第14話 滅びの足音×苦労人
──アヴァロン帝国、帝城ルプスアドルム
──皇族の間の一室。
「ラディン殿下! もうお身体はよろしいの?」
「あぁ、シルル。君のおかげでね」
ベッドに横たわりながらラディン・フォン・ブーテンベルクは微笑んだ。
愛おしい娘の頬を撫でる彼の頬は緩んでいる。
「君だけだよ。僕のことを心から心配してくれるのは」
「えへへ……ありがとうございます」
恋人さながらに身体を寄せ合う二人だが、まだそういった関係ではない。
ラピスの件で父王から事情聴取を受けたラディンはしばらく大人しくするよう言われたのだ。
あとは父親同士で話し合うとのことだが、彼自身は早くあの女を捕まえてほしいと思っている。
(小賢しい女め……まんまと実家を味方につけやがって)
皇帝にこの件は預かると言われてしまった以上、配下の者を動かすわけにはいかない。密かに東門から出ていったラピスを密かに襲撃させてみたが、「謎の男に防がれた」と壊滅させられた。いまやラピスの行方は杳として知れない状態である。
(王国の暗部を壊滅させる男か……一体誰なんだ?)
ふと疑問が沸いたラディンに、
「それより殿下。例の事業のこと考えてくれました?」
シルルが問いかけ、彼は微笑んだ。
「あぁ、平民に炊き出しを行うというあれかい」
「えぇ。平民たちもお腹が空いているでしょうし、食べ物をあげたら喜ぶと思いますの。そしたらみんな殿下を次代の王にと望むでしょう。いつだって強いのは平民を味方につけた者ですわ」
「確かにね」
現在、王位継承権第一位のラディンだが、貴族からの支持は芳しくない。
それもこれもあの悪評まみれのラピスと婚約していたからだ、とラディンは思っている。
(まさか僕を毒殺しようとするまでは思わなかった)
忌ま忌ましい女の顔を思い出して歯噛みする。
曰く、現代薬学の最先端を行く天才悪女。
曰く、性格は残忍かつ冷酷で人を足蹴にすることを厭わない。
曰く、ツァーリの名を笠に着て法律を無視する常識知らず。
彼女は確かに頭が良く、ツァーリの名を継ぐに相応しい気性を持っている。
しかし、正論で渡って行けるほど世の中は甘くない。
理想ばかり口にして人の心も考えない女が王妃になればどうなるか、貴族たちが未来を考えてラディンを支持しないのは当然のことに思えるし、なぜあの女を婚約者に据えたのか、父である皇帝にすら怒りを覚える。第二王子のベリアルには、清楚で可愛らしい女性があてがわれたというのに。
(まぁ、シルルに出逢えたから良しとするか)
「好きなだけ僕の名を使っていいよ。資金集めは順調かい?」
「はい! 現在、社交界などで出資を募っていますわ。また、有力商会の会長からもぜひにとお声がありまして。これで皆さん飢えずに済みます。ありがたいことですねぇ」
「そうだね」
頷きながらも、ラピスだったら嫌がるだろうな、とラディンは思う。
『炊き出し? 何の意味があるの。根本から生活事情を解決しないと意味ないわよ』
ばっさり切るラピスの発言が想像できてしまい、慌てて首を振った。
(あの女は僕を毒殺しようとした奴だ。そんな奴の意見なんか聞くもんか)
「殿下、こちらの書類に目を通して頂きたいのですが……」
遠慮がちにノックしたのは黒髪赤目の青年だった。
ルアン・ツァーリ。
シルルを見た青年の瞳に隠しきれない熱情が灯る。
それに気付いていないのか、シルルは「あら、ルアン」と微笑み、
「お気遣いありがとう。わたしの為に待っててくれたのよね?」
「い、いえ。俺は自分の役目を果たしただけです」
「ふふ。そういう弁えているところも謙虚で素敵よ?」
「……ありがとうございます、バース子爵令嬢」
「ルアン。見て欲しい書類があるんじゃないのか?」
「あ、そうでした」
ルアンを呼び寄せると、シルルは優雅に立ち上がった。
「あんまりお仕事の邪魔しちゃいけませんわね。殿下、今日はこの辺で」
「あぁ。また来てくれるかい?」
「もちろんですわ」
夕陽色の髪からふわりと漂う花の香り。
微笑みを浮かべたシルルはお辞儀をして去って行く。
ラディンの部屋から出ると、彼女はストン、と表情を落として呟いた。
「馬鹿な男」
◆◇◆◇
──アヴァロン帝国。
──帝都騎士団本部。
「ほ、本当なんです。バラン家の令息が私を殺そうとナイフで迫ってきて……!」
「毒薬を持った女もいたんです! ツァーリと同じ黒髪の女で……!」
「お願いします逮捕してください私はまだ死にたくない!!」
牢屋の一室で事情聴取をしていた騎士が後ろを振り返った。
「さっきからこれの繰り返しなんです。こんな案件に隊長を呼ぶのはどうかと思いましたが、ツァーリの名を出すので念のため……どう思われます? テオドール隊長」
「……」
黒髪赤目の男が天を仰いでいる。
テオドール・ツァーリは頭が痛そうにこめかみを揉みほぐした。
