5話 虫たちの意思
「あの、まだ父は帰ってないみたいなんですけど……あの、お母さんは?」
僕は玄関で靴を脱ぎながら、姉の四季(心の中で名前を呼ぶことさえ、ぎこちない)の顔色をうかがいながら言った。彼女の母親が、今日から僕の親ということになる。
でも、どちらもどう呼んでいいのかさえ、よくわからなかった。
「母親と待ち合わせるの、まどろっこしくてさ。ひとりで先にきちゃったんだよね」
「……」
どうしよう。
まだ父親は帰っていないようだった。
どうしたらいいんだろう。
とりあえず、「あの、ここで待っててもらえますか?」と四季をリビングに通してソファを指さし、僕は自室になかば逃げるように向かった。
だが、四季は後ろをついてきて、「部屋見せてよ」と強引についてきた。
断るわけにもいかない。
僕は仕方なく、彼女を部屋に入れた。
「ここ、禁煙?」
四季は僕のベッドに音もなく座り、いたずらに笑いかける。弟に向ける笑顔としては妙にくすぐったそうな表情に見えた。
僕が答える前に、彼女はタバコに火をつけた。
高校生なのに、と自分まで悪いことをした気になった。
ボッ、と一瞬、灯った炎。
炎の向こうには、塩素で色が落ち、赤みがかっている四季の髪が映る。
その二つが重なり、目の中に焼きついて離れなかった。
「……」
彼女はタバコの煙をはき出した。この部屋でかいだことがない、湿った甘い香りがした。
「えほっ」
僕はむせてしまう。
四季は「ごめんごめん」と窓を開けた。
彼女は顔だけ外に出し、煙をふっと吐き出した。
「……」
自分の部屋なのに、四季がいるだけで別の空間になってしまったようで、どこを見ていいのかさえわからなかった。
姉であるとか、でも腹違いで血は繋がっていないとか。
そういうことは関係なくて、僕にとって四季は魅力的なひとりの女の子でしかなかった。
ましてや、これから一緒に暮らすなんて。
気まずくなり、つられて窓の外に目をやる。薄曇りの空が、妙にまぶしい。長い雨が続いていたせいか、つい先週までは見なかった蚊柱ができていた。
窓を開け続けていたら入ってきてしまうかもしれないけど、とめなかった。
僕は虫が苦手ではなかった。蚊でさえも、刺されたらかゆいだけ、そのくらいに思っていた。
一匹ずつに意思がないように見えるし、人間と話すよりはよほどマシだ。
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