないけれど……。俺たちはすぐに農園を立て直さなくちゃならなかった。おやじが倒れてさ。医療費が必要だったしな。足りない金は借りても返せる額だと思って借りたんだけれど、やっぱり俺は計算ができなかったし、相手も結局できなかったんだ。数学ができるって、本当に、かっこいいな」


 リンゴを剝きながらカンペイはベッドに横たわっているセトカに言った。


「あのモンダイを解いたのはほとんどスウさんだよ。私はただ、出てきた絡まりを断ち切っただけ」


「それでも、すごい。実は俺は内心、嫌だったんだ。セトカが勉強ばかりにのめりこんでいったとき。なにがそんなにお前を没頭させるのかわからなかったし、兄さんみたいに、必要だから、将来便利だからやってるって風もなくて、正直気味が悪かった。セトカが勉強にハマらなかったら、ずっと俺と野球してくれたのに。同じ目線で話せたのに」


 セトカはカンペイの顔を見たが、カンペイは顔をそらした。


「でも、それは違うよな。俺の今までは、たぶん妬みだったんだ。どこかあきらめてた。お前が走るなら、俺も走ればよかった。昨日、ほんとに走ればよかったって思ったよ」


 二人が黙ったので病室は静かになった。しゃりしゃりというリンゴの皮が剥かれる音が聞こえた。


「私も、ずっと走ってたわけじゃないよ」


 そこで二人はようやくお互いの顔を見た。


「何度も、長い時間止まってた。昨日は、責務とかなんとか、偉そうな言葉を言ったけど、ほんとはそんなんじゃないよ。私は私のために数学をやってる。私の身に着けた技は美しいものだ、最近そう思えるようになった。それで、やめたくないんだ。やめたくないから、やっているの」


 その笑顔にカンペイは懐かしさを感じた。野球を語っていたあの頃と同じ笑顔。走ってみるか。もう、それ以外の選択肢なんかなかった。真っ赤な敵に向かって走っていく後ろ姿を見たから。


「――俺に、数学教えてよ」


❀ ❀ ❀


「あの二人、いい感じですネ。デキてるんですカ?」


「知らないよ。幼馴染だそうだし、久々に会って、いろいろ仲直りして、積もる話もあるんだろ。僕らのお見舞いはまた今度にしよう」


 病室のドアを細く開けてイオとホープがのぞき込んでいる。イオは病室から離れると、名残惜し気にしているホープを呼んだ。


 病院のロビーでスウとカズにばったり会った。イオたちに気付くとスウは手をふり、カズは頭を下げた。


「やっほー。ケビイシの聞き取りがやっと終わったよ。セトカちゃんはどう?」


 スウはあの後現場に居合わせた中で一番ランクの高いガクシャとして代表で事情聴取を受けていたようだ。腹に傷を負ったセトカは病院に搬送されたが、幸い深い傷ではなかったようだ。


 イオはといえばあの後、カンペイとともに倒壊した家の片づけを手伝い、夜明けごろにやっとセトカの実家に着いて、すぐ眠り、起きて病院に向かったところである。ホープはあの事件の間、おとなしくセトカの部屋にいたらしく、イオが帰ってくると詳細を聞かせろとばかりにしきりに騒いでいた。


「明日退院の見込みですね。事情聴取のほう、ありがとうございました」


「うん、大丈夫。ウィルマっていう女の子は逮捕されて中央に連れていかれたみたい。弟は今ケビイシが保護しているけど、そのうち家に帰されるんじゃないかな」


 イオは両腕のない少年のこれからの事を考えて気分が沈んだ。


「ギモンの暴走を止めるのが私たちガクシャの仕事だからね。イオくんたちがあそこだけで食い止めてくれていたから町中が壊れる大惨事にはならなくてよかった。ありがとう」


「いえ、来てくれて本当に助かりました。そういえば、あそこまでヒトを巨大化というか、変身するのは、どういうわけなんですか?」


「ここで立ち話もなんだし、カフェにでも入ろうか」

 スウは何人かの医者の視線を感じてか、きょろきょろあたりを見回して、そそくさとカズの後ろに隠れた。


「そうですね。確かに数学大臣がこんなところで立ち話していると、アレですもんね」


「いや、数学大臣は最近辞めちゃったんだけど……」


「えええ!辞めた!?」


 イオの声にロビーのヒトが一斉にこちらを向く。スウはカズを盾にしていそいそとドアをくぐって病院から退散した。イオもあわててそのあとに続いた。


❀ ❀ ❀


「とりあえず、気になるだろうから昨日のことについて話す前に私が数学大臣の職を退いた経緯から説明するね。まず、最近始まった戦争のことだけど、この戦争は今の王が独断で決めたことなんだ」


