そらの飛ぶお仕事

野干かん

第一編 月が香る。

一話①

 空気の澄んだ早朝の町並みを小さな人影が走る。

 愛らしいと言える相貌から、女性、いや少女であることが窺える。足をすすめる度にふわりと揺れる雲のような白髪に、満月のように丸い金の瞳をした小柄な体躯の少女だ。


「おはよう、赤羽の嬢ちゃん。今日も元気だな、これから組合に行くところかい?」

「おはよーおっちゃん。美味しい依頼は直ぐに取られちゃうからねー」


 道行く中、商店の支度をしている小父さんに声をかけれれば、よく通る声で返答を行いながら更に走る。別の街人とすれ違っても、同じようなやりとりを繰り返す様子から、毎日のように行われている一連の流れなのだろう。


 朝の挨拶を交わした人は、微笑ましそうな表情をして彼女を見送り、自身の一日を始めていった。

 少女の名前は素楽そら。翼人と呼ばれる種族に類する種で、腕は髪と同じ色をした羽毛で覆われ、四本指の手と鳥のような脚は鱗で覆われている。


 類する、ということは翼人そのものではなく、あくまで近縁種である。本来の翼人であれば、両の腕には空を飛ぶために必要な風切羽が生えているのだが、短な羽毛のみである。もっというならば、腰部にあるはずの尾羽と呼ばれる羽根も見受けられない。


 そんな変わった種である素楽は、ボロもとい少々趣のある建物の前に立ち止まる。

 『冒険者組合』そう書かれた看板は、建物と比べると新しいようで綺麗に見える。この場所こそが彼女の目的地で、建物の内部からはガヤガヤと喧騒が聞こえており、外からでも賑わっていることがよく伺える。


 ここは組合が請け負った依頼を、冒険者へと斡旋する機関だ。依頼の内容は多種多様で、飼い猫探しやら人手の足りない商店の手伝い、人里離れた地に生える植物の採取、街の近郊の巡回、魔物の討伐など数えだせば切りがない程だ。


 仕事を斡旋するのは冒険者だけでなく、危険性のないものであれば一般へと開放もされている。ただし、冒険者でなければ担保金を預ければならないのだが、案外仕事のついでといった形で仕事を請け負う人もいる。


 故に早朝は人でごった返すので、走ってまでやってきたのである。

 組合の扉を開け放つ。依頼が張り出されている掲示板の前には、人だかりが出来上がっている。遠目に見ていた所で美味しい仕事は同業者に持っていかれてしまうので、人だかりを掻き分けるようにして掲示板の前に向かうのであった。小柄であったことが幸いして、少々押される程度でたどり着くことが出来たようだ。


 視線を向けるのは採取などを主として扱っている掲示板の一角だ。今現在は晩春と呼べる季節で、植物採取の依頼はそれなりに張り出されている。


(どうしようかなー。枝鹿木の花と春の子、……あと高豆の採取なら、鷲啼山で集められるし、あの三つにしようかなー)


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして、掲示板から依頼紙を剥ぎ取り受付へと向かう。


「依頼請けまーす!これー!」

 依頼紙を振り回しながら、備え付けられた呼び鈴をカンカンならして、組合の職員を大きな声で呼ぶ。なかなかに騒々しいのだが、早朝の組合はこうでもしなければ、気がついてもらうことが出来ないので仕方がない部分がある。


「しょしょ、少々お待ち下さぁい!い、今向かってましゅ…ます!」

 妙齢の女性が慌てた様子で駆けてくる。彼女は最近に職員として採用された新人で、早朝から疲労の色が濃く現れた顔をしている。この忙しさには慣れないのだろう。


「おおおお、お待たせしました!えっとぉ、こちらを依頼を三つ受けるんですね」

「そうだよー」

 ふむふむ、と新人職員は頷くと依頼紙を確認して、小さく頭を傾げる。


「…こちらの依頼は三枚とも三格以上の冒険者を対象としているので、組合証を確認してもよろしいでしょうか?」

「そうだったねー、ちょっとまって」


 首に掛かっている紐を引っ張り服の中に仕舞われた物を取り出す。紐の先には組合証があり、職員に見せる。


 組合証には、素楽と書かれた名前、白髪金眼の妖禽種といった特徴、そして四枚の花弁が付いた花が描かれている。

 これは冒険者としての格を表すもので、一から八までの八段階に分かれている。一格であれば一枚の芽、二格は双葉、三格からは花弁の枚数で表されることとなる。四枚の花弁が描かれている素楽は、四格の冒険者ということになる。