「そうだな……うん。錯乱しているだけだろう。望み通り逮捕してやれ」
「了解しました」
テオドールは無言で部下を手招きした。
囚人に聞かれたくない話だと察した部下がついてくる。
「それで、黒幕のほうは?」
「既に調査していますが、思ったより根は深そうです」
テオドールの部下が担当していたのは下町に蔓延る詐欺組織だった。
件の組織は平民から土地の権利書や資産を巻き上げ、その土地を国や有力商会に売ることで利益を得ている。その手口は多岐に渡り、医療ギルドの名を語るものや、美術品などを贋作と称して巻き上げたりするものまで様々だ。
「頭はわかっているのか」
「はい」
部下は調査報告書をめくった。
「組織のトップはカンテラ商会の若頭。最近、社交界に顔を出している商会です」
「織物を扱ってる問屋だな。海外にも出資しているとか。つまり目的は……コネか」
「は。仰る通りかと」
多額の献金で貴族から気を引き、社交界に取り入る気だろう。
あわよくば貴族の令嬢令息と縁を結んで貴族性を得ようと考えているかもしれない。
まぁそれは構わない。商人の犯行としてはよくあることだ。
問題はーー
「第一皇子が絡んでいるのは本当なのか?」
「より正確に言えば殿下が懇意にしている男爵令嬢ですね」
「同じようなものだろう。なぜ詐欺グループと手を組んで……」
部下は声を顰めた。
「件の令嬢が頻繁に炊き出しを行っているのをご存知ですか?」
「あぁ」
「支持票を集めるためとはいえ、予算委員会から突かれているようです。国の予算から出せないなら平民から搾り取ればいい……おそらくそういった手口かと」
「……平民から奪った金で平民に炊き出しを行うわけか。とんだ茶番だな」
「ですが、奴らの悪事も終わりです。さすがに第一皇子を星にあげることは出来ないかと思いますが……皇族の権勢を削ぐことは出来るでしょう。しかるべき時にツァーリの力でなんとかして頂ければと」
テオドールは顔を顰めた。
「やめてくれ。ツァーリは万能じゃない。ましてや皇族と敵対しているわけでもない」
「犯人の言ったことを気にしてるのですか? 大方、ツァーリの悪評を信じ込んだ莫迦です。気にする必要はありませんよ、隊長」
それにしても、と部下は再び報告書を見る。
「奴を自首させたのはバラン家の悪童ということですが……どうしましょうね。相手が悪人だったから良かったものを、もしこれが結果論だとすれば大問題ですよ。何やら毒薬を持った女もいたそうですし」
テオドールはだらだらと汗を流しながら頷いた。
「うん……ソウダネ」
「隊長? 顔色が悪いようですが」
「なんでもない。ひとまずバランと毒薬女のことは置いておこう。まずは犯行グループを確実に捕まえるところからだ。期待しているぞ、クリス。無事に星を上げたら昇進も視野に入れていい」
「は……はい! 引き続き頑張ります!」
「ほどほどにな……いやほんとに」
ぼそりと呟いたテオドールに部下が首を傾げた。
「あ、そういえば隊長の末妹って」
「うん、喋ってる暇があるなら仕事をしようか」
「──っ、了解しました!」
地下牢から出た部下は一目散に走り去っていく。
はぁ、と息をついたテオドールは黒髪をかきあげた。
(刃物で脅したら毒薬を持った女が反撃しようとしてきた……か)
ずーん、とテオドールは頭を抱えた。
(ラ~ピ~ス~~! お前、
おそらく、いや間違いなく本人だ。
帝都に潜伏していることは知っていたが、まさかこういった形で名前を聞くとは思わなかった。武器を持った男に毒薬で反撃を試みる黒髪赤目の女など、そうそういてたまるか。
(
あるいは証拠固めをしている最中かもしれない。
あの賢い妹が本気になれば第一王子の命など風前の灯だ。
(けど、あいつはずっと自由を望んでたしな……そんな面倒ごとやるくらいなら俺に押し付けてきてもおかしくないし。貴族院時代に嫌がらせした犯人と証拠だけ捕まえて、後は俺によろしくって、何度もあったしな……はぁ……)
あの暴走妹のことだから、どっちもあり得るのが怖いところだ。
自分に出来ることはその時に備えておくことくらいか。
まずはルアンを説得しよう。詐欺に第一皇子が絡んでるとなれば、さすがのラピスも弟に対して容赦がなくなってしまう。
(……ま、元気にやってるってことかな)
窓の外から見える中庭では花壇の花が日差しを浴びている。
気持ちのいい風を浴びたテオドールはふっと口もとを緩めた。
「まだ一週間も経っていないが、元気そうで何より……」
口にしかけたところで、テオドールは再び頭を抱えた。
(一週間も経たずに問題を起こしてるのか……そうか……)
これからのことを考えて胃がきりきり痛むテオドールだった。
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