第二五三話 シャルロッタ 一六歳 弑逆 〇三
——イングウェイ王国の中心に位置する王都は今急ピッチで要塞化の準備が進められていた……。
「急げ! 第二王子派の戦力は少ないとはいえ侮れない……防衛の準備を進めよ!」
第一王子派の兵士達が慌てふためいて各所に土塁を設けるために工事を進めている……それを見ながらある住民は眉を顰め、ヒソヒソ話を続けている。
先日第一王子派と第二王子派の大規模な衝突により、第一王子派の軍は大きな損害を受けた……インテリペリ辺境伯家が考えるよりも実は深刻なダメージを彼らは受けている。
先日の戦闘で神聖騎士団のみが無傷で生還しているが、それ以外……モーターヘッド家とスティールハート家の軍勢はほぼ全滅……しかも生き残った兵士たちも恐怖に怯え、使い物にならなくなっている。
這々の体で逃げ帰ってきた第一王子派の生き残りを見た王都の住人達は何かおかしなことが発生しているのではないか? と不安に思うものが増えている。
「……王都を戦場にするのか……野戦でかたをつければいいのに……」
先の遠征軍に従軍した士官の一人ティモシー・デカダンスは、他の住人と同じように急いで防衛設備などを整えている他の兵士を見つめながらつぶやく。
彼は遠征軍の崩壊時には後方で兵站構築の任務についており、逃げ出した兵士たちをまとめながらなんとか王都まで撤退していた。
撤退時に混乱した兵士達の潰走にに巻き込まれて左腕を骨折しており、治療院で治療を受けた後本部へと戻るために大通りを歩いている最中だ。
彼は王都で生まれ育っていたこともあってその美しい街並みや、活気のある市場の喧騒、そして美しいオーヴァーチュア城があるこの光景が大好きだった。
「……美しくない……これでは王都の景観が崩れるじゃないか……」
今王都の中にはいくつもの木でできた物見櫓が建てられ、その周りに防衛用の投石器などが並んでいる物々しい光景が広がっている。
素行の悪い一部兵士の中には臨検と称して小さな商店へと押し入り金品を強奪する騒ぎなどを起こすものがいて、憲兵が取り締まりのために走り回っているような状況だ。
当然昔のような美しい街並みは少しずつ薄汚れつつあり、活気は無くなってきている……これで本当に良いのか? と思うこともあるが、第一王子派はお構いなしに工事を進めている。
もちろん第一王子派の中でも工事の強行に苦言を呈するものも存在していたが、そういった一部の声が完全に無視され、王都は次第に要塞化が進みつつあった。
「……兵士さんや、この喧騒はいつになったら収まりますかね……」
「え? あ、そ……そうですね……」
いきなり声をかけられてティモシーは驚いて声の主へと顔を向けるが、そこにはフードを深く被った腰の曲がった老婆の姿があった。
老婆……と思ったのは彼女の声が少し嗄れたものであり、表情などは伺えないが腰の曲がり方からしてそうなのだと思ったからなのだが……杖をつくその老婆の雰囲気に少し違和感を覚えつつも、ティモシーは相槌を打ってから工事の光景へと視線を戻す。
兵士である彼としては第一王子派の行なっている工事に反感を覚えつつも、職務として不安がっている王都の民を安心させなければいけないと思い立つ。
「大丈夫です、今は大変かもしれませんが内戦に終止符が打たれればすぐに元の生活へと戻れますよ」
「……そうですか……でもいつまでですかね……」
「それはそうですね……クリストフェル殿下……あ、いや反逆者が降伏してくれるのが一番ですが……」
答えに窮したティモシーはクリストフェルの名前を出してから慌てていい直すが、第一王子派の兵士達にはクリストフェルの名前を公に使わないようにというお触れが出されており、それまで敬愛の対象だった人物を反逆者と呼ばなければいけないことに軽い心の痛みを感じる。
第二王子クリストフェル・マルムスティーンは病気を克服してから大きく成長し、剣の訓練で王国軍の訓練場によく足を運んでいるのを目撃されている。
そこでは一兵士にも屈託のない笑顔で話しかけ談笑するなど、気さくで付き合いやすい王族として親しまれていたこともあり、第一王子派の兵士からしても憎むべき敵とまでいえない存在なのだ。
「反逆者ねえ……でも王都をこんなにしているアンダース殿下の方が、よほど酷いのではないかしら?」
「お、お婆さん……声を小さくして、そんなこと僕以外に聞かれたら大変ですよ」
「あら、そうなの……」
老婆は少しクスッと笑った後にティモシーの忠告を受け入れたのか彼が見ていた方向へと視線を向ける。
フードに隠れてわからないが、彼から見てとてもその仕草が普通の老婆のようには見えないほど自然で滑らかな動作だったため、再び違和感のようなものを感じた。
ティモシーがその違和感に抗えずに老婆へと声をかけようとすると、老婆は一度頭を下げるとさっさとその場から離れていく。
