第112話 幕間 空を舞う戦乙女とそれを見た自衛官 後編
名も知れぬ彼女のおかげで周囲のガーゴイルを退け、その場の誰もがどうにか窮地を潜り抜けたと気を抜いていたのだろう。
だからこそ誰もが、その銃弾が彼女に向けて放たれるなど予想する訳がない。
そしてそれはその凶行に及んだ私とて同じだった。
その結果、背後からガーゴイルでも一撃で仕留める攻撃を受けた彼女が倒れていく。
左胸、心臓がある部分に致命傷となる大穴を開けて。そこからの出血も酷く、どう考えても助かる状態ではないのは見るからに明らかだった。
「お、お前! 何をやってるんだ!?」
突然の事態に周囲が思考停止していたのは僅かな間の事で、慌てた様子でこちらの近くにいた隊員が私の突然の凶行を咎めてくる。
それも当然の事だ。
窮地を救ってくれた命の恩人に対して背後から突然攻撃を仕掛けるだなんて、気が触れたのかと思われて仕方がない行いなのだから。
だがこの状況が私にとっても訳が分からないのは同じだった。
(違うんだ! 身体が勝手に動いて……)
そう言い訳を口にしようとしたのに言葉が出てこない。
それどころかいつの間にか身体も自分の意思で動かせなくなっているではないか。
自分の身にいったい何が起こっているのかまるで分からないが、とんでもないことをしてしまった。それだけは分かる。
そのまま自分の意思で身体を動かせない私は拘束される。
だが事態はそれで終わらなかった。
「救護だ! 回復スキルを使える者は、なんとしてでも彼女を死なせるな!」
そんな中でも部隊長は驚きや混乱を押し殺して、凶行に及んだ私を拘束すると同時に救おうとする部隊長。
その指示に従って回復スキルが使える隊員が処置をしようとするが、
「ぐう!?」
「お、お前らまで何を!?」
その彼らの背後からまたしても別の隊員が襲い掛かる事態が発生する。
そればかりかある隊員に至ってはうつぶせに倒れている彼女に近寄ると、手にしていたナイフをその首に突きつける始末。
「おっと、全員動かないように。これ以上、犠牲者は増やしたくはないだろう?」
その言葉を発したのはナイフを突きつけた隊員自身ではなく、その影からゆっくりと浮かび上がるようにして現れた存在だった。
それはまるで宙に浮かぶ影法師のようだった。
ただし両目と思われる部分に禍々しい赤い光が輝いている、明らかに尋常な生物ではない存在。
「貴様……魔物だな。部下に何をした?」
そんな存在の正体など一つしかない。
つまりこの状況もガーゴイルとは違ったこの魔物の仕業ということか。
「安心したまえ、少しばかり身体の制御を借りているだけだし、用も済んだので我々はすぐにでも退散させてもらう。だからそこの助けようもない死にかけの女はともかく、まだ助けられる部下の命を無駄にするのは感心しないよ、別動隊の部隊長殿」
私を含めて急な凶行に及んだ隊員の全員、その表情には自分が何故こんなことをしているのかという驚きと困惑の感情が浮かんでいる。
そんな状況でこの登場の仕方をした魔物を見れば、こいつが何かしたのかだと理解するしかなかった。
「これでも私は君達に感謝しているのだよ。なにせ君達のおかげで、目障りだった獲物を誘き寄せるばかりか、こうしてその内の一匹を始末することにまで成功したのだからね」
「誘き寄せる、だと?」
「そうだよ。この地での騒乱の全ては、我々の脅威となる存在を排除するために仕組まれたもの。それに君達はまんまと利用されたということさ」
「ちくしょう! くたばりやがれ、クソ魔物が!」
そこで痺れを切らした隊員の一人が銃弾を放つが、影法師のような肉体は傷つけられずに弾がすり抜けてしまう。
「無駄なことは止めておきたまえ。我々に物理的な攻撃は効かないのだから。君達が有するスキル、あるいはそこの女が所持していた魔導銃などならダメージは与えられるだろうが、それをするならこちらにも考えがあるよ」
その言葉と同時に民間人を乗せていたトラックの方から悲鳴が聞こえてきた。
あちらでも何かが起こっているようだ。
「貴様、何をした!」
「我々が影に忍び込んでいるのは君達、自衛隊だけとは思わない方が良いということだ。そして我々がその気になれば、そんな彼らを自傷させることも容易いという事だけは覚えておきたまえよ」
何か余計なことをすれば操っている人を殺す。そしてそれは民間人も含まれている。
目の前の魔物は言外にそう脅してきているのだ。
その言葉によって我々全員が迂闊に動けなくなってしまう。
「さてと、それではこのまま瀕死のこの女が、死してグールになり果てるのを見届けさせてもらうとするかな……ぐう!?」
そこでそれまで余裕ぶっていた影法師の様子が急変する。
突然苦悶の声を上げたかと思えば、その黒い身体が点滅するかのようになっており、何か異常が起きているのは間違いなさそうだ。
「何だ、これは!? いったい、何が起こっている!?」
影法師の疑問に誰も答えない。
いや、答えられないのだ。
少なくともこの場の誰かが動いたり何かしたりする様子は見せていないのだから。
だけど事態はそれだけに留まらない。
何故なら異常が起きたのは目の前に出現した個体に限らないらしく、操られていると思われる隊員の影の全てから影法師が現れて藻掻き苦しんでいるではないか。
(な、何が起きているんだ?)
誰もがそう思っていたところで、遂にその解答が明示される。
「まさか……この女、まだ生きているのか!?」
「あ、ようやく気付いた? なら死んだふりしてる意味はもうないか」
先ほどまで胸に大穴を開けて倒れていたはずの彼女からそんな声がすると、なんとその状態でありながらも平然とした様子で起き上がっていた。
そればかりか、その胸の傷が瞬く間に塞がって元に戻っていくではないか。
それこそまるでその部分だけ時を遡っているかのように。
「と言うか、あの程度の攻撃で私を殺せると本気で思ってたなんてね。てっきりここからまだ何かあるのかと思って、死んだふりして警戒してたこっちがバカみたいじゃない」
「もしや、お前は最初から全て分かっていたというのか!?」
「そんなの答えるまでもないでしょう? まあ民間人の影に隠れた奴まで捉えるのは多少手間取ったけど、もうそれも終わってるし。さてと……それじゃあもう用済みだから、さっさと死んでくれる?」
「が、あああああ!?」
彼女が止めを刺したのか、全ての影法師が悲鳴を上げながら消滅していく。
その場に魔石だけを残して。
どうやら肉体を持たない魔物でも倒した際に魔石は残すようだ。
「ふうん……影法師の魔石か。聞いたことも無い魔物の名前ね。って、結構高値で売れるみたいだし、良い煙草代になりそうじゃない」
そう嬉しそうに言った彼女は徐に懐に手を入れると、そこで何故か顔を顰める。
何かと思えば、取り出した手には壊れたライターと血だらけでボロボロになった煙草の箱が握られており、
「嘘でしょ、まだ半分以上残ってたのに……」
今までで一番、悲壮的な声で愛煙家らしき戦乙女はそんな事をボソリと呟くのだった。
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