第35話 悪役令息が生まれた日(中編)

 

 探索者としての生活は自分と戦う日々だった。

 幸いにも自分に興味がない実家は探索者になることを許してくれたし、後見人としてアランがついてくれたから困ることはなかったけれど、初めての一人暮らしで何かも放り出されて、料理や家事、探索、修業、すべてこなさなければならなかった。迫害を受けていたとはいえ、公爵令息として衣食住に苦労はしていなかったジャックだから、これにはかなり堪えた。


 加えて、生活費も自分で稼がなければならない。


 探索者としての稼ぎは多くなく、とりわけ低級の探索者が受けられる依頼などドブ攫いや猫探し、近所の不良退治、騒音問題の仲介など、稼ぎが少なく精神的にクるものばかりだったから、仕事を終え、泥のように眠り、起きたらアランに修業をつけてもらい、仕事に行き……と、心から休める暇なんてなかった。


 ──やめてしまおうか、と何度も思った。


 自分には無理だった。向いてなかった。才能がなかった。

 何度も何度もそう言い訳して、逃げ出そうとした。

 その度に思い出すのだ。あの日の輝きを。


『少なくとも、その可能性を否定する権利は誰にもないわ』

『強い男になりたいなら、なりなさいよ。そしたら私みたいな良い女と結婚できるかもよ』

『そうね……私は私より強くて頼り甲斐があって、私を世界で一番尊重してくれる人がいいかな』


 ジャックは自分が誰より凡才だと思っている。

 痛いのは嫌だし、戦うことは嫌だし、出来るなら家でぐうたら寝ていたいと思う。

 だけどここで諦めたら、ラピスの言葉を嘘にすることになる。


(それは、ダメだ)


 自分とラピスを繋ぐ、唯一のものを切り離してしまう。

 あの日の決意を、彼女の言葉を否定することは誰であろうと許さない。


 それに──


 もしも。

 もしも、あの人が認めるくらい強くなったら。


 万が一よりも低い可能性かもしれないけど。

 強くなれたら、あの人とお近づきになれるかもしれない。

 いや、あわよくば手を繋いだりあんなことやこんなことも出来るかもしれない。


 下心と呼ぶなら笑えばいい。

 それでも、今の自分にとってはそれだけが心の支えで。

 ラピスの隣に立てる、その可能性のためならすべてを懸けられた。


 ──一年が過ぎた。


 等級は見習いのまま変わらない。

 けれど確実に依頼をこなす様からギルドに信頼されてきた。


 ──二年が過ぎた。


 毎日アランに叩きのめされたおかげで、ゴブリンに勝てた。

 探索者としては最低限の強さだったが、それでもジャックには快挙だった。

 体つきも変わり始め、徐々に理想の強さに近付きつつあった。


 ──三年が過ぎた。


 十歳にして銀級まで一気に上り詰めた。

 鬼気迫る勢いで魔獣を倒す様から『凶犬』と呼ばれ始めていた。


 ──四年が過ぎた。


 ラピスが第一皇子と婚約したと聞いた。

 布団にくるまってわんわん泣いた。

 涙ながらに魔獣を倒しまくって血まみれになった。


 覚悟はしていた。

 騎士でいいと言ったけど、それでも隣に立ちたかった。


 このまじゃじゃダメだ、と思った。

 確かに探索者としての腕は上がっているかもしれないが、自分は別に、探索者として名を上げるために修業をしているわけではない。ただ単に、惚れた女の隣に立てる自分になるために探索者をやっているのだ。相手は公爵令嬢。そんなもので気を引けるほど甘くはない。


 だから、社交界に出ることにした。

 正直に言えば成長したラピスに会いたかったというのもある。


 いや、むしろそれしかない。

 婚約者を得て幸せそうに笑うラピスを見れば諦められる気がしたのだ。

 自分の気持ちに区切りをつけたい一心でアランの助けを得て社交界に出たのだが……。


 そこにラピスは居なかった。

 なぜか婚約者ばかりが社交界に出ていて、当の本人は家に引きこもっていたのだ。


 ──母が病気らしい。


 その噂を聞いたのは探りを入れるために第一皇子の舞踏会に潜り込んだ時で、ラピスが大変な時にへらへらと笑い、他の女に腕を触らせるラディンが憎くてたまらなくて、悔しくて死にそうだった。


(俺ならもっと傍に居てやるのに。何も出来なくても、苦しみを分かち合うことは出来るのに)


 ジャック自身、探索者として鍛え上げた身体や他の令息にはない覚悟のようなものがにじみ出ていて、社交界では注目された。言い寄ってくる女もいたけれど興味なかった。昔も今も、ジャックの心にあるのはラピスだけで、ラピスのためじゃなければ何も頑張れなかった。けれどそのラピスにも会えなくて、実力も伸び悩み、これ以上どう頑張ればいいのか分からなくなっていた。


