第十三話 名倉さんはもしや

 名倉さんが入院なさっているということなので、わたくしは病院に行くことにしました。どうやら病院というのは診療所のことであり、入院というのはそこに寝泊まりして医師の先生に診ていただくことらしいです。わたくしが最初に目覚めた場所と同じところに名倉さんは入院されているようでした。

 今日は母上がいない代わりに宇部君が同行してくださっていますので、彼と一緒に『えれべーたー』なるものに乗ります。引き戸が勝手に閉まり、あの日のように地揺るぎが致しますが、これはわたくしの乗った箱が上下する時に起こる振動なのだそうでございます。理屈がわかってみればさほど恐れることは無さそうです。その辺りも宇部君はきちんと教えてくださいます。

 チーンという音がして「四階です」と箱がおっしゃいます。もう二度目ですのでわたくしも驚きません。エレベーターを降りて看護師さんの集まっているところ(『なーすすてーしょん』というそうです)に声をかけると、ご親切にお部屋まで案内してくださいました。

「名倉さーん、お友達がお見舞いに来てくれましたよー」

 看護師さんの声に、ベッドの上で窓の外を見ていた女の子が振り返ります。肩くらいの長さの髪を後ろで一つに結っているだけの地味な感じの子です。眼鏡がよく似合っていますが、同い年にしてはずいぶんと小柄な印象です。

 看護師さんはわたくしと宇部君の分の椅子を出して、すぐに出て行きました。

 宇部君が名倉さんに「どう、調子?」と軽い感じで声をかけますが、彼女は黙って宇部君をじっと見つめています。彼女が何も言ってくれないうえに、わたくしの方を全く見ようとしないので、宇部君は非常に居心地が悪そうです。

「あー、もしかして南雲のこと怒ってる?」

 ここで彼女は首を横に振りました。

「話によると南雲はあたしの頭を守るようにしてくれていたらしい。そのお陰で、大した怪我をせずに済んだ」

 という割にはわたくしの方を見ようともしません。仕方ないのでわたくしから声をおかけすることにしました。

「あの、名倉さん。先日はわたくしの不注意で一緒に階段を落ちることになってしまいまして、大変申し訳ございません」

 名倉さん、初めてわたくしの方を見て口を開きました。

「ああ。じゃああんたが南雲太一ね。じゃ、こっちは誰?」

 えっ? 我々を見てもわからない? これはもしや。

「俺は宇部。単刀直入に聞くけどさ、お前、名倉じゃないよな?」

「名倉だよ」

「名倉小桃こももじゃないよなって聞いてる」

 彼女は自分の体に視線を移してとんでもないことを言いました。

「この体は名倉小桃という人らしいよ」

 ああ、まるで他人のような言い方です。

「中身は誰なんだ?」

 彼女は「ふうん」というように何度も頷きました。

「あんた、あたしの体と中身が違うってわかってんだね。それなら遠慮なく言うけど、あたしは名倉一座の座長を務める小梅こうめってんだ」

 名倉一座ですって?

「えっ、まさかあの小梅太夫? 『八百屋お七』も『外郎売』も見に行きましたけど!」

「ほんとかい?」

「はい! 名倉一座と言えば歌舞伎みたいな様式美を完全に無視して、実際の動きや話し方に近い芝居をするんで有名ですよね」

「あー、やっと話の通じる人に会えたよ!」

 小梅太夫は大喜びで私の手を取ってぶんぶん振ります。

「ちょっと嫌な事聞くけどさ」

 と宇部君が割って入りました。

「小梅さんだっけ、あんたもしかして死んだとか言わね?」

 小梅太夫はピタリと停止し、ゆっくりと宇部君に視線を向けました。

「なんで知ってるんだい。あたしゃ、役になり切っちまうと周りが見えなくなっちまう。客席に頭から落ちて、首の骨をやっちまってお陀仏さ。ゴキって音がしたからね、ああ終わったなって思ったものさ。だけどここで目覚めちまった。目覚めたはいいけど、知らないこの体になってるし、人や服や屋敷やすべてのものが見たことのないものだった。話してる内容もなんだか伴天連の言葉が混じってるし、親だと名乗る人も見たことがないしね。これは誰かの体に乗り移っちまったんだなと思ったのさ」

 わたくしは宇部君と大いに頷きました。わたくしと全く同じ状況ではありませんか。

「実はこいつもそうなんだ。体は南雲太一っていう俺の友達なんだけどさ、中身が南雲屋の跡取り息子の太一郎で」

「南雲屋ってあの日本橋近くの御菓子の大店おおだなの?」

「そうですそうです! うわぁ、小梅太夫が南雲屋を知ってる!」

 興奮するわたくしを押さえつけ、宇部君が「待て」とおっしゃいます。そうでした、話の途中でした。

「そんでな、名倉と一緒に階段落ちたときに、死んだはずの太一郎が南雲の体に乗り移っちゃったってわけ」

「あたしと同じってことだね」

「そう。そんで、体の持ち主の南雲太一の中身は、猫に乗り移っちゃったんだよ。転生した奴の話はく見るけど、転生されたヤツの話なんて知らねえからな」

「転生?」

「いや、ラノベの話だ、忘れてくれ。そもそも転生じゃなくて憑依だった。つまりさ、小梅さんが名倉の体に入っちゃったから、名倉小桃は追い出されて何か別の生き物に入ってるはずなんだよ」

「でもそれを探すのは大変なのではございませんか?」

「いや、お前だってすぐ近くにいる猫が自分の体を探しに来たじゃん。てことは、名倉小桃が乗り移った何かも、自分の体を求めて小梅さんを探してるかもしれない」

「じゃあいつまでも入院してたら体を探せないってことかい」

「そういうこと。だから小梅は一刻も早く退院して、学校に来るんだ」

「学校か……実は記憶喪失の振りをして、学校や家のことも含めたいろんなことを親や医師の先生から聞きだしてたんだ。あたしは芝居だけは得意だからね」

「じゃあすぐにでも学校に来られるんじゃないか? 少なくとも太一郎よりは馴染むのが早そうだ。俺が上手く二人を学校生活に溶け込ませるように手伝うから、お前とっとと退院しろ」

 こうしてあっさりと名倉さんの退院は決まってしまいました。

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