杜の御師と菫童子

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

 御師おしをしている。

 御師というものは、大概、道案内さえしていればよい。

 だから、依頼を聞いて、耳を疑った。

「え、だって、もりの御師さまは、御師界の伊能忠敬でしょう」

 訳の解らないことを言われたので、あらぬ方向に顔を向ける。立ち上がり、開け放った窓から出ていこうとする。もちろん、未遂に終わる。半泣きの客人に止められた。仕方がないので、再び対面して座す。

「根も葉もないことを。それは言いがかりだ」

「いいえ。そもそもあちらの御師も、こちらの御師も道案内が主たる仕事ではあります。ここまではよろしいですね」

 首肯したのを確認して小童こわっぱは続ける。

「つまり、目的地がございます。それゆえの道程ですね。御師はその道を知っているからこそ、仕事ができるのです」

 私はあくびした。

「そりゃあ、伊勢だの、富士だのは、動いたりしない。一度、道を覚えてしまえば誰にだって御師はできるだろう」

 小童は、熱心に頷く。水干姿が愛らしく、よく似合っている。

「ですが」小童は声を高くする。「あなた方は違う。杜の御師さまは、道そのものを開拓できるのです」

 ああ、遠くでうぐいすが鳴いている。お茶をすすり、私は改めて言った。

「は? それがどうした。普通だろう」

 ひざをついたまま、四つ足で這い寄ってくる。

「ですよね。杜の御師さまには、普通ですよね」

 笑顔で聞き返してくる。思わず後ずさる。

「あ、ああ」

 座り直した小童は、顔の横に人差し指を立てる。

「あなたは御存じでないようですから、お教えしますね。そんな芸当ができるのはここの御師だけですよ」

 ひゅっと息を呑む音がする。畳に後ろ手をつき、天井を見上げる。完敗である。

「そりゃあ、伊能忠敬だよなぁ」

「そうです」

 小童に、外に出ましょうと促される。やけくそみたいに描いた春の景色が広がっている。桜と梅が競演しているかと思えば、藤は澄ましている。花畑を歩き回る小童。八重桜に近寄り、手を伸ばす。振り返ると、手のひらにりすがのっている。

「こちらが、依頼人の華恋かれんさんです」

「うん、りすだが?」

 もふもふとしたしっぽは、まぎれもなくりすである。

「はい。でも、本当はヒトの子です。華恋さんは、胎児のときに亡くなってしまったので、神様が仮の姿としてこの身体をお与えになりました」

 だから、なんでりすなのか。困惑を表情で表現する。

「神様の奥方様は、それはもう、特大の徳を持ち合わせていらっしゃるのです。今回、華恋さんが選ばれた理由は、話すと長くなるので杜の御師さまには決して伝えないようにときつく厳命されております。そう、とても長大なお話なので。いじわるではありませんよ。お間違いなきよう」

 いい加減飽きてきたので、小童の口を手のひらで塞ぐ。うん、すでにして、話がとめどない。小童の上司の判断、グッジョブ。手のひらを外すと、小童がぷはっと息をする。

「それは、解りました。ようく理解しました」

 手のひらを小童に向け、話の続きを促す。

「もう一度言いますが、華恋さんにふさわしい保護者を見つけて、送り届けてほしいのです。もちろん、その道、つまり方法は定まっておりませんので、杜の御師さまのお力を借りたいのです」

 私は腕組みをして、頷く。

「え、ところで、他の御師って何やってるの。本当にただの道案内しかしてないの」

「そのように伺っています。まあ、各々、生前に関係した特殊能力をお持ちなので、そういうことですね」

 私は顔を赤らめた。勘違いをしていたからだ。

「あのですね、普通、御師は横の繋がりをとても大切にするものなのですよ。会合どころか、手紙のやりとりもしない杜の御師さまが異常なのですよ」

 あなたには、友人が無いから。生前、さんざんっぱらパートナーに馬鹿にされまくった。嘘だろう。死後にまで、苦言を呈されるだなんて。涙目である。

「ところで、その呼び方は止めてくれ。親子三代で御師をしているから、誰が誰だか解りゃあしない」

 ふてくされて言う。

「ああ、それもそうですね」

「私のことは、柳杜やなぎもりの御師とでも呼ぶがいい」

「はい。申し遅れましたが、私のことは、どうぞ鬼の貴公子と、あ、間違えた。これは、二つ名でした。私のことは、菫童子すみれどうじと」

 全力の競歩で去る。一体、何者を寄越してきた。鬼、怖い。鬼は怖いだろう。普通。

「私の祖父が僧侶を呪い殺したのですよ」

 小童こと鬼の貴公子がのたまう。いや、だから、怖いって。

「当時、祖父は仏教系の学校に進学して、入学の報告のために、寺に赴いたのです。そこに、件の僧侶がいました。あろうことか、その僧侶は、新入生の祖父に向かって『鬼が居る』と叫んだのです」

 いやいや、子供だか知らんが、鬼の子が居たら、怖いに決まっているだろうが。

「僧侶は、悪鬼退散に効くという、お経を唱え始めました。当然のように、祖父は苦しみます。肉が焼けるのです。火傷、嫌ですよね。当然、祖父は呪詛返しをします。結果として、僧侶は焼け死んでしまったのです。どうですか、これ、正当防衛でしょう」

 ううん、そうだろうか。私は首を傾げる。

「まあ、でも、人殺しではありますからね。仏との約定にて、鬼の子孫が生まれたら、人のため、世のために使えるようにと諭されたのです。祖父には娘しか生まれませんでした。祖父の鬼の血を引く初めての男児が私だったのです。私は七五三を迎える前に、自ら約定を果たすため、こちらの世界に赴きました。だから、鬼の血が濃いというだけで、私は普通の子供ですよ。ご安心下さい」

 いやいや、だから、どこが安心材料だよ。

「それで、その時、養い親になって下さったのが、出町柳一朗太でまちやなぎいちろうたさんなんですね。あ、知っていますか。イチさんは、狐遣いの宮下みやした家の出なんですよ。あそこは、基本的に女児しか生まれない家ですからね。男児が珍しかったのでしょう。この水干も宮下家のお姉さま方が用意して下さったもので」

 ヘビーすぎる。出町柳家のイチさんに、宮下の女連中。敵に回したのなら、一日も生き永らえることがかなわない。

「あの、仕事は完遂しますので、鬼の貴公子にはお引き取り願えますか」

「無理ですね」

 笑顔で答える。うん、そうでしょうね。

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