 会いたい。

 会いたい。

 会いたい。


「いいかジャック。幻級と絶級の間には絶対的な壁がある」


 向こう側へ行けるのは一部の選ばれた者だけだ。

 そしてその差は、直面した者だけが感じ取れるのだとアランは言った。

 かくいうアランは絶級だ。

 探索者だけじゃなく兵士としても一級。されど、替えが効かないわけではない。


 ──悔しかった。


 自分ではその先に行けないのではないかと何度も考えた。

 アランにはラピスなんて忘れて他の幸せを探せと何度も言われた。

 だけど頭から離れなかったのだ。


 ラピスの声も、笑顔も、言葉も、仕草も。

 鮮烈に焼き付いた思い出は、未だ心の原動力となっていた。


 その一心で、ようやく絶級になったという時だ。

 一仕事を終えた夜、宿屋で着替えをしている時にアランが飛び込んできた。

 探索者として度々組むことはあったが、徐々に会う頻度が減って来た兄が血相を変えて部屋に来て、ジャックは眉根を寄せた。


「アラン兄? どうしたんだよ、そんな慌てて」

「いいかジャック、落ち着いて聞け。ツァーリの嬢ちゃんが」


 ──ラディンに嵌められて婚約破棄した。

 ──本人は冤罪を認めず逃亡。帝都に潜伏している。


 正直、喜ばなかったと言えば嘘になる。

 あわよくばと思ったことは何度もあって、そうなったら今度こそ自分がと思っていたのだが──


『第二皇子の私兵がラピスを狙っている』


 その話を聞いた時、飛び上がりそうになった。

 なんでも第二皇子のルイスは昔からラピスに執着していて、ことあるごとにちょっかいを出していたらしい。そして今度こそラピスを我が物にしようと、その毒牙を伸ばしたのだ。


「第二皇子は、ラディンと違い黒い噂が多い」


 アランは言った。


「……私兵の中にはダリウスもいる。どうする?」


 答えなんて決まり切っていた。


「行く」




 ◆◇◆◇





 真夜中。

 薬屋の周囲を黒づくめの男たちが取り囲んでいた。

 見る者が見れば分かる、気配を殺す訓練された暗部の集団。

 その中に見慣れた姿を見つけて、ジャックは堂々と薬屋の前に立った。


「おーおー、堕ちたもんだな、バラン家の嫡男って奴もよ」

「……貴様」


 ダリウス・バランは夜闇に碧眼をきらめかせた。


「何しに来た」

「止めに来た」

「なにを」

「テメーらが今からしようとすることを、だよ」

「……愚かな」


 心の底から軽蔑したような言葉だった。

 光に照らされたダリウスの影が大きく伸び、威圧感が増す。


「恐らく貴様は表面的な情報だけを聞いてやってきたのだろうが、我々がやろうとしているのはバラン家のため、ひいては国のためだ。貴様如き出来損ないがしゃしゃり出て来るのは止めろ」

「うっせぇよ、ボケ。理由なんざ聞いてねぇんだよ」


 ジャックは犬歯を剥き出しにした。


「ただ俺は、気に入らねぇ野郎がいるからぶっ飛ばしに来た。それだけだ」

「──絶級まで上がって調子に乗っているようだが」


 ダリウスは剣を抜いた。

 抜き身の刃を容赦なく実の弟へ向ける。


「身の程というのものを教えてやろう」

「……ハッ」


 薬屋を取り囲んでいる人数は二十人を以上。

 たかが一人の令嬢を攫うのにずいぶん用意したものだ、と思う。

 それも、かつて一度も勝ったことのないダリウスまで居る──。


 あぁ、それがどうした。


(退けねぇ負けねぇ見過ごせねぇ)


 ここですごすごと引き下がったら自分は絶対に後悔する。

 助けたい、とか、許せない、とか。


 そんな理由はもちろんあったけれど、ラディンと婚約した時、ジャックは自覚したのだ。


(他の男に、渡したくない)


 あの第二皇子に渡すくらいなら、自分が傍に張り付いてやる。

 誰にも手出しさせない。誰も彼女に指一本触れさせてたまるものか。


「行くぞオラァぁあああ!」


 叫び、ジャックは決して負けられない戦いに挑んで──




 完敗した。


 夜も更けて通行人が出るまで倒れることなく、しかしダリウスを倒すことも敵わなかった。


「ルイス様は誰にも知られることなく令嬢を攫うことをお望みだ。そして、もし逃げる場合は殺していいと仰っている」


 彼は言った。


「もしも誰かに知らせた場合は、覚悟しておくことだな」


 何の覚悟だとか、聞く余力も残っていなかった。

 通行人が現れ、騒ぎを避けたダリウスが負傷者を回収して去って行く。

 薬屋の壁にもたれかけて、あぁ死ぬのかと思った。


(くそ……結局俺は、弱っちいんだよなぁ……)


 真に持っている者には敵わない。

 それを痛感させられた戦いで、悔しくて死にそうだった。

 ジャックはそのまま意識を失って、そして──


「起きたの」

「!?」


 目覚めた時、彼は己の運命と再会した。

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