第57話 来訪者

 俺は勉強以外、家の中の事は全て螢がしてくれる。初めの頃は家に囲って何処へも出さないと息巻いていたが、最近では螢の為に何でもしてやりたい。


俺の所為でたくさん傷ついた分、彼女の望みを叶えてあげたい。

そう思うようになって来た。


休みの日には二人で出かけたりしている。


周りから見たら仲の良いカップルに見えるだろうか。


「そろそろ疲れただろう、お茶にしようか」


車椅子の螢へ肩越しに覗き込んで訊いた。

「うん」と言って、俺の方に顔を向け笑顔を見せてくれた。


俺たちは近くにあったオープンカフェに入った。


菓子はよくあるケーキやクッキーなどだが、紅茶は美味しかった。


「ここ、紅茶美味しいね」


螢が目を輝かせている。

ウチは母さんが紅茶好きなので、家で出てくるお茶と云えば紅茶だ。


小さい時からそれで育った俺たちは紅茶が一番馴染み深い。

日本茶や珈琲も嫌いではないが、あまり口にはしない。


特に俺は、日本にいた時ペットボトルのお茶や缶珈琲には辟易した。


幸せそうに紅茶を飲む螢を見ていると、ずっとこの笑顔を見ていたくなる。

いつでも螢には幸せな気持ちで紅茶を飲んでもらいたい…


父さんも母さんにはきっとこんな気持ちなんだろうか…


この笑顔の為に頑張りたいと思わせる。


「卒業後は…どうするの?」


螢の静かな声が届いた。

卒業後か…

俺が顔色を曇らせると、悪い事を訊いたのかと螢が不安な表情になる。


「悪い、その事については今考え中で…」


螢の手を握り安心させる。


「俺…もしかしたらもう少しこっちにいるかもしれない…」


螢が俺の顔をじっと見ている。


「先ずは仕事を探そうと思うが、その前にどちらにしても日本に帰らないとな…

お前の事もあるし…」


螢が泣きそうな顔で俺を見つめている。

胸の奥が捩れるような痛みを覚える。


「大丈夫だ、日本に帰ればお前は自由だ、何も心配いらない」


そうは言ったものの、俺には螢と別れたくない気持ちも強く、中々まだ決められないでいる。そんな俺の浅ましい気持ちを感じたのかその後螢の顔色もずっと悪かった。



あれ以来螢の様子がおかしい。

表向きはいつもと変わらない。

でも時々思いつめた表情をしているのを見ることが増えた。


だからといって俺が何かを言ってやれる訳じゃない…

俺の気持ちも不安に苛まれる…


日本に帰ったらこの関係は終わり…

螢は…別の誰かと幸せになる…


母さんを傷つけた父親が憎らしかった。

卑怯な父親が許せなかった。

それでも母さんを諦められなかった父親が、自分と重なり痛ましかった…


あれほど罵倒し、蔑んだ父親の気持ちが、今の自分は痛いほど理解できた。


だけども、俺は父親とは違う…


もし螢が俺の下から離れるならそれを止めたらダメだ…


螢は優しいから俺を詰らないだけだ。


俺が護りたいのは…やっぱり螢の笑顔だ…



悶々とした日が続く中、玄関の鐘が鳴った。


訪問者は…あの日以来会ってなかった祖母だった。


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