3 駅

「まずは四季ラインからケラトに向かいます。立夏ラインに乗り換えてラルマーニで降りて、そこからは徒歩か人力車か……」


 Bb9がイオの旅の準備をしてくれる。ワイシャツにスラックス、なんだか大正、昭和を感じさせる学生帽をかぶらされ、風呂敷に荷物をつめてもらう。


 どうやらこの『楽園』という都市は人工都市で、丸い壁によって『外』と分けられ、その中でも東西南北と中央で五つのブロックに分けられているらしい。


 黒の塔は中央ブロックの東寄り。タイムマシンが墜落した町、イオの目的地であるリコボは東ブロックの端にある。


「人力車?あの、タクシー、ええと、車に人を乗せて運んでくれるサービスとかは存在しないんですか?」


「はい。『クルマ』という道具は既に過去の遺物となりました。楽園を汚す、反人類的な道具ですから。イオ様、外ではくれぐれもエンシェだということは内密にお願いします。あなたは楽園創立以来トップクラスのヤバい事件の当事者なのですから。あなたがこのままタイムマシンで帰っていただければなんということはありませんが、あなたがコピー様の手によってトイロソーヴとして生きていることが知られれば、コピー様の立場も危ないと肝に銘じていてくださいね」


 Bb9はおむすびを持たせてくれる。イオは神妙に頷いた。


「クルマなんて無くても、川沿いを行けばちゃんと着きますよ」


 Bb9は最後にがま口に入れたお金を渡してくれた。この時代に流通する硬貨だそうだ。何だか小判のような形状で、三枚入っていた。歴史の教科書で見覚えがあるようなお金だ。千年未来は古い物がまた流行っているのかもしれない。これが歴史は繰り返すというやつか?――とにかくありがたく受け取る。


 トップクラスにヤバいやつを生かした張本人のコピーはというと、エンシェの体を手に入れたイオの今後には興味がないらしく、自分の部屋に戻っていった。曰く、「あきらめてこの楽園で余生を過ごせばいいのに」。冗談じゃない。いくらこの時代が安定しているからと言って定住する気なんて毛頭なかった。イオが移動したかったのは、自身が17歳の時の夏、それ以外では決してないのだ。


 イオとbB9は黒の塔を出た。最寄りの駅まで送って貰う。


 駅は赤レンガ造り。

「ここはずいぶん東京みたいですね」

 人が増えてきたので少し声を張り上げるようにしてBb9に言う。


 人々の服装はイオと同様にワイシャツの人も多いが、ネクタイをしている人、下に袴を履いている人、令和的なファッションの人、時代はわからないが近未来的な服の人、とにかくいろいろだった。髪の色、瞳の色、肌の色もそれぞれだ。


 Bb9は背が高いのでトイロソーヴのなかで目立っていてはぐれる心配はなかった。腕が六本分あるスーツを着て、グロテスクな顔は簡単なお面で覆っていた。こんなロボットが町中を歩いているのに他の通行人はあまり気にしていないようだった。


「ええ、かつての『日本』にはトーキョーという都市もありました。この楽園、特に中央ブロックは保存都市でもあるので、創設者が残したいと思う日本の姿が投影されているのですよ。所々、キョウトの街並みや、フクオカ、ヒロシマ、サッポロの風景も見られると思います。時代や物も、創設者の思う通りに並べられ、飾られているんです。最も、千年以上過去の正確な記録などほとんどないですから、我々の勝手な妄想や創作がふくまれています。エンシェの目から見ればさぞごちゃごちゃで滑稽かとは存じますが」


「都市の名前はだいぶ変わったのですね」


「そうですね。良いものだけを形として残し、それ以外は全て文字になりました。都市の名前が一新されたのは、楽園が今までの日本とは全く別の場所として生まれ変わったことを強調するためだとかそうじゃないとか。――ああ、すみません。浅い知識をひけらかすような」


「いえ、興味深いです」

 駅の構内はイオの知っているものとそう変わらなかった。電気で動いているらしい改札に、電光掲示板。動く歩道にエスカレーター。文字はだいぶ変わっていたが、ひらがななら読めるものも多い。


「ここをまっすぐ行けば中央ラインの改札があるはずです。……マシンの方は、焦らずに頑張ってください。私どもにできることがありましたらいつでも黒の塔にお越しくださいね。あれでもコピー様は科学者の端くれですし。イオさん自身がこの時代に戸惑うこともあるでしょう。いつでもお茶くらいならお出ししますよ」


