【短編】婚約者に散々バカにされて愛人を囲う宣言をされたので婚約を破棄したいと思います

スズイチ

「君はつまらないな」


 ――婚約者に空き教室呼び出されたので急いで来てみれば第一声がこれである。


「僕に呼び出されたら、のこのことやって来るし、勉強も運動も作法も僕へのフォローも何だって完璧にこなすし、まったく可愛いげがない。君といると息苦しくて仕方がないよ。君みたいな何でも出来ると自慢するような女が婚約者だなんて、僕が可哀相だとは思わないか?」

「思う~! わかるぅ~! ライアン様おかわいそうですぅ~!」


 わたくしに対する散々な言い分に彼の隣に居た女子生徒が賛同する。何かしら、この茶番?


「……それで? ライアン様は何がおっしゃりたいのですか?」

「……はぁ。そういう所だよ。まったく可愛くないし、君といると気が休まらない。けど、家同士の婚約は絶対だ。覆すわけにはいかない……よって、彼女を愛人にしようと思う」


 言いながらライアン様は隣にいる女子生徒の肩を抱き寄せた。

 

「………………は?」

「そもそも一人の夫に対して一人の妻っていうのがおかしいと思うんだ。男は狩りの生き物なんだよ。本能的にたくさんの女性を求めるように出来ているんだ。頭でっかちな君には理解できないかな?」


 ……主語が大きい。自分の主張に『男』を使うのはどうなのだろうか。まともな考えを持っている全ての男性に謝って欲しい。

 

 わたくしが隣にいる女子生徒に視線を移すと、愛らしい顔立ちを歪めて勝ち誇った表情でこちらを見ていた。このお嬢さんは自分が愛人だと言われていることに気付いていらっしゃるのかしら?


「だいたい、二歳も年上の婚約者だなんて最初からありえないんだよ。威圧感が凄いし結婚したら毎日君と過さなきゃいけないなんて重苦しくて最悪以外の何でもない。だから、このくらい耐えてみせてよ」

「えー! ルナリス様って二つも年上だったんですかぁ? じゃあティオよりも三つも年上なのぉ? やだぁ、もうおばさんじゃないですかぁ~! ライアン様おかわいそう~!」


 ということは、このお嬢さんはまだ中等部の生徒なのかと、ため息が漏れる。

 

「…………ならば、ご両親にそのことをお伝えして婚約を破棄なさればよろしいのではなくて?」

「はぁ? あのさぁ、ルナリス。僕の言ったこと聞いてた? 家同士の婚約は絶対だし、覆せないって言ったよね? 不本意だけど、両親は君のことをかなり気に入っているしね。人の話くらい、ちゃんと聞いてなよ」

「くすくす」


「あと、君が屋敷に来る度に持ってくる手作りのお菓子やケーキ、うちの両親や使用人たちは喜んでるみたいだけど僕は嫌だったんだよね。なんで侯爵令嬢が手ずからお菓子なんて作ってんの? 使用人じゃないんだからさ……やめてよね、そういうの。僕に恥かかせてるって解ってる? そのへん君って馬鹿だよね。それにあのクッキー僕はこれといって美味しいとも思ったことがないしね」

「………………」


 それは、幼い頃に大好きな乳母と作ったクッキーを貴方にプレゼントとして持って行た時に、飛び上がりながら喜んで「毎日のように食べたい」とおっしゃってくださったからですわ。……覚えていらっしゃらないようですが。

 

「それと、せっかく胸がデカいのに何でそれを隠すような地味なドレスばかり着てくるの? 君は修道女か何かなわけ? 少しは僕の目を楽しませようとか考えなかった? 次からはもっと胸の開いたドレスとかにしてよ。君の体つきは割りと好きだからさ。これ命令ね。夫の命令。本妻なんだからちゃんと言うこと聞きなよ、ルナリス」


 ――きっっっっしょ!!

 はっ! あまりの気持ち悪さに言葉遣いが乱れてしまいました……。

それよりも、婚前の女性が婚約者の前とはいえ、むやみやたらと肌をさらけ出すものではないと思いますが。

 

 ………………いけません。

 このままここに居たら、何を口走ってしまうかわかりませんわ 。


「それから……」

「――ライアン様の主張は理解いたしましたわ。とりあえず、今日はもう失礼しますわね」

「そうか! 物分かりの良い女は嫌いじゃないぞ! あー今まで溜め込んでたこと言ったらスッキリした!」

「女として、ここまで言われちゃうなんて……ぷぷっ……かわいそう~! ダメですよぉライアン様ぁ。さすがの『氷の薔薇』のルナリス様も泣いちゃいますよぉ」


 ライアン様……賛同するとは一言もいっていないのですが……。

 お嬢さんは……まぁどうでも良いです。こういう方なのでしょう。

 

