生まない事は罪ですか?

みずえ

第1話 

 受話器の向こう側で、母が言った。

「その年で、子供も産まないで自由奔放に生きている娘に、親の気持ちなんてわからないでしょ」

 と。私は、一瞬言葉を失った。言われたくない事を言われてしまったからだ。悔しくて、何か喋ると涙声になってしまいそうだったので、暫く黙っていた。そして、

「そうだ。田舎で過ごしていた小さな世界や、母の凝り固まった考え方が嫌で、家を出てきたんだ」

 と、10代の頃の窮屈な生活を思い出した。


 36才。結婚して8年。そろそろ回りの人も気を使って「お子さんは?」とは聞かなくなってきた。たぶん「夫か私のどちらかが病気で子供ができない」とでも思っているのだろう。親戚の叔母の中には「子供なんていない方が楽でいいわよ。無理して産まなくてもいいのよ」なんて、遠まわしに言う人もいる。本人は親切でしている事なのだろうけれど、「不妊治療」とか「高齢出産」と大きく書かれた記事をラインで送ってくれる人もいる。子供がいない事が悪い事の様に言う人も、大人として認めてくれない人もいる。でも私には、そんな忠告や言葉が他人事の様に聞こえ、覚めた心で聞き流してしまう。自分の中に「親になる」というイメージが湧いてこないのだ。それに、私達夫婦は子供が出来ないとか、出来にくいとか、そういう訳ではなく、「作らない」。もっと具体的に言えば、「作る行為がない」のである。だから何も知らずに「子供は早く生んだ方が楽よ」とか、「病院へ行ってる?」と言われると、悲しい気持ちよりも、相手の思考領域の狭さに呆れた気持ちになる。もちろん、アキラと私は傍から見れば仲の良い夫婦で「セックスレスが原因で子供ができない」なんて、人は思わないのだろう。だから「どちらかが病気」と思われたり、「アキラの不安定な職業のせい」と思われても仕方がないのだけれど。

 とにかく、原因が何であれ、世の中には子供を生まない夫婦や、子供を作れない夫婦、子供ができない夫婦がいるという事は現実で、本人達にはそれなりの理由があって、多かれ少なかれ悩んだり苦しんだりしているのに、何故そっとしておいてくれないのだろう。どうして、偏った思い込みで、良いとか悪いとか決め付け、何かを押し付けようとするのだろうか?


 最初はいつものように、母と、同居している兄夫婦との間の軽い愚痴話だった電話が、いつの間にか私の方へと矛先を向けられてしまったのだ。

 私は母に言った。

「私、そんなに常識はずれな生活しているかなあ。家を出てからお母さんに何か迷惑かけた?」

 本当は、「親不幸している?」と聞きたかったのだけれど、言われたくない言葉をストレートに浴びせられた悔しさで、泣きそうで言えなかった。事実、自分でも母の希望どおりの生き方をしていない事はわかっていた。

 けれども母は、

「迷惑はかけられてないけれど、何て言うか・・・うまくいえないけれど、例えばね、友達はもう直ぐ二人目の孫が生まれるからその仕度に忙しいって言うんだけど、それは楽しみって事でもあって、そういう事が親孝行と言う事だと思うんだよね。お母さんには、凪子の気持ちがわからないよ。前は子供が欲しいって言っていたのに。アキラさんは何て言ってるの? 相変わらずフリーターとかっていう仕事をしているの? 何処かの会社に就職して、安定した生活をしようとは思わないのかしらねえ」

 と、追い討ちをかけてきた。結局、いつも最後にはこの話になってしまうのだ。すごろくの「振り出しに戻る」というコマが頭に浮かんだ。

 母は私に、公務員とか、会社組織のしっかりしたサラリーマンとの結婚を望んでいた。社会保険や厚生年金に加入して、決められた休みもあって、「仕事がない」という事がない職業。それが安定した生活をつくる土台なのだと信じていた。それは、父の職業と反対の種類のもので、自分がしてきた苦労や心配をさせたくないという気持ちからだと思う。

 父は漁師をしている。日に焼けた浅黒い肌、ゴツゴツした力強い手、東北訛りの大きな声、いつも潮の匂いがしていた。夕方になると、軽トラックの音がして父が帰ってくる。毎晩夕食時には家族が揃っていて、それが当たり前だと思っていた。お箸の持ち方や食べ方について注意されたり、学校や友達の事を聞かれてうるさく思う時もあったけれど、暖かい幸福な時間であった事を、社会に出て初めて知った。通勤に時間がかかったり、残業や接待、単身赴任のサラリーマンには、夕食に間に合うよう帰宅し、家族と一緒に食事をしたり、団欒をするのは難しいのだ。だから私は、父を尊敬していたし、どんな季節の中でも一言の文句も言わず、大空の下で働く父の姿が大好きだった。

