第十五話 やっとうに防具は必要ございません

 体育とやらの科目は剣道をやるということでした。力や体格の差がございますから、男女に分かれてやるのですが、それでも男女ともに同じ科目を習うようでございます。見学はわたくしと名倉さんだけですので、ゆっくりと話ができます。

 名倉さんは入院している間、ご両親とたくさん話をして学習したようです。わたくしは割と放っておかれたので、どうやって学習したら良いのかとんと見当もつかない状態でしたので、それはもう羨ましい限りでございました。

 名倉さんの話によると、学校というのは私立と公立があり、私立というのは高度な教育を受けられる代わりに料金も発生する学校のことであり、営利目的なのだそうでございます。その点、公立は町役人から師匠を選定し、教育に発生するお金はほとんど年貢で賄われているということです。この町役人のことを『公務員』と言い、年貢の事は『税金』というらしいので、覚えなければなりません。公務員は人気の職業なのだそうでございます。

 さて、わたくしたちが通っているこの学校は公立なので、公務員の中でも偉い人達が決めた内容を全員が教わるのだそうです。義務教育と言って、みんなが同じことを教えてもらえるので、商人の子も農家の子もお大名の子も同じ教育が受けられます。もっともここにはお旗本も将軍様もいらっしゃいませんが。

 ちなみにわたくし南雲太一は菓子屋の跡取りではなく、『ゲーム実況配信者』の息子のようです。父上が上方(恐らく大坂です)で仕事をしながら「ゲーム実況配信」とやらをやっていたら仕天堂してんどうというゲーム屋さんから直接配信依頼が来たので、会社を辞めて父上の実家のある江戸の町へ引っ越してきたということらしいのです。ですから母上も太一殿も上方訛りがあったのでしょう。父上は元々江戸の人なので上方の訛りはないようでございます。

 宇部君の家は、父上殿は『あいてぃーけーのえんじにあ』で母上殿は『れじうちぱあと』とおっしゃっていましたし、名倉さんの家は父上殿は大学という学問所の先生で、母上殿は『こらむにすと』とか言う伴天連の仕事のようなものらしいです。どんなものかはとんと見当がつきませんが、名倉さんのご両親は大変賢い人だということです。

 まさに公立の学校はどんな家柄の子でもまとめて引き受けるといったところですが、これらの情報は名倉さんから教わったものであり、わたくしだけではずっとわからないままだっただろうと思います。

 ずっとそんな話をボソボソとしながら剣道の授業を眺めていたのですが……なんというか、見ていてイライラするのです。それは名倉さんも同じようで「ねえ、ちょいと」と声をかけて来ました。

「あれ、様式美にこだわりすぎちゃいないかい? なんで始める時に初めの挨拶をしたりするんだろうねぇ。あれじゃ剣術の意味がない」

「わたくしもそれを思っておりました。背後から斬られることを想定していませんね」

「あんた末成うらな瓢箪びょうたんみたいな雰囲気だけど、やっとう習ったのかい?」

 わたくしは生前よく言われていた『末成り瓢箪』をここでも言われ、ちょっとムッとしてしまいました。

「わたくしも商人の跡取りです。剣術と茶の湯くらいは当然たしなんでおります」

「ごめんそうめん冷そうめん、そんなに怒らないどくれよ」

 その時、先生がこちらを振り返られました。

「おい、南雲、名倉。お前たちおしゃべりするほど元気なら剣道やってもいいんだぞ」

 ちょっと厭味の入った先生の言い方に、いきなり名倉さんが立ち上がりました。

「じゃあ、やらせてもらうよ」

 驚いたイヌがわたくしの頭の上で「にゃ」と鳴きます。

 周りがざわついています。名倉小桃さんはそういう人ではなかったようで、いつも下を向いてモゾモゾしている人だと聞きました。これは確かに驚くでしょう。ですが、中身は小梅さんです。

「名倉さん大丈夫? わたしの防具貸そうか?」

 葛城さんという女子が声をかけて来ました。確か副委員長さんです。

「蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨。要らぬお世話の焼き豆腐。剣だけありゃいいさ」

 そのような地口はこの時代の人には通用しないかと。普通に「ありがとう」でよろしいのでは?

「相手は男子にしとくれ。嫁入り前の娘の顔に傷でもつけちゃあ大変だ」

「じゃ、俺が」

 宇部君です。いきなり防具なしでやろうという名倉さんに強い人が対戦を挑んだりしないようにという配慮でしょう。宇部君、良い人すぎます。これぞ漢です。惚れました。

 宇部君は軽くちょんちょんと竹刀を振ってきましたが、名倉さんは抜くと同時にその竹刀をパァンと払って、返す刀で宇部君の胴を薙ぎ払ったのです。

 これには全員が呆然自失の体でございまして、当の宇部君も「え?」と言ったまま固まっておられます。ですが、わたくしでもあの宇部君の脚運びを見ていたら同じ事をしていたでしょう。つまりわたくしどもが凄いのではなく、みなさんが初心者なのでございます。

「みんなやっとうは始めたばかりかい? やったことのある人はいないのかい?」

 あああ、名倉さん。だからって煽っちゃいけません! ほら、言わんこっちゃない、体格の良い男子が立ち上がったではありませんか。しかも彼の姿勢はなかなかに決まっています。

「あの! わたくしが代わってもよろしゅうございますでしょうか。名倉さんは女子ですし、さすがに体格差がありすぎると思われます。名倉さんに代わり、わたくしがお相手つかまつります」

「南雲、お前いつも剣道の時間、へっぴり腰で逃げ回ってたじゃん。名倉にいいとこ見せようっての?」

「えー、南雲まさか名倉とイイ関係?」

 なぜかイヌが「にゃあああああ!」と唸っています。へっぴり腰だったのをバラされて怒っているのでしょうか。

「よくわかりませんが、とにかくわたくしが代わります。防具はわたくしも要りません。さあ、やりましょう」

 わたくしが竹刀を手にして名倉さんを下がらせると、彼は小刻みに前後に足を動かします。こんなふうにするのを見たことがありませんが、この時代のやっとうはそうするのが基本なのかもしれません。

 などと考えていると、いきなり彼が上段から斬り込んできました。わたくしはその刀を右に払いながら左足で踏み込んで、振り返りざま彼を袈裟懸けに斬り捨てました。と言っても竹刀ですが。

「痛っっってえええ! 背中を攻撃するとかありかよ」

 彼は痛がりながら笑っています。

「すみません。背中側に防具が無いことを知らなかったものですから」

「え?」

 全員がきょとんとしています。なぜかはちょっとわかりませんが。

 そしてわたくしはお昼休みに宇部君から教えられるまで気づかなかったのです。

 名倉さんとわたくしを見るみなさんの目が、この体育の授業で明らかに変化したということを。

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