 わたくしは、にこりと笑って制服のスカートを翻しながら空き教室を後にする。

 その足で学園の敷地内にある礼拝堂へと向かった。


 中に入ると女神像の前まで行き、ため息を吐く。

 学園の端にある少し古びたこの建物に訪れる者はほとんどおらず、わたくしは一人になりたい時によく来ておりました。


「……どれだけ、わたくしをバカにすれば気が済むのかしら、あの人は……」


 わたくしだって好きであの人の婚約者をしているわけではありません。勝手に決められて……けれど、彼や両親が喜んでくれるのなら……と、わたくしなりに頑張ってきたつもりでした。年下の彼をしっかりと支えなくてはフォローをして来たつもりです。


 ……なのに。


『つまらない女』

『君といると息苦しくて仕方がない』

『重苦しくて最悪』

『彼女を愛人にしようと思う』

『僕に恥をかかせてるって解ってる?』

『あのクッキー美味しいと思ったことがない』

『本妻なんだから、ちゃんと言うこと聞きなよ』

 

 ……それが、こんなことになるなんて。


『さすがのルナリス様も泣いちゃいますよぉ』


 ぶつん、と自分の中で何かの切れる音がした。


「ふっざけんじゃありませんわよ!!!! 人をバカにするのも大概になさいませ!! 本妻? 愛人? 息が詰まる!? 可愛いげがなくて威圧感が凄くて悪かったですわね!! 年上で申し訳ありませんでしたわね!! 体つきは好き? 夫の命令!? 気持ち悪いんですのよ!! 言いたいこと言ってスッキリしたですって!? こちらは、これまでのことを含めて最っ高に鬱憤がたまっておりますわ!!!!」


 美しい女神像に向かって怒りのままに感情をぶつけていた時。

  

「――くっ……ははっ!」

「!?」


 突然、笑い声が聞こえてきて驚く。

 振り返ると見知らぬ男子生徒が入口近くの椅子から起き上がる姿が見えた。


「……あ、貴方は?」

「いや、すまない。聞くつもりはなかったんだが、ここの椅子で寝ていたら君の怒鳴り声が聞こえてきてな」


 わたくしは、ぐっと言葉に詰まる。まさか、この場所に人がいらっしゃったとは……。

 

「…………っ、申し訳ございません。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」


 わたくしは即座に一礼をして、この場を去ろうとしましたが腕を掴まれてしまう。


「君は、ルナリス・シルバーバーグ嬢だよな? 麗しい美貌に何事も完璧にこなせる才女。けれど、誰も寄せ付けない孤高の存在。ゆえに付いたあだ名が『氷の薔薇』……そんな君が、まさかあれ程までに感情的に声を荒げるなんて。……大丈夫かい? 俺でよければ話を聞くが」

「…………はい?」


 急に何なのかしら、この方。

 不信すぎますわ……。


「……いえ、結構ですので離していただけますか」

「まあ、そうだな。急に話を聞くなんて言われても困るか。――そうだ、自己紹介がまだだったな。俺はキース・オルウェン」

「(……オルウェン!?)」


 オルウェン公爵家は代々優秀な騎士を輩出する王家からの信頼も厚い名門貴族。

 そして、キース・オルウェン様といえば高身長で逞しい肉体をお持ちの美男子。そのうえ、類い稀なる身体能力とおおらかで面倒見の良いお人柄の学園一の人気者……という噂を幾度となく耳にしてきました。


「貴方が、キース・オルウェン様なのですね……」

「ああ。宜しく、ルナリス嬢。君はここにはよく来るのかい?」

「え、ええ。時々一人になりたい時などに……」

「ははっ、俺もだ。誰にも邪魔をされず昼寝をしたい時や、女神様に愚痴を聞いてもらいたい時なんかに来ている」


 この方も愚痴を言ったりするのか。

 人気者というのも存外に大変なのかもしれないと考える。


「意外かい? そんな顔をしている」

「……え、ええ、まあ……」

「生きていれば誰だって鬱屈したものを抱え込むし愚痴を言いたくなることもあるさ。……特に君みたいなタイプはそうなんじゃないかい?」

「……え?」

「いつも背筋を伸ばして凛と美しくあろうとする。そのうえ、真面目で勤勉だ。いつか崩れてしまいそうで心配になる」 

「……っ、わ、わたくしのことを良くご存知なのですね……」

「ああ。いつも見ていたからね」


 キース様が空色の目を細めて楽しそうに笑う。わたくしは、その言葉に驚いて目をぱちぱちさせてしまった。


「……からかっていらっしゃいますか?」

「まさか。本当のことだよ。……だからこそ、君があんなにも憤っていたことが気になって仕方がないってのが俺の本心だ」

「………………」


 わたくしは、ため息を吐く。

 どちらにしろ、この方には先程の醜態しゅうたいを見られているのだ。今更、取り繕っても仕方がない。

 せっかく話を聞いてくれると言ってくれているのだから、洗いざらい吐いてしまおうと静かに口を開いた。



 ◇


 