 アキラも、サラリーマンというタイプの人間ではなかった。けれど、何というか…夢追い人の様な人だった。けして働かない訳ではないのだ。好きな音楽を中心に生きて行きたい、それを阻害するものはいらない、と言った頑固者なのだ。それが彼の生き方なのかも知れないが、「いつか変わるだろう。現実を直視して、私の事や、子供や、家族という事について考えてくれるだろう」と思っていた。が、甘かった。そういえば私達は、お互いの将来についてとか、子供は何人欲しい? とか、しっかり話し合った事がなく結婚してしまった様な気がする。親の許しもないまま同棲し、籍もいれずにずるずると暮らしていた私達を見兼ねた双方の親が、結納やら式の段取り等を決め結婚に至ったという感じ。私達としては「結婚式なんてやらないよ。お金と時間の無駄だよ」と思っていたが、それでも真っ白なウェディングドレスに袖を通した時は嬉しくて「これも良いかなぁ」なんて思ったりもした。

 そんなふうに結婚してしまったものだから、将来とか、現実的な話を始めると、直ぐに喧嘩になってしまう。お互いの人生計画の中の優先順位が違いすぎて、どちらも譲ろうとしないのだ。

 アキラにとっての一番は音楽。

 私の存在は何番目くらいなんだろう・・・。

 昔は、私の中の一番はアキラだったけれど、今は違う。私の中での一番は何だろう? 子供がいれば「子供」と直ぐに答える事が出来るのだろうか? それとも「自分」と言ってしまうのだろうか?

 とにかく、20代前半の頃にたてた私個人の人生計画では、今頃は幼稚園児と一歳未満の2人の子供の母親になっている筈なのだ。そして、毎朝子供の為にかわいらしいお弁当を作ったり、一緒に絵本を読んだり、公園や動物園へ行ったり、楽しいお母さん生活をしているはずだったのだ。その計画が実行されなかったのは、アキラに特別な女性ができてしまった事も原因の一つではある。


 母とのたった30分程度の会話に疲れ、このイライラを誰かに聞いてもらいたくて和泉(いずみ)にラインをした。

 和泉とは大学生の時に知り合った。入学式当日のオリエンテーションで、時間ギリギリにドタバタっと入ってきて「すみません、ここ空いてますか?」と言いながら、私の隣に座ってきたのが和泉だった。新潟育ちの和泉は色が白く、スタイルも良く、美しい顔立ちをしていた。でも彼女は、その美しさを鼻にかける事なく、よく喋り、よく笑い、よく泣く、屈託のない性格で、下宿先も近く、すぐに友達になった。最初の頃は2人で雑誌を片手に、新宿、渋谷、原宿、青山、表参道等を散策した。そのうち和泉と私を含めて女の子5人の仲良しグループみたいなものができ、合コンやカラオケ、バイトやレポートに追われる楽しい学生生活を共に過ごした。けれど、卒業と同時に音沙汰がなくなってしまった子や、結婚し子供ができ会う事も間々ならず疎遠になってしまった子や、夫の転勤で海外にすんでいる子もいたりで、結局、結婚しても子供がいない身軽な私と、独身の和泉だけが頻繁に連絡し続け、今も変わらず愚痴を言いあったり、バーゲンへ行ったり、馬鹿話を交換しあったりしていた。


和泉へ

さっき、母から電話がきて、何時ものように、子供の事や、アキラの仕事の事をチクリチクリといわれてしまいました。おかげで又胃が痛み出してきそうです。でも、明日は仕事休めないし・・・4月には新入社員が入ってくるからその資料作りや研修の準備で毎日残業です。和泉の会社はどう? 今年は新入社員を採用するの? 去年は100人近くがリストラされたんでしょ? 商社も大変だねぇ。和泉は大丈夫? 目標は寿退社なんでしょ? フジオはどう? 何か話進んだ? 進展したら電話ちょうだいね。毎日寒いけど風邪ひかないようにね。じゃあ、おやすみ。


 ラインの送信ボタンを押し、さあ寝ようと思っていた時、アキラが帰ってきた。時計をみると零時をまわっていた。

 アキラは、友人が経営しているライブハウスに勤めながらバンド活動をしているため、昼過ぎに出かけ深夜に帰宅するという、夜型の生活を送っていた。

 私は食事を温め、アキラの向かいの席に座って熱い日本茶を飲んだ。アキラは新聞を片手に夕食を食べ、時々私の話に相槌を打つ。同じ献立を別々の時間に別々に食べる。これが今の私達の夕食。一緒に食事をするのは、お互いの休日が重なった時だけ。生活時間は6時間くらいずれているので、寝室も別々で、一つの家で個々に生活していて、時々一緒に過ごしているような感じ。でも、掃除・洗濯・炊事は私が一人でする。共働きなにの、何だか納得できないなぁと思ったりもする。何の為の夫婦なんだろう。まるっきり一人で暮らしていた方が自分の事だけをすれば良いのだから簡単だし、自分の為の時間がたくさんもてる。でも、和泉に言わせると、一人暮らしが淋しくて、無性に誰かの為に何かをしてあげたくなる時もあるそうだ。そういう淋しさは一人暮らしをしてみないとわからないのかも知れないが、二人で暮らしていて感じる淋しさも又、経験してみないとわからない。どちらがましなのか? 今さら試してみる勇気はない。

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