「ありがとうございます」

 イオが改札のほうへ歩き出そうとするとBb9がまた引き留めた。


「ああ、あと一つ。会う人に自分の下の名前――本名をむやみに教えてはいけませんよ」


「なぜですか?」


「この世界、楽園では本名はとても親密な間柄にならないと呼んではならないのです。イオ様はただ、『イオ』と名乗るだけにしておいてください。そして、他の人の名前も深く聞かないように注意してください。そうすれば余計ないざこざになることはありませんから。相手は呼ばれても大丈夫なあざなを教えてくれると思うのでそれで呼ぶようにしてくださいね」


「わかりました」

 不思議な文化もあるものだ、とイオは思いながらも、どうせ親密になる前に自分は過去に帰るのだ、と他人事のように流した。

 イオは頭を下げ、今度こそ駅構内を一人で歩き始めた。


 列車に乗り、車窓を見る。右手に見える街にはイオの育った東京の見慣れたビル群は一つもなく、ただ瓦屋根がどこまでもきらきらと光りを反射していた。ひときわ大きな城が街の真ん中にあるのが見えた。白い壁に緑がかった屋根の天守閣が空にそびえている。屋根の上で金色に輝いているのはしゃちほこだろうか。左手にはあまり瓦屋根がみられない。郊外なのだろうか。街をぐるりと取り囲むように敷かれた中央ラインの線路を反時計回りに列車は進んでいった。


 ケラトという町で乗り換え、東ラインでラルマーニという町を目指した。時計が無かったのでどれくらい列車に乗っているのかイオにはわからなかったが、だいぶ日も高く、おなかがすいたので窓を眺めながらおむすびをかじった。


 川を何度か横切り、民家を見かけることも減った。ビニールハウスやガラス温室が景色には増えてきた。昼食を食べ終えると、暇になってしまい、ぼんやりと車窓を眺めていると、うとうとと眠たくなってきた。


「よう、ここ、いいかい」


 見ると、ボックス席の向かいの席を指さして青年が立っていた。大きなキャスター付きのカバンを持っていて、そこからはいろいろなものが飛び出していた。彼の黒の長い髪は明るい色のバンダナでまとめられていた。もちろん、トイロソーヴであり、二頭身である。


「どうぞ」

 イオは足を引っ込めて青年が前の席に座れるようスペースを開けた。青年は器用にカバンを網棚の上にのせるとイオの前に腰掛ける。耳についたピアスがちゃらちゃらと音をたてた。青年はその灰色の瞳をイオに向けた。


「俺は旅をしてる者だ。あんたはどこまで?」

「リコボまで」


「ほう、リコボ。この調子でいくと多分日没までに着かないと思うが。何しに行くんだい、あんな辺境に」

「少し、用があって」

 イオは曖昧に流した。


「ふうん」

 青年の灰色の瞳がすうっと猫のように細くなった。ビニールハウスの影が車窓から差し込んで、その灰色の瞳の色が一瞬緑がかって見えた。オパールのようだ。


「あんたも気を付けた方がいい。あそこには今、妙な噂があるからな」

青年は続けた。


「噂」

「ああ、聞くかい?俺は情報屋をやってるもんで、ここから先は有料だが」

 胡散臭い。しかし、自らに関わる噂だったらと思うと放っておくわけにもいかない。


「10ベイでいいよ。初回割だ。おまけにあの町のいい宿を紹介してやるよ」

「今、小銭が無いんだけれど」

 駅の券売機で一枚小判は崩れていたが、10ベイ差し出せなかったときに疑われることを思って嘘をついた。


「かまわないさ。ほら」

 青年はポケットから小さなコインをひとつかみだしてイオに見せた。


 イオはがまぐちから小判を出して青年に渡した。青年はコインを何枚かイオの手に返した。青年は舌で唇を湿らせると滑らかに話し出した。


「さて、昨日の晩のことだ。リコボのさらに田舎にあるトマト農家の兄弟、兄はシラヌイとか言ったかな、が水やりをしていると青白い閃光がガラス温室中を照らしたかと思うと、轟音とともにガラスははじけ飛び、UFOが墜落したんだ。兄弟が言うに、ミサイルかと思ったそうだ。幸い、水やりの最中だったから火災はなかったそうだが、面白いのはここからなんだ。その落ちてきたUFOの見た目が、古代に存在した『クルマ』にそっくりだったって話だ。その街には理科系のガクシャはいなかったし、すぐに中央のケビイシに引き取られて城に運ばれたそうだから、中を改めた人は少なかったようだな。おや、あまり興味が無いかい」