「そうですか」


 イオとスウとカズはカフェでコーヒーを飲みながら話を始めた。ホープはカフェにはついて来ず、どこかに行ってしまった。窓から子供たちに囲まれている白くて丸いものがあったのでたぶんそれだろう。


「理系と文系がどちらのほうが優れているか知りたいなんて、勉強ができる人ほど言わなそうなセリフだと思っていましたが。どちらも同じくらい大事だし、二分されてもどちらともいえない学問もあるじゃないですか」


「イオくんはなかなか鋭い考え方をするね。楽園にはどちらともつかないような学問は伝わっていないけど、昔はそういう微妙で発達した学問がたくさんあったと思う。でも、私も、この戦争には正解はないと思っているよ。どっちも大事だし、両方がかなり違うから分けられて今まで伝わってきたんだから」


 そういえば楽園には高校卒業に必要な程度の知識しか伝わっていないということをイオは思い出す。楽園は保存都市なので、高校までで習う純粋な知識しか保存されず、技術が楽園の中で発展も後退もしないようになっているのだ。


「大臣の職に就いているとやっぱり、いろんな形で政府から戦争協力を求められるし、それに、私は争いとか暴力は苦手だし、すっぱりと辞めて田舎に疎開でもしようかと思ったんだ。今はフェンタの片隅に貸家を借りてる」


「俺はその近くのアパート借りて毎日通ってボディガードの仕事してる」

 カズが言った。


「大臣辞めてからは仕事はボディガードってよりも雑用とか家事とかばっかだけどな」


「何、なんか文句あるの?私に解雇されたらカズの食い扶持なくなっちゃうから今もこうして雇ってるんでしょ?」


「人使いが荒いんだよ!ご飯作るとかはまだしも、足のマニキュア塗れとか、明日散歩したいからコースを考えろとか、そんなことまでボディガードの仕事なのかよ」


「はあ?カズがひきこもってばっかいないで運動しろとかいうから散歩してんでしょ。あと、足に塗るマニキュアはペディキュアだから!何回言ったらわかるの。そうやって化粧品馬鹿にしてるからいつまでもメイク下手なんだよ」


「知るかよ。メイクくらい自分でしろよな。第一、いっぱい同じような色のもの買って、何が違うかわかんねえよ」


 二人の声が大きくなってきたので、イオはなだめる。

「今、大臣の仕事は誰が?」


「理科大臣がまとめてやってるよ。あの人は数学大臣の採用試練のときたまたま私とタイミングがかぶって、私が数学をやることになったからしかたなく理科大臣に就いてただけで、数学もできるから大丈夫みたい」


 スウはそう言って自分のコーヒーカップを手元に引き寄せる。カップの中のコーヒーが波打って淵からこぼれそうになったのをすばやくカズがガードする。雇用主とボディガードの関係というよりもむしろ熟練夫婦のようだなとイオはぼんやり思った。


「イオくんはなんでこの町に?里帰り?」


「パーティーのセトカの実家があるので、戦争が落ち着くまでは滞在しようかなと」


 実際はタイムマシンの素材を集めに来たのだが、決して言ってはならない。


「あのロボットは?」


「拾いました」


「ふうん。――ああ、ちなみに今私はただの一般のガクシャとしてこのあたりで活動してるんだ」


「ガクシャってなにをする人なんですか?」


「うーんと、一言でいうと、ギモンの解消屋かな。イオくんも昨日見たように、ギモンはため込んだり、納得できなかったりすると暴走してしまうことがあるの。昨日、私はあのモンダイが出現する瞬間をはっきり見たわけじゃないからわからないけど、たぶん、ウィルマは青白い煙を自分から吸い込んだりしていなかった?」


