第14話 父と子と

 下層への入り口。飛び込んだ先はジョゼの実家だった。最初に潜った時のようにおもちゃや悪戯装置は見えなかったが、なんだか空気が澱んでいる気がする。ぎ、と床が軋んでいる音を立てながら辺りを見渡す。


「ジョゼはどこへ」

「探しましょう」


 ヒューノバーと共に家の中を巡る。リビングやキッチン、子供部屋を巡った後、両親の寝室から声が聞こえてきた。少しだけ扉を開けて聞き耳を立てる。


「殺してほしい。殺してほしい。殺して」

「うるさいんだよ!」

「殺して、殺して」

「やめろジョゼ」


 女性が殺してほしいと懇願する声。ジョゼの声とジョゼの父親の声もした。薄く開いた扉から見えるのはベッドに横たわる誰かと、隣に立つジョゼとジョゼの父親。


「ああもう、気が狂いそうだ」

「仕方ないんだよ、ジョゼ」

「父さんが足を悪くしてから俺ばかり損な役回りだ! 誰も助けちゃくれない!」

「すまない……」

「なんで俺ばかり……俺ばっかり!」


 子供の癇癪のような声をあげるジョゼに父親が諭すが聞き耳を持とうとはしない。ジョゼは椅子に座り込んで項垂れた。


「ごめん。俺、駄目なやつだよなあ」

「そんなことはないよ」

「でも俺は、思っちゃうんだよ。母さん早く死んでくれないかって、産んでくれた母親にそう思うなんて、最低だ」


 ジョゼの力ない声に父親が肩を抱いた。


「なあ、ジョゼ。……俺と母さんを殺しちゃくれないか」

「何言ってんだよ。出来るわけないだろ。親を殺すなんてさ……」

「なら、俺が殺すよ」

「……は?」


 父親はどこから出したのか、ナイフを手にしていた。ベッドに近付いて殺してほしいと懇願し続ける母親に向かって刃を突き立てた。

 悲鳴が上がる。血が飛び散る。何度も何度も、父親は自身の妻に刃を突き立てた。血飛沫が一帯に飛び散る。凄惨な、光景だった。そのうち母親は声を発することは無くなった。亡くなって、しまったのだろう。


「う……」


 気分が悪くなり口元を押さえた。けれども目を逸らしてはいけない。


「何やってんだよ父さん!」

「……これでお前は自由だよ。ジョゼ」

「……っ! そんなことしてまで欲しい自由なんてないよ!」


 父親はジョゼへナイフを向ける。ジョゼの表情からは怯えが見てとれた。ジョゼの父親は声を荒らげながら血まみれのナイフを振るう。


「お前は自由だよ。俺を殺せば!」

「何言って」

「憎かっただろう。俺のことも。碌に家にも帰らず遊び歩いてよ。たまに顔出しゃお前は俺のことを蔑んだ目をしているんだよ。……母さんを殺すのは簡単さあ。でもよ。俺の足じゃあお前を殺すのは出来っこないよな」

「落ち着いてくれよ父さん」

「ずっと、お前が憎たらしかったんだよ。ジョゼ!」


 父親はジョゼに向かって足を引きずりながらも高速で近づく。父親の腕を掴んでナイフを遠くへと追いやろうとするジョゼだったが、父親は反動で床に投げ出された。 手を離したナイフは大きな音を立てて床に落ちた。


 再び父親がナイフを掴んで身を起こす。ジョゼの足にナイフを突き立てるとジョゼは悲鳴を上げた。父親は立ち上がると、再び襲い掛かった。抵抗するジョゼは父親からナイフを奪い、そうして。


