16

甲板には、治安維持組織のメンバーと囚人たちが殴り合っていて大混乱になっていた。


流刑島での暮らしは、しっかりとした食事が日に三度出て、雨風をしのげる立派な住居が与えられる。


さらに自分と同じ立場の人間たちばかりで、妙な敗北感を覚えづらい。


喧嘩などはごくまれに起きるが、そのときは魔導機兵が罰を与え、リンチや性的暴行があったと知ればかなり重い処罰を加える。


パノプティコンで囚人たちは平等だった。


文句があるどころか、むしろこの島で一生暮らしたという者も意外と多かった。


だが、今は状況が違う。


島は火の海になったことで、命の危険にさらされている。


人間は普段の環境が壊れれば、自分でも思ってもみない行動に出ることがある。


それに淡々とした静かな暮らしで忘れていた酒や麻薬、いい女やいい男を抱きたいという感情、危機で高まった興奮は刺激を求める気持ちをよみがえらせた。


外へ出たい。


島から出て、娯楽や快楽を味わいたい。


燃える盛る島と同じように、一度火のついた囚人たちももはや止まらない。


欲望の炎に、その身を焼かれている。


ないはずの船があったのも拍車はくしゃをかけたと言ってよかった。


こうなると、たとえ死人の山がきずかれようが、状況が変わることはなさそうだ。


「あそこだ! あそこに小舟が吊られているぞ!」


ファクトが小舟を見つけ、仲間たちに向かって声を張り上げた。


囚人たちはこの帆船はんせんを奪おうとしている。


アナザー·シーズニングの連中は、それを止めるのに精一杯だ。


小舟を奪おうとしている自分たちのことなど相手にしていられない。


「貴様らだな。あのとき、囚人たちの中から最初に声をあげたのは」


だが、ファクトが思っていたよりも状況は甘くなかった。


マスタードの首を抱いて泣いていたシュガーが船へと戻り、しかもファクトたちの目の前に現れたのだ。


彼女は剣を構え、それをメロウを背負っているガーベラへと突きつける。


背に乗っている者――見覚えがあると。


「その長い黒髪、やはりメロウ·リフレイロードだったか。マスタードさんの無念を晴らすのも加え、この場で始末する」


詰め寄ってくるシュガーを見て、仲間たちはファクトに声をかけた。


どうする?


どうすればいい?


皆がファクトに訊ねてくる。


(大人しくしろ、この心臓が! じゃねぇと止めちまうぞ! このオレが、頼られてんだ……。このオレがぁぁぁ!)


ファクトは冷や汗が止まらなかった。


彼の計画は、囚人たちに暴動を起こさせ、その間に小舟を奪うところで終わっている。


その先はない。


それは、ここから先が、誰かの犠牲によってしか進めないということだった。


「あ、あわてんなよ、お前ら。大丈夫だ。オレに任せろ!」


「ファクト……?」


「リット、姉さんを頼むぞ。下手打って姉さんにもしものことがあったら許さねぇからな」


ファクトはリットにそう言うと、ガーベラとフリーにも声をかける。


「ガーベラ、前に話してたよな? 外に出たら馬の乗り方を教えろよ。あとフリー、お前が本当にモテるんだったら、外で女を紹介しろよな」


突然、この場にそぐわないことを言い出したファクトに、仲間たちは戸惑った。


一体何を言い出すんだと三人が困っていると、ファクトが言葉を続ける。


「こうなったときの対処は考えてあんよ。ここはオレに任せろって」


ファクトは、普段とは違う軽薄けいはくな口調でそう言うと、シュガーへと飛びかかった。


素早い身のこなしで彼女の剣をかわし、背後に回り込む。


シュガーは予想を超えたファクトの動きに翻弄ほんろうされたが、すぐに斬りかかった。


だが、ファクトは当然そう来ると読んでいる。


「わりぃが、あんたはここで終わりだ」


「貴様!? 一体なにをするつもりだ!? 離せ! うわぁぁぁッ!」


ファクトは再びシュガーの剣を避け、彼女の腰に両手を回した。


そしてがっちりと体を掴むと、そのまま自分ごと船の外へと飛び出す。


海へと落下しながらファクトは思う。


わかっていたことだ。


この作戦は、なんの犠牲もなく成功できるものでない。


だったらやるしかない。


自分のことを大事だと言ってくれたメロウを絶対救うのだと。


「死ぬなよ、姉さぁぁぁん!」


逃げられないが仕方がない。


こういう役回りだ。


あいつらは馬鹿だから、自分がこうすると知っていたら止めていただろう。


それが馬鹿だというのだ。


ガーベラの腕力もフリーの魔法も、そしてマスタードを倒せたリットの実力はメロウを助けるのに必要なんだ。


自分の仕事は最初から決まっていたんだ。


ファクトはシュガーを道連れにして海に落ちると、冷たい水の中で笑った。


「行け……行け……行けぇぇぇッ!」


そして、声を張り上げた。


リットは包丁を口にくわえて、海へと飛び込もうとしたが、ガーベラがそれを止める。


「おい、あいつの犠牲を無駄にする気か。いいから早く小舟を落とせ」


「だけど……」


「もういい! お前は姉さんを背負ってろ! フリー、手を貸せ!」


ガーベラは背負っていたメロウをリットに預けると、小舟を吊っている縄をマスタードから奪った剣で斬る。


フリーもまた別の支えていた縄を引っ張って移動させると、小舟が上から落ちてきた。


しかし小舟は海には落ちず、甲板に転がってしまう。


「メロウ·リフレイロードだ! メロウ·リフレイロードがいたぞ! 小舟を下ろした奴らと一緒だ! けっして逃がすな!」


海からシュガーの大声が聞こえてくる。


彼女の指示を受け、兵たちがリットたちを囲んできた。


「くッ!? こいつはマズいな……」


ガーベラが小舟を海へ放り出そうとすると、彼女の隣にいたフリーは、兵たちへと歩を進めていた。

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