4

「ただい……うげぇ」


 ドアを開けるなり、若井はばたりと玄関に倒れ込んだ。

 気分が悪い。酒臭い。でも、もう起き上がりたくない。このままぐっすり眠ってしまいたい。

 そんな彼の頬をぴしりと叩いたのは、チクチクモフモフの尻尾だ。


「何をしている」

「見てのとおりだよ。もう動きたくねぇ」

「動け。ここで寝たら風邪を引く」

「じゃあ、起き上がらせて」


 差し出された両手を無視して、大賀は妻の背中と膝裏に手を伸ばした。「うわっ」と声があがったのは、身体がふわりと持ち上がったからだ。


「バカ、やめろ、下ろせ」

「暴れるな。落ちるぞ」

「お前が下ろせば落ちねぇよ!」


 ない──これは、あり得ない。成人男性を「お姫さま抱っこ」するだなんて、どう考えても気持ちが悪すぎる。

 そんな妻の抗議をものともせず、大賀は彼を寝室まで運んだ。

 目指すはふたりが結婚してすぐに購入したダブルベッド。身長180センチ越えの大賀でも熟睡できるキングサイズのそれに、若井の身体はどすんと落とされた。


「おま……っ、いきなり落とすなよ」

「ベッドだから問題ないだろう」

「あるわ! さっきから吐きそうって……うえっ、やば……っ」


 結局、若井はトイレまでダッシュするはめになった。

 最悪だ。あのモフモフ野郎、俺をなんだと思っていやがる。

 吐くだけ吐いたあと、不快感がなくなるまで洗面所で口をゆすぎ、ついでに歯も磨いて若井は寝室に戻った。

 ベッドに腰を下ろしていた大賀が、待っていましたとばかりに顔をあげた。


「吐いたか」

「うるせぇ、バカ」

「飲み過ぎだ」

「飲み過ぎたくて飲み過ぎたんじゃねぇ」


 お前のせいだ、と若井はこぼした。

 お前が飲み会の席に電話をしてくるから。お前が甘えたことを言うから。

 お前が、俺の心を揺さぶるから。

 次から次へとあふれ出る文句。なのに、大賀は気にすることなく顔を近づけてくる。遠慮なく、当たり前のように、それが自分の権利であるかのように。

 唇がしっとりと重なり、大賀の尻尾がゆらりと揺れた。


「……お前、よくできるな」

「何をだ」

「そういう行為。俺、吐いたばっかりだぞ」

「だが、歯を磨いてきただろう」


 大賀は、スンッと鼻を鳴らす。


「うるせぇ、口のなかが気持ち悪かったんだよ」


 そう、決して「こうなること」を想定して磨いてきたわけじゃない。

 なのに、大賀はめずらしく口元を緩めた。


「お前が帰ってくるのを待っていた」

「……さかってんなぁ」

「そうか? 人並みだと思うが」


 なにが人並みだ、神様のくせに。

 いっそ耳でも引っ張ってやりたいところだが、向けられた眼差しの熱に免じて、若井はその手を大賀の首裏にまわした。

 より近づくために。

 お互いの体温を、直接肌で感じるために──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る