「なるほど……。それは、叫び散らしたくもなるな。むしろ、よく耐えれたな……」

「いえ……正直なところ、あのままあの場所に居れば何を口走ってしてしまうか分からなかったので、足早に退散してまいりましたわ」

「それで、君はどうしたいんだ?」

「……え?」

「それほどまでに酷い言葉で罵られ傷付けられたまま何もしないつもりなのかい?」


 空色の目が挑発的に私を見つめる。

 確かにそうだ。このまま好き勝手言われたまま終わるなんて、わたくしの名折れです。


「……両親が悲しむかもしれませんが、わたくしの方から婚約破棄を申し込もうと思います」

「――そうか。君がそう決めたのなら良いと思う。どうせなら盛大に振ってやるといい。よければ、俺にも協力させてくれないか?」

「……え? ですが……」

「話を聞いて同じ男として腹が立ったんだ。それに、そのことで君に男を嫌になってもらいたくないからな。……君さえよければ、だけどね」


 私情に見知らぬ方を巻き込むなんて……と考えるが、きっと誰かに側に居てもらえたら心強いだろうと、暫く考えたあとゆっくりと頷く。


「では、婚約破棄を申し込む際に側に居ていただいても?」

「ああ。勿論さ」

「……ありがとうございます」


 わたくしは、ほっと息を吐いた。

 

「――そうだな、一週間後に王家主催の舞踏会があるだろう? その日はどうだい?」

「良いですわね」


 そこで、ライアン様に言われたドレスのことを思い出す。

 彼は、わたくしのドレスを地味だと言っていた。ライアン様のために着飾るのは死んでも嫌だが、当日、自分の側に居てくださるキース様に恥じない格好をしておきたい。


「キース様はどのようなドレスがお好みですか?」

「ドレス? 特に好みなどはないが……。君ならなんだって似合うんじゃないか?」

「……そう、でしょうか?」


 わたくしが視線を下げると、キース様がうーんと声を漏らす。


「そうだなぁ……どうせなら、君がいつもは着ないようなドレスを着てみるのもいいんじゃないか?」

「……いつもは着ないようなドレス、ですか。――確かに、良いかもしれません」

「ははっ、役に立てたのなら良かったよ」

 

 

 このあと、日が暮れるまでキース様と話し合いが行われました。



 ◇◇◇



 ――一週間後。

 王家主催の舞踏会当日。学園の生徒たちも招待されていて全員参加となっている。


 わたくしは悩んだ結果、普段は絶対に着ないような華やかで胸の大きく開いたドレスを身に纏っていた。

 そして、アクセサリーはキース様の目の色と同じ柔らかな青で統一しております。


 王城に着くと入口の扉近くでキース様が待っていてくださっていました。見目もスタイルも良い方なのでとても目立っていて思わず笑みがこぼれてしまう。


「キース様。お待たせしてしまったでしょうか?」 

「――いや、俺も先ほど……」


 わたくしを見たキース様が言葉の途中で固まってしまいました。

 

「……このドレス、似合いませんでしょうか?」

「――いや、とても似合っている。すまない、あまりの美しさに言葉を失ってしまった。女神が舞い降りて来たのかと思ったよ」

「まあ、お上手ですこと。……キース様が普段は着ないようなドレスを、とおっしゃってくださったので選んでみましたの」

「なるほど。それで、そのような大胆なドレスを……そうだな、いつものドレスも似合っているが、そのドレスも良く似合っている。あと、化粧もいつもと少し変えているのかい? 君の凛とした顔立ちが映えていいな。その髪型も華やかかつ優雅で素敵だよ」


 キース様の言葉に驚いて瞬きを繰り返してしまう。

 

「あ、ありがとうございます。……その、いつもと違うと、よく分かりましたね?」

「言っただろう? いつも見ていたと」


 キース様が目を細めて笑う。

 まっすぐな言葉に彼の人気が伺えて、わたくしも頬笑む。


「では、行こうかルナリス嬢」

「……はい」


 差し出してくださった手を取ると二人同時に一歩を踏み出した。


 

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