 組合証を発行していない非冒険者でも、二格までの一部の依頼、街の外へ出なくても達成できるものであれば請け負うことが可能である。


「えっと、問題ありませんね、はい。…それでは少々お待ちを」

 組合証と素楽を見比べて目を瞬かせた新人職員であるが、そういうこともあるのか、と自身を納得させてから、依頼紙を魔導具で複製し確認する。複製に異常はなかったようで、控え用の判を押して素楽へと渡した。


 素楽の方も内容に間違いがないかを確認してから、小さく折りたたんで腰袋へと放り込む。


「それじゃ、行ってくるねー」

「は、はい。お気をつけてぇ」

 受付台から離れた素楽は、新人職員へと振り返り小さく手を振ってから出口へ向かって走り出す。可愛らしい子だなぁ、などとのんびり考えていると別の冒険者が目の前に現れ、受付作業に追われることになる。


 人でごった返している組合の内部を走っているものだから、冒険者とぶつかりかけて素楽がよろける。トットット、と体勢を整えている内に別の冒険者へと体を預ける形になる。

 頭上へと視線を向ければ髭面の巨漢が、愉快そうな表情で見下ろしている。素楽の背よりも長い大剣と大盾を背負った熊のような男だ。


「ごめんごめん、よそ見してたらよろけちゃって」

 あざとさのある動きで、素楽は大男へと謝罪をする。

「気ぃつけろよ赤羽。外でよそ見なんてしてたら肉食みにかじられちまうぞ」

 男は歯を見せるよう莞爾かんじと笑い、素楽の頭をポンポンと触る。怒った様子はなく、どちらかといえば楽しげな態度である。素楽が体勢を立て直すと、彼は道を譲るように横に退く。


「気をつけるよー、っと、またねー」

 今度はよそ見をしないように後ろ手に手を振って、組合の外へと飛び出していった。


「落ち着きのないな、本当に」

「あのくらいのときは、誰でもあんなもんでさ」

「それもそうか」

 彼らが自身の若かりし頃を思い出してみれば、確かに落ち着きなんてものは微塵もなかったと思い至り、ならば仕方ないなとという結論に着地していた。


「…くっちゃべってねぇで、俺らも仕事取んねぇとな」

「ははっ、ちげぇねぇ」

 大男とその仲間たちは、美味しい依頼を求めて冒険者の誘蛾灯へと向かう。依頼は冒険者の生命線だ、彼らやその家族の生活は美味い依頼にありつけるかにかかっているのだ。


―――


 往来の増えた街中を走り、商店街のある大通りへと足を向ける。早朝ということもあり、空けている店も少ないのだが。


「小父さん、ミートサンド二つ!片方は食べながら行くから、そのままでいいよー」

 朝早くから店を開けている肉屋で、朝と昼の食事を同時に購入するようだ。素楽は衣嚢から銭入れを取り出して、中から銅で出来た硬貨とりだして、勘定台に置く。枚数は六枚、表面には雀が象られているものだ。


「まいど、落とさないようにな」

 紙に包まれた方は腰袋に、裸で渡された方を握りしめて肉屋の店主に礼をいい立ち去る。

 歩きながらの朝餉を済ませながら歩みを進める。最後には手についたソースをぺろりと舐め取って、ご満悦といった表情を浮かべていた。


 食べ終わると時を同じくして、街の門へとたどり着いていた。街は全周をすべて壁で覆っているため、外に出るには必ず門をくぐる必要がある。


 門には番兵が立ち警備を行っている。個人が出入りする分には、特別、検問をうけることもないので、番兵と挨拶を交わして町の外へと出る。夜から勤めているのか、番兵は眠そうで素楽が通り過ぎた後には大欠伸をしていた。


 素楽はおもむろに立ち止まる。彼女は翼人に類する種、妖禽ようきん種だ。しかしながら前述の通り翼と呼べるものはなく、飛行には適した種族とはおもえないのだが、妖禽種には少々、いや大分変わった特性がある。


 身体の内を流れる魔力。それが羽毛の生えた腕と腰部へから放出され、朱く透明感のある羽を作り出す。この素楽は赤羽と呼ばれる所以ともいえる能力だ。妖禽は魔力を翼に変えて大空を駆る、それはそれは珍しい種族なのだ。そして珍しいといわれるだけあって、個体数は非常に少なく希少種族や絶滅種と囁かれている。


 バサリ、バサリと羽ばたき、地を蹴って大地とは暫しの別れとなる。

 目的地となる山は、門とは逆方向に位置しているので、街の上空を飛び越えていく、ことはなく迂回するようにして大空を駆ける。


 眼下には緑豊かな、肥沃な大地が広がっている。目を凝らせば朝早くから農作業に勤しむ農夫や、馬で荷車を引く商人、依頼のため郊外で活動を行う冒険者などが、この地の営みがよくよく見れる。

 魔力を推進力に変えて飛翔する彼女は、彼らの頭上を素早く過ぎ去っていった。

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