 イオがあまり驚いていない様子を見てか、青年はイオの顔を覗き込んだ。


「いや、とても面白いよ。ただ、ちょっと信じづらいだけで」

 イオはそう言って先を促した。


「噂はこうだ。そのUFOは実はタイムマシンで、中にはエンシェがいたんじゃないか。エンシェが楽園に攻め込んできて我々を野蛮に滅ぼすのではないか、とな。クルマはあくまでその下見であって、だからこそ片田舎に突っ込んできたのではないか、とか。タイムマシンがクルマの形してんのも謎だしな」


「タイムマシンが車なのは昔から決まってるんだ」


「ああ、そうかい。と、まあこんな感じで10ベイ分のおしゃべりには十分な情報だっただろう。多少トピックが古臭くはあるが、SF映画が一本撮れそうだろ」


「ああ、ええと、エンシェってそんなに悪いことするのかな」


「さあな。かのR1ならそれくらい信じそうだが、どうせ単なる噂だ。古代人には俺たちを滅ぼせるほどの知能がまだないよ」


「……確かに。ところでR1って?」

 青年は少し驚いたような顔をした。

 まずい、非常識な質問だったろうか。イオが質問をごまかそうとした次の瞬間、青年が口を開いた。


「悪い、知らなかったか。とすると、中央からめったに出ないお坊ちゃんだったりするのかい」

 イオは曖昧に頷く。


「田舎に行くんなら俺があんたに世間の洗礼を授けてやらなくっちゃな。時に人間、知りたくもないことを知る必要に駆られる時が来る。うん、そうだ。留学するんならR1くらいは知っておかなくちゃな。どうだい、あと10ベイでR1の最新の情勢についても教えてやろうか?」


 どうやら留学という都合のいい勘違いをしてくれたようである。イオががま口と開くと青年はコインを一枚とった。


 列車は駅に停まったが、ラルマーニはまだ遠いようだった。青年はコインをポケットに入れると、また唇を軽く舐めた。


「R1はつまり、一言でいうと、楽園システムに反対する、秘密結社のようなものだ。数年前まではテロとか過激なこともやってたんだが、それはさすがにニュースで見たよな。半数以上がエラーズで構成されているけど、最近はノーマルズも加盟していて、見分けがつかないって話だな。知り合いのケビイシが言っていたよ。まあ、普通に生活しているくらいならR1と出くわすこともないだろうが、まるに斜線が一本入った入れ墨のやつには近づくなよ。R1にも穏健派はいるが、大概、やくざなごろつきだ。トップが最近変わって新しい動きがあるみたいだ。まあリコボではまず起きないだろうが、テロとか、気をつけるこったな」


「わかった」


 車内販売がやってきて、カートを押した店員が何かいるか、とイオたちに尋ねた。

 青年は串のついた三色団子を買って食べた。だんだん日が傾いてきていた。二人はしばらく無言だった。黄金色の光の中で、青年の目は赤にも、オレンジにも見えた。


『次は、ラルマーニ。この列車は折り返します。お忘れ物のないようにお降りください。この先も東ラインをご利用のお客様は改札出まして左側の通路をお進みください。ご利用ありがとうございました』


「ああ、そういや、宿を紹介するんだっけか。若葉亭ってとこに行ってみるといい。安いが、なかなかいい宿だ」


 青年は立ち上がって鞄を網棚から下した。


「ありがとう。ええと、名前を聞いても?」


「俺の名前?――あざなのほうは昔捨てた切り、はっきりとしたのはないんだが。好きに呼ぶといい。ある者は俺をギンナル、ある者はナナシ、ある者はモルガナなんて呼ぶかな」


「そう。僕はイオ。じゃあ、また」

「ああ、また会うことがあればな」

 二人は改札で別れた。


 イオは駅員に人力車の手配をお願いすることに成功し、それが来るまで駅の外のベンチに座っていることにした。ラルマーニは中央に比べれば田舎であることは間違いなかったが、それでも地方都市くらいには建物が密集し、大きな道が通っていた。