「はい、瓶に入ったものを吸い込んでました。あれは一体なんですか?」


「それはガクそのものだよ。ガクは突き詰めればただのエネルギーなの。そこにもし、彼女のもつギモンに似た感じのギモンが混ぜられていたら、彼女が煙を吸うと、ガクはギモンに反応して、モンダイの姿をとるの」


「え、そうすると、モンダイって、中にそのギモンを持った人がいないと出現しないんですか?じゃあ、学園の定期テストって、大勢のだれかが毎回大けがをしてるってことになりませんか?」


「ならないよ。学園とか、教育現場にでてくるモンダイは100パーセントガクのものだから。純粋なガクはそもそも青だから、そういうモンダイはたいてい青白く光るんだけど、そこに感情が混ざると赤っぽく見える。ガクシャが解いてあげるのはそういうモンダイ。田舎には特にガクの多いヒトが少ないから、少し難しい議論になったときギモンが暴走しやすい。ギモンを解消すれば、あんな巨大化とかを未然に防げるの」


「大事な仕事なんですね」


「うん。最近は子供でも簡単にガクをタバコとか、小瓶に入れた煙とかいう媒体で手に入れられるようになっちゃって、だれか地上のヒトが地下にそういうのを流しているのかもね」


「タバコ……」

 イオの頭に少し前の出来事が思い出された。バイのからくり屋に来ていた義足の少年が青い煙の出るタバコをふかしていた。ギモンと混ざらなければどうともないが、混ざったら、昨日のウィルマのようになる可能性を秘めていたということだ。そう思うと、子供が手軽にガクを手に入れられるのは少し危険な気がした。


「それはそれとして、ウィルマはR1の末端だった。両親は雲隠れしたみたいで相当借金があったみたい。R1から金貸家にならないかと言われて、資金とやり方を教わったけど、彼女は計算ができなかったから、借金は減るどころかさらに増えて、訳が分からないほどになってしまったようね。弟は花札というギャンブルに狂っていて、カジノに入り浸っていたの。それでも腕は確かだったから、マイナス収入のウィルマよりも稼いでいて、ウィルマも弟を連れて積極的に出入りしていたみたい」


「R1の組織像がよくわからなくなってきました」


「楽園システムに対する反対組織。昔はテロとかしてたけど、今はノウ教っていう宗教とつるんでるみたい。資金源は今までよくわかってなかったけど、お布施とかかもしれないよね。ノウ教と一口に言っても、穏健派と過激派がいて、穏健派はノウ様の教えを守った生活をしていれば人生はよりよくなる、くらいしか主張していないんだけど、過激派はノウの教えに反する無宗教者は悪だ、とまで言ってるから、楽園システムを作り変えたいと思っているR1と結びつくのはどのみち時間の問題だったんじゃないかな。ノウ教の信者は結構多いから、本格的に活動されたら、いまの仲たがいしてる政府は弱いかもね……」


 スウは遠い目をして、窓の外を見やる。イオもつられて目を移すと、ホープが子供たちと無邪気に遊んでいた。


「そうだ。しばらくこの辺にいるなら、数学教えようか?これでも少し大臣やってたし、イオくんたちが王座を目指すなら数学の塔の攻略は必要不可欠でしょ?」


「いいんですか?」


「もちろん。私、学生と話してるほうが、この辺のヒトのギモンを聞いてるより面白いんだよね」


「こら、失礼だぞ。イオさん、こいつ、数学の話させると止まらないし、どんどん脱線してくんすよ。こんなのと修行になりませんよ」


 イオはにやっと笑った。こちらはただのその辺の学生ではない。高校教育をすべて履修し終えて大学を出て科学者として社会人を何年かやった身である。しかも、最速で王座を手に入れることが目標の社会人だ。この世界で一番数学ができる人の指導は近道以外の何物でもない。


「いや、お願いします。僕も、数学は自信があるほうなので」


「言うねえ。最高!コーヒーをもう一杯頼もうよ」

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