第110話 堀川龍乃(中学生)[1]

 そのシルフみたいなすごくきれいなひとは三善みよし結生子ゆきこというらしい。

 龍乃たつのは、その結生子さんと並んで、その広いお風呂の湯船にかっている。

 そういうのをやってみたくて、ぎゃぎゃぎゃっと急いで体を洗い、髪はいいかげんにシャンプーをぶっかけてかき混ぜて流すだけにして、「いいですか」と言って返事もきかず、結生子さんの横に並んだのだ。

 もっとも、結生子さんも、ちょっと場所をけてくれただけで、上がろうとはしなかったので、これでよかったのだろう。

 この広い湯船が、もともと作られた目的のとおり、二人以上の人を浸からせたのはもう何年ぶりのことなんだろうか。

 「でも、ごめんね。びっくりしたでしょ? お風呂入ったら、いきなり知らない人がいて」

 結生子さんが言った。

 「あ、いえいえ。いえいえいえ」

 大人びた返事を返したと思う。

 「おかあ、って、違って、母がちょっとそういう話してましたから」

 立ち聞きしただけだけど。

 「ほんとはこんなに急いで来る予定じゃなかったんだけど、ちょっと事情があってね」

 結生子さんはそこでちょっと笑う。

 「でも、ホテルとか泊まるとしたら、岡平おかだいらしかないし」

 結生子さんはちょっとことばを切った。でも、そのまま続ける。

 「……岡平は近いっていっても岡下おかしたまでちょっとあるじゃない?」

 まあ、さっきは自転車で十分以内だったけど。

 「それに、岡平もそんなに泊まるところがあるわけじゃなくて、困ってたら、市役所の人が龍乃ちゃんのお母さんに頼んでくれてね」

 「ああ、大歓迎です大歓迎です、ほんと大歓迎です。もともとお客さんに泊まってもらうためにたくさん部屋作ったのに、それ、ずっと使ってなかったんだから、大歓迎です!」

 ついさっきまで、お母さんに「お客さんに泊まってもらう」なんてこと言われたら「ぜ・っ・た・い・い・や!」で抵抗しようと思ってたのだれだ、と、自分にツッコミつつ。

 龍乃は肩までお湯に浸かっているが、結生子さんは胸のあたりまでだ。それで、お湯を寄せてきて、自分の胸のところに当てて、その胸の上のほうをさすっている。

 ほんと金でできているみたいにぴかぴかな……そしてやわらかそうな……。

 結生子さんが優雅に龍乃のほうを振り向こうとしたので、龍乃は前を向いて自分の足のほうに目をやった。

 「ああ、でも」

ときく。

 「どうして岡下なんです? ここになんか用事ですか?」

 「ええ」

 結生子さんはとてもなめらかな声で言った。

 「今朝、なんか、ブルドーザーの転落事故とかあったそうじゃない?」

 「ああ、見てました見てました。すっごい黒い雲がぶわーっていて、ぱらぱらぱらって黒いものが降ってきて、この世の終わりかと思いました」

 結生子さんがすごくにんまりする。

 「すごい表現するのね」

 きゅっ、と恥ずかしくなる。自分で言う。

 「いや。つまり、ゲームのやり過ぎ、っていうやつで、その……」

 「ゲームかぁ……」

 こんな大人の人には、スマートフォンのゲームなんか、ほんとに子どもの遊びに見えるんだろうな。

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