 見渡して初めてイオは、ここにつくまでに緑、植物を見ていないことに気が付いた。


❀ ❀ ❀


 人力車を引く青年は屈強そうな出で立ちで、はきはきとしてよく笑った。


「若葉亭?ああ、そこはおれの友達の家族がやってるとこだ。おれもリコボ出身なんすよ」


 相槌を打っていると職業柄なのか、田舎の特徴なのかはわからないが、彼はいろいろと話してくれた。


「リコボはトマトが有名なんす。AI化の波にも負けずに人間労働で作ってるし、この辺は有害放射が少ないからガラス温室で、そりゃあもう、つやっつやのが毎年実家から送られてくるんでさあ」


 夕暮れになり、あたりが薄暗くなった。気温が下がってくる。おそらく今は夏だろうが、少し肌寒く感じた。宿が見えるまで道中で一本も植物が生えているのを見なかったし、虫の声もせず、しんとしていた。ただ、ビニールハウスとガラス温室があるだけだ。路傍にも雑草一本見ることはなかった。


 とうとう日が暮れた。寝ててもいいっすよ、と彼は言ったが、眠くはなかったのでイオは黙って道の先を眺めていた。空には雲も星も見えなかった。ひょっとしたら自分はまだ夢でも見ているのではないかという考えが頭をよぎり、イオは頬をつねったが、トイロソーヴとなった自分の頬ではあまり想像したよりも痛みはなく、少しがっかりした。


 道の向こうから光りが近づいて、おでんの屋台だった。人力車の彼はおでんの屋台の主に軽く会釈をした。その光景もまた、夢のようにイオの目に映った。


「お客さん、着きましたよ」

 結局、寝てしまっていたようで、青年の声で目が覚めた。


「ありがとうございました」

 イオはコインをいくつか青年に渡した。青年はお釣りを手渡すと、さわやかにお辞儀をしてまた人力車を引いて引き返していった。


 灯籠の間を抜け、引き戸を開ける。受付に座るおばあさんは少し視線をイオに向けた。


「いらっしゃいませ。おひとり様ですね。……一泊、160ベイ。夕食、朝食込みで200ベイ。風呂を付ければ追加に50ベイ」


「とりあえず、風呂はなしで食事付きでお願いします」

 おばあさんは頷くと、ついてこいというように宿の奥に入っていった。


「夕食はお運びいたします。それでは、ごゆっくり」

 イオはもう一度頬をつねったが、同じことであった。


 部屋に時計はなかったが、三十分もしないうちにお膳が運ばれてきて食事をした。刺身や茶わん蒸し、てんぷら、お吸い物、最後には日本酒が出てきた。


「朝食は食堂にてお召し上がりいただきます。ご退出は正午ですので、それまでごゆるりとおくつろぎください。……日本酒はお召し上がりになりますか」


「え、お酒。ええと、じゃあ、お願いしようかな」


おばあさんは不審そうにイオの眼前に顔を突き出して無遠慮にイオの顔をじろじろ眺めた。


「あの、なにか」

「どうみても十六、七に見えるがほんとに成人しとるのかね。まあ、わたしにとっちゃどうでもいいがね。急性アル中だけは勘弁しとくれよ」


「成人はかなり昔に」

 おばあさんの圧に押されながらイオが言うと、おばあさんはふんと鼻をならし、ひょうたんをイオの手に押し付けた。


 コピーからもらった体は実際よりもずいぶん若いものだったのかもしれない。最も、イオの目にはトイロソーヴが老いているか若そうかくらいしかわからず、細かい年齢の見分けのつくはずもない。……今後は酒はやめておくか。


 食事を終え、お膳が下げられるとイオは布団に横になった。夜中になってしまったのでタイムマシン探しは明日になる。その前にこの不思議な世界について整理しておきたかった。楽園には創設者がいる。では、『楽園』ではない別の場所も存在するのだろうか。


 日本はすでに過去の国となっているようだし、ここは保存都市と考えていいだろう。楽園の外は一体どうなっているのか?そして、この楽園の中には植物が自生していないのも気になる。トイロソーヴ以外の生き物も見なかった。トマトはガラス温室で作っているそうだから植物自体はあるし、刺身や茶わん蒸しから、海は近く、鶏も存在はするはずだ。このトイロソーヴの視力かもしれないが、空に星があるかどうかもよくわからない。


 イオは息をふうっと吐き出した。酔いが回ってきたようだ。この体でもちゃんと酔えるらしい。イオはそのまま目を閉じた。

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