 父親の胸にナイフを突き立てた。父親は抵抗することなく、床に倒れ込んだ。

 はあ、はあ、とジョゼの息の上がる音に、私は息を吸うのを忘れるほど魅入ってしまったのもあり、深呼吸をした。


 ジョゼは肩で息をしながら、血まみれで呆然と立ち尽くしていた。


「もう出て行ってもいいでしょう」


 その言葉に従い、ヒューノバーと共に部屋へと入った。ジョゼはこちらには気が付いてはいなかった。それほど興奮状態なのだろう。


 部屋の中は凄惨だった。血に溢れ、死体が二つ。……これは、ジョゼの正当防衛だったのだろう。実の父親が母を殺め、自分までもを手にかけようとしたのだ。


 ヒューノバーの呼びかけにジョゼは力無く振り返った。


「あんたは……ああ、スフィアダイバー。……よくここまで辿り着いたな。前潜ったヒトは、潜れなかったらしいからな。深くまで、俺の地獄の再演までは……」

「酷なことを暴いてしまい申し訳ありません。ですが、あなたの秘密を教えていただけませんか」


 ジョゼはベッドに腰掛けると項垂れながら、説明を始めた。認知症の母が父に殺されるという惨い死に様。自分すらも殺そうとした父への恐怖心。


 思い出すにも、どうしても悲痛で。心を閉ざして、自分ひとりだけでの犯行だと、全部墓まで持っていくつもりだった犯行だったと。ジョゼは言葉を選びながら話してゆく。


「父さんが俺を殺そうとするなんて、考えられなかった。自分自身で否定したのさ。あれはひどい夢だったんだって」

「……深くまで潜ると、PTSDと言いますか、トラウマだった場面の再演が起こる場合が多いのです。あなたが苦になっていたことを教えていただきたい」


 認知症の母は、重度らしく会話が成り立たないらしい。それでも父がずっと着いていた。自分も出来る限りのことはした。しかし、父は表に出さないだけでかなり疲弊していたのだろう。


 妻を滅多刺しにするほど、憎らしく思っていたのだろうとも。


「俺は死んだ方がいいんだ。全部俺のせいだと抱えて生きたかったのに、あんたたちが来ちまった。俺の父親は殺人犯になっちまったんだな」

「あなたは正当防衛が認められます。悪いようにはなりません」

「そうかい……」

「自分たちが出ていけば、あなたは何も覚えてはいないでしょう。けれど、どうか目を逸らさないでください。あなたは、被害者と言ってもいいのですから」


 ヒューノバーの言葉に、ジョゼは静かに涙を流していた。後日、今回の心理潜航を元に聴取があるそうだが、本人からすれば何故知っているのか? と思うことだろう。しかし心理潜航を行うことは知っていただろうし、然程驚きもしないのかもしれない。


 詳しい話は要請してきた機関がすることになるだろう。廊下に出て深く息を吸った。背中の冷や汗が気持ち悪いと感じる。そろそろ上ろう。とヒューノバーに告げられて、ヒューノバーの手を握った。


「あの、出る時は一応ひとりでも可能ですが」

「あ、そうなの。じゃあやめようか」

「いえ! このままでお願いします!」


 こいつ結構欲望には忠実なやつだよなあ。と思いながら目を瞑り緑色のを浴びながら目を開けた。椅子に座ったままで診察台の向こうには同じく椅子に座るヒューノバーの姿があった。


 ヒューノバーの元に向かって肩をゆすると薄らと青い瞳が見えた。


 今回はこれで終了だとリディアに語りかけられて、潜航対象者を残してヒューノバーと共に監視室へと向かった。


「今回のケースは、父親による母親の殺害。父親に対する正当防衛ですね。刑は現在よりも軽くなるでしょう。ある意味、父親としては自殺関与、同意殺人罪で書類送検として処理されることでしょうね」

「そうですか……」


 正直言って、グロやゴアに耐性がある方だとは思っていたのだが、実際目の当たりにすると血の気が引くことがわかった。今後も今回のような心理潜航は嫌だな……。と思いつつ逃げ道のない私にとっては渋々仕事をする他無いのだった。


 調書を纏めるようにと告げられて潜航室を後にした。

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