声をかけるタイミングを失ったティモシーは、改めて老婆を足止めするかどうか悩んだが結局声をかけることを諦めると軽く頭を掻いてからため息をついた。
「……何だったんだ……でも……いう通りか」
老婆の言う通りだ……クリストフェル殿下や婚約者である
だが……アンダース国王代理や第一王子派は現体制の維持と保護を目的としなければいけないため、本来であれば王都は戦場にするべきではない。
それなのに第一王子派は初の大規模な衝突で出た被害に恐怖を覚えたのかすぐに籠城戦を決定してしまい、王都の各所に手を入れ始めてしまった。
これではまるで第一王子派が負けたように見えるではないか……と彼は考えると再びため息をつく。
現時点においても第一王子派の戦力は強大で、第二王子派よりも数の上では優っている……特に先の衝突でインテリペリ辺境伯家の戦力はかなり削られており、元の水準に回復するまでに相当な時間を要するだろう。
彼らが先の戦闘から追撃を行わず一度領都であるエスタデルへと撤退していることからも、あの混乱の中で少なくない戦力を失っていることは間違いないのだ。
ここで第一王子派の主力軍を派遣し畳み込むことができれば、もしかしたら王都を戦場にすることなく第二王子派は白旗をあげたのかもしれない。
弱腰とも見られるこの行動に、日和見をしていた貴族達の一部が王都にあった屋敷から退去し、自分の領地へと戻っていくことも増え始めている。
おそらく彼らは第二王子派に与することを厭わないだろう……そして時間が経てば経つほど不利になっていくのは第一王子派なのだから。
「……とにかく上申だけは進めるか……何とかして王都を戦場にしないためにも」
「……思ったより見どころのある坊やだったな」
裏路地に入ったところでフードを被った老婆はポイ、と杖を投げ捨てると真っ直ぐに背筋を伸ばしてから周囲に目を配ってから呟く。
その声は先ほどまでの声色ではなく少し低い女性の声であり、彼女がフードをあげると真っ赤な髪の毛がこぼれ落ちる。
王都にある
少しきつめの顔立ちをした美しい彼女は、第一王子派の命令により
しかし……冒険者の大半が現状の王都の状況をよく思っていなかったこともあり、第一王子派の兵士たちを買収し、軟禁状態だったアイリーンを解放したことでようやく自由に動けるようになっていた。
「……アイリーンさん」
「ここではアンドレアだよ」
「失礼しましたアンドレアさん、街の様子はどうでしたか?」
建物の影からまるで染み出すように姿を現した一人の男性が彼女へと声をかけるが、本名では軟禁から解放されていることが第一王子派にバレてしまうということもあって偽名を使っているため、訂正させるとアイリーンはにっこりと微笑む。
彼女の前に姿を現したのは、
彼はセアードでの活動を認められてインテリペリ辺境伯領の
特にアイリーンの軟禁を解くために、「赤竜の息吹」との交流のあった冒険者達と接触し、裏から彼らを支援したのはトゥールと元セアード支部の
「ひどいもんさ、住民そっちのけで防衛設備を整えているね、これじゃクリストフェル坊や達が攻め込んできてもひとたまりもないだろうね」
「そうですか……」
「ま、そのため私達がいるんだろ? 冒険者達の活動にも影響が出てて腹が立つから全員殿下に協力するってよ」
アイリーンは軟禁が解かれてから時折変装をして王都の様子を調べており、その情報を第二王子派へと
本来中立であれとどちらにも与しないことを明言していた彼女であり、当初は公平に両者を扱うことを考えていたものの第一王子派はそんなアイリーンを信じずに半分強制的に軟禁状態へと追い込んでしまった。
元々セパルトゥラ公爵家の令嬢である彼女にぞんざいな扱いをしたことで、彼女の実家からはアンダース国王代理に対して抗議文が届けられたが、彼はそれを見ることもなく握りつぶしたと言われる。
激怒したセパルトゥラ公爵家が第二王子派に接触を図り始めたため、それを知った彼女自身もそれまで中立の立場を崩して第二王子派への協力を惜しまなくなっている。
「……殿下に伝えます」
「ああ、王都の防衛設備については安心してくれ、鬱憤の溜まってる連中が間違えて
ニヤリと笑うとアイリーンは再びフードを下ろすとそのまま路地裏へと歩いていく……そろそろ
彼女は脳裏に以前会談をしたアンダース国王代理の冷たくどこか遠くを見るような目を思い出して、はらわたが煮え繰り返るような思いにかられる。
貴族家からでて冒険者として名を上げ、そして
元々気に食わない連中だ、最近体も鈍って来ている……そろそろ暴れても良い頃なのだろう、と彼女は不敵に笑うと歩き続ける。
「セパルトゥラ公爵家の名前なんかどうでもいいと思ってたけど、人を舐め腐った連中に傅く気はないねえ……殿下は早く王都に来なよ、でっかい花火をぶち上